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AKILA's えgo

気まぐれに、ドラムや音楽の気になった事上げとります。

新章はいつごろか

2025-07-02 01:44:51 | ノンジャンル

この間、NEVERMOREの『THIS GODLESS ENDEAVOR』がリリースから20年を迎えたという投稿をしたが、オレにとってもう一つ大事なアルバムが、リリースから30年を迎えてるんだよね。

FEAR FACTORYの2ndアルバム『DEMANUFACTURE』は、このバンドにとっての記念碑的アルバムになったと同時に、所謂インダストリアル・ヘヴィミュージックに於ける究極形を体現して見せたアルバムだと言えるだろう。

オレがFEAR FACTORYを知った時点でバンドは3rd『OBSOLETE』をリリースしていた時だが、とてつもなくヘヴィであるというこのバンド中でも、強烈至極な名盤という触れ込みを見て最初に手にしたのがこの『DEMANUFACTURE』だった。

このアルバムで最初にこのバンドを体感したのは良かったと思う。
ホントに強烈だった。

表題曲である「DEMANUFACTURE」の機械音の不穏なSEから、いきなり無機質且つ正確無比な高速ツーバスが入り込んでくるイントロは、当時のオレからしたら衝撃だった。
勿論、超速ツーバスを放つドラマーはその前から様々なバンドを聴いて知っていたんだが、この時期に在籍していたレイモンド・ヘレーラのドラミングは、オレにとってのツーバスドラミングとしての在り方を決定づけた存在だった(断っておくが、今の時点でもオレのドラムはこのバンドの曲を演奏出来る程のレヴェルには到達していない)。
多分、最初に聴いたのが『OBSOLETE』であったらそんなでもなかっただろうし、1st『SOUL OF A NEW MACHINE』だったらバンドを追っていこうとも思わなかった可能性があった。

当時のFEAR FACTORYの何が凄かったかと言えば、全楽器のユニゾン度合い。
ギターのリフに合わせてベース、ドラムもシンクロしてその突進力を押し上げる方法は、遡ってみればMEGADETHがある意味では原点とも考えられ、その括りで言えばPANTERAも驚異的であったと思われたところに、FEAR FACTORYが件の2ndを投下してきた。
あの当時、どのバンドと比べてみてもユニゾン度合いはFEAR FACTORYは異常とも言える程にずば抜けていた。

あの時期で言えば、ツーバステクニックの極致を披露していたのがレイモンドであり、インダストリアルメタルを語る上で、手数足数はさておきとして、こういった無機質感のあるドラミングは必須である事を決定づけた様に思う。

そして、そんな強烈な音楽はドラムだけで語れるワケではなく、やはりディーノ・カザレスのこれまた倍音を殆ど感じさせない無機質感満載な7弦ギターによる高速ギターリフの妙技がこのバンドの無慈悲と言えるサウンドを生み出しており、FEAR FACTORYというバンドの世界観を決定づけているのが、バートン・C・ベルの歌唱だったのは間違いない。

もう一つ上げておくとすれば、正規メンバーとはなっていなかったが、当時5人目のメンバーとしてキーボード/プログラミングで協力していたリース・フルバーによる装飾音は、FEAR FACTORYがかつて近未来型メタルとも言われていた要素として外せないものであった点も、事実であろう。

1980年代でのメタルでは生み出す事のできなかったヘヴィネスが顕現された、1990年代であったという時代背景も大きかったと思う。
今の時代から見ても、やはりあの年代に現れたヘヴィロック系のバンドは何処かに狂暴性を孕んだサウンドをしており、ヘヴィ/ラウドという言葉がフィジカルと合致して放出されていたギリギリの年代であったかと感じる。

FEAR FACTORYもマシナリーな演奏として名を馳せたが、それでもライヴは肉体至上主義的な、往時のロック/メタルと変わらぬパフォーマンスであるのがそこを証明している。
だからこそ、そのユニゾン度合いが常人離れしている点を叩きつける事に成功もしている。

ただ、本当に大事な点というのは、『DEMANUFACTURE』以降の楽曲の在り方が、❝音楽的に聴ける事を意識したエクストリームミュージックである❞という事に意識を向けてきた点。
その点に於いては、ディーノのギターとバートンのヴォーカルによるコンビネーションの賜物であり、2010年以降この2人がコアメンバーとしている事実からも立証されている事。

その間に、レイモンド、ベースのクリスチャン・オールド・ウルヴァースは袂を分かち、2020年には遂にバートンも脱退してしまった(この辺りの人間関係はこのバンドグッチャグチャなんだよなァ、残念なことに)が、ディーノは現在もバンドを存続させ、最大の危機とも思われていたヴォーカル後任に関しては、マイロ・シルヴェストロという人物によりある意味若返りも図れたパフォーマンスも相俟って、次のアルバムを個人的に期待している。

目下最新作の10th『AGGRESSION CONTINIUUM』がリリースされてから4年が経過しようとしている。
オレにとって強大な影響を与えたアルバムがリリースされてから30年経った今でも、変わらず刺激的な存在である事を新章でも示してほしい。


風情を味わう余裕は実際・・・

2025-06-12 03:39:43 | ノンジャンル

梅雨入りしたな。
正直、この長期雨天は好きにはなれない。

洗濯がままならんというのが一番ってとこがあるが(笑)、移動手段が限られている身としては、外に出ようと思っても足元の悪さ、湿度の高さにより身体にしんどさが増す為億劫になってしまうんだよな(実際、昨日のスタジオ練習はその所為で現地到着までの移動がキツく感じた)。

風情を感じてる余裕は、あんまり無いね。

家に居る中での雨の雰囲気というのは、悪くはないんだが、ソレは何もやらないでぐったりできるひと時に限る。

贅沢言える身ではないが、この時期は早く過ぎてはもらいたい。
その後はその後でいやったらしい時季が来るワケだが(苦笑)。

 


描き込みの幅を探る

2025-06-04 03:41:47 | ノンジャンル

ケッコー前に、線状降水帯と思しき猛烈な雨に見舞われたのをヒントとして描いてみた。

「潤いの過渡にたたずむ」。
ちょいと湿り気のある色合いを出してみたかった。

特に今回は、よく使用しているターコイズカラーでの描き込み方を探ってみたかった。

大味感のある表現の際立ち方がペンとしての特徴となり、前々から気に入ってよく使っている。
ただ、今回はいつもの様な表現と違った描き込みはできないモンかと思い、挑戦してみた次第。

結果としては、中々いけるモンだなと思った。
最後の方で、0.5mmから0.4mmへ太さを切り替える形になった(0.5mmがインク切れ起こして、手元に0.4mmしかなかった)が、それなりに期待のもてる細かい描き込み方はやれる。
特に0.4mmへ替えた際には、思っている以上に細い描き込みになると感じたのは大きかった。使い分けでの変化をつける事が、今だったらできるようになってきたのかもね。

あと、濃淡の程度を更に探ってみた。
同色で線が重なる部分をいかに判別できるようにするかという点では大事なので、どこまでその描写を表現できるかをやってみた。
この点も期待に応えてくれたね。箇所によっては10回以上も重ね塗りしていったが、その分だけの色濃さが反映してくれた。

このターコイズカラーのペンは、他のカラーも用いてこれまで描いてきたが、意外と濃淡を表現できるんだよね。
その中でも、ターコイズはその幅がかなり広いと今回描いてみて改めて感じた。

今後も、このシリーズのペンでの描き込みの幅を探っていってみたいところ。


ロブのブレが幅になる

2025-05-24 00:47:13 | ノンジャンル

MACHINE HEADは、『THE BURNING RED』で知って以降、今でも追いかけている。
バンドの歴史からしたら、このアルバムはヒップホップスタイルにも手を出し、時代背景的に流行に則ったヘヴィミュージックをしていた感があり、ファンから賛否巻き起こしたアルバムである。

オレはそこから前2作もちゃんと聴いており、『BURN MY EYES』はPANTERAのサウンドをヒントとしたスラッシュメタルという感触で、ヘヴィネスとスピードの合わさり具合がたまらない刺激だったし、『THE MORE THINGS CHANGE...』はそこからより徹底した重み/暗さに注力した内容で、スラッシーさはもとより、メタルとも少し離れた質感のサウンドとなっている感じはしたものの、それでもこのバンドでないと放てない猛烈なエナジーは、寧ろ後追いとなったからこそその変化も楽しめた。

実際、バンドのキャリア初期にあたるこの3枚は今でも好きなアルバムであり、1990年代という空気が充満した、HR/HMとしては苦々しくも、ヘヴィミュージックとしては百花繚乱の時代であり、その中でも燦然と輝く名盤だと思っている。

言うまでもなく、MACHINE HEADはヴォーカル/ギターのロブ・フリンが中心であるバンド。
アルバムの方向は、彼のその時の感覚によって、変容を呈する。

その感覚はいかにもアーティストらしく、風見鶏的になり時には賛否両論を巻き起こすアルバムを発表したりするが、オレとしてはそんな状態も楽しみだったりする。
8thアルバム『CATHARSIS』なんかは、このバンドからしたらポップな感触の楽曲がそこかしこに入っていた事により「MACHINE HEADがそんなことするんじゃねぇ」みたいな非難も出たアルバムだったが、オレとしちゃそういった硬派な中に見えるバラエティを楽しみたい為、思い入れが強いワケではないが、良いアルバムと思った(まァ、『THE BURNING RED』でバンドを好きになった様な人間だからね:笑)。

その後の9th『OF KINGDOM AND CROWN』は、前作の反動もあってか、コンセプトアルバムというのも含めて硬派至極なMACHINE HEAD流メタルが展開された。

アーティストとしては当然、過去に作られた様な内容をまた模倣していく行為はとりたいと思わないだろうし、ロブも「常に自分にとって違った感触となるものを探している」と言ってる故に、このバンドのブレというのは出て然るべきものというのはファンならば許容すべきものだろう。

ただ、個人的見解としては、MACHINE HEADは5th『THROUGH THE ASHES OF THE EMPIRE』で、今日までのバンドの核と言えるサウンドが確立されたと思っている。
それは、今回リリースされたアルバムにも言える。

10thアルバム『UNATONED』。
前作より、約3年振りとなる。

このアルバムから、またメンバーが変わっている。
ドラムのマット・アルストンは『OF KINGDOM AND CROWN』からのメンバーなのだが、当時は事情がありレコーディングに参加できず、今回から漸くアルバムにも携わる形となった。

ギターはDECAPITATEDのヴォッグが去年に脱退し、リース・スクラッグスという人物が加入。
ヴォッグに関してはまァ時間の問題だとは思っていたケドね。
正直、彼にはDECAPITATEDに専念してもらいたかったというのがあるので、これで良かったと思う。

で、
そんなメンバーチェンジが起こった事でアルバムにも変化が出たかと言えば、出てはいる。
前作がこれでもかと言うほどにMACHINE HEAD流のメタルアルバムであったのと比べると、今作は昨今のメタルコア的な曲調もありつつ、アンビエントサウンドも取り入れた、ちと「おや?」と感じさせる内容。
楽曲の時間もこれまでと比べるとかなり短くまとめる事に意識を置いた感じがあり、アルバムトータルもこれまでのアルバムで最も短い40分台。
前作のヴォリュームと比べると相当にあっさりさせた様にも思える。

ま、結局この辺りの変容というのも、ロブがどう感じてアルバムを作る事にしたかという意向がモノを言っている。

ぶっちゃけ、オレもまだここに来てちゃんと聴き足りてないなとは思っているが、今回も特に「ダメだこりゃ」とは思わないアルバム。

その時その時で自分にとって正しいと思った舵取りで猛然とぶち当たっていくロブの感性は、アーティストとしての純粋な歩みとして支持できるし、そんなMACHINE HEADは何だかんだで無視できないんだよね。


ハハッ!!!

2025-05-11 01:28:06 | ノンジャンル

まァ今日は母の日という事で、何かを描いておきたいと思い間に合わせた。

ふと思ったのは、それなりの頻度でカーネーション描いてるよな(笑)。

他に5月の花で何かをと探ってみたんだが、どれもこの日に結び付けるものとしてはしっくりいかないなと改めて感じてしまった。

本日のマダム劇場でどんな展開が待ち受けているのかは、見る者ぞ知るだな。
オレは仕事なので見れないが(苦笑)。