誰の人生でもね。
どのような人の人生でも、退屈な時間や場面を全て消し去ったら、それはもう素晴らしく【おもしろい】物語になる気がする。
例えば僕だって、暇だなぁと思いながら、
「スマホはゲーム機だ。」
と豪語しつつケリ姫をしてる場面がある。
アポより早目にお店に行って、ずっとやってるからね。
歌詞を書いたりしてるのも、人と会って話をし、盛り上がっていても周りにとっては退屈なだけなんだ。
曲を作ってる最中も退屈だろうし、デザインをしてる場面を見られても退屈なだけさ。
暇こそが創造や教育に不可欠であるという点は否めない。
どんなに予定が埋まっても、心を無くしては逆に悪循環なのだ。
それは知っている。
だが、ヒマは人を不安にさせるし、ロクな事を考えないというのも事実。
退屈こそが人生の最大の敵であろう。
しかし、余裕のない人間ほどつまらないものもない。
退屈と余裕の違いは、健康であることや命に似ている。
失った時に初めて「もっとやれたはずだった!」と、後悔と共に可能性に蓋をしそうになる。
違うのだ。
いつ何を始めてもいい。
情熱なんかを信じてはいない。
しかし、一瞬の沸騰というチカラを知っているだろう?
いい歳なんだから。
それを集中力と呼ぶのかどうかは分からない。
分からないけれど僕たちは、なんでもない日に感謝をし、
「頑張ることが出来る日々」
を噛み締めなくてはいけない。
戦争なんて始まったら、それこそ無理だ。
頑張りの次元が下がる。
分かるかね?
次元の高い話をしまくることで、生きてて良かったと君に伝えられる幸せを忘れてはいけないと思う。
とても次元の高い話の一つに、ゲームのレベル自慢がある。
でも、本当の高次元にはね、祈りがあろう。
どうか無事で、明日も。
そして、出来れば世界も平和であれ。
明日も明後日も、子ども達が次元の高い話が出来ますように。
少しだけ、悲しいけれど思い出そう。
そして、今、彼を支えるのが仲間であろうと俺は思う。
男だろう。
俺達は男だろうがよ。
明日は青空応援団練習。
7時から、輪王寺。
団員、募集中。
経験不問。
ただ、少しだけつらいかも。
今、必要なことは支援ではない。
応援だ。
変化球は投げられない。
レベルが低くてね。
直球で勝負をするぞ。
応援するのは、昔から応援団って決まってんの。
近所のスーパーの地域まるごと応援団とかじゃねぇの。
アーティストの、これは応援歌です、じゃねぇの。
普通、引くね。
引かせない。
君が引いたのではない。
我々が気迫で押したのだ。