温度差と人は言います。
今日も「普段」ではない日々を過ごさなくちゃならない人がいる一方で、当たり前に「普段」通りの人たちがいる。
僕自身、先日船岡のコンビニに立ち寄った時に立ち読みをしてる子がいて、
(手伝えよ!ちょっと先の通りに行けば大変なのに!ムキー!)
という感情が久しぶりにチョロリと芽生えたけれど、もうその気持ちの抑え方は覚えてあるから平気。
思いやることと、思い込みは違う。
あの頃、何度も言い続けた想像力。
その想像力の賜物が思いやりで、先回りして人を喜ばすことが出来たりします。
想像力の先に、思いやりがあります。
思い込みは早とちりとか自分本位の考え方の結果となる。
思いやりの真ん中には相手がいて、
思い込みの真ん中には自分がいます。
その「ボランティア」は誰のためにするのか。
そんな簡単なことも分からない人や、分からなくなってしまった人はやめてしまえばいい。
あなた方が大好きな「温度差」になるから。
人を傷つけるから。
誰のためにって、簡単だよ。
誰かのためじゃんか。
誰かって、この先に友達になれる可能性のある人全てだ。
勇気を出して、席を譲る。
断られたら、
「そう?」
と言って座ってりゃいいさ。
そのことで笑う人なんて未熟な人だから気にしなくていいしね。
そして、
「助かる!」
と言われたら、
「よかった!」
と思えばいい。
僕たちはヒーローになんてなれない。
なろうとしてる人もいるけど、僕はそういう人は得意ではない。
でも。
でもでも、僕らはいつでも何かを選択できます。
「どちらの味方につきますか?」
そんな選択もあります。
アイツとコイツ、どっちの味方?
とかそんなアホくさい、面倒な話でもないわけ。
なにかあったならば僕は迷わず、正義の味方になろうと思うんです。
ヒーローにはなれないけれど、正義の味方には誰でもなれる。
正義ってあまり好きな言葉じゃないし、言い出すと止まらないんだけども、今は簡単に考えてください。
「正義の味方、さんじょーーーー!手伝いまーす!」
程度のやつ。
なんやかんや言ってないでさ。
やるべきことをし、やれることがあればサッとやろう。
恩着せがましくやってんじゃねぇっつぅの。
ごはん食べてんじゃん?
向かいに座ってる人が醤油欲しそうだったら、
「ほい」
と取ってやれって。
「なに?ティッシュ?ティッシュはそっち。」
でも良いわけ。
心のアンテナを設置しなさい。
拡げなさい視野を。
「ガレキの片付けに行ってきました!」
とか言ってんじゃねぇよカス。
ガレキだと思ってんのはお前の思い込みだ。
全部、思い出だアホンダラ。
二度とガレキと言うな。
辞書のガレキってとこマジックで消しとけ。
お前の家ならどうなのや?って話。
色々、脱線しました。
温度差ってありません。
あるのは、人間性の違いです。
やれる人が、やれることをやろう。
人助けに、理由はいらねぇ。