今日、8月15日は終戦記念日。(本当の意味での終戦記念日は降伏文書が結ばれた9月2日だろうが…。)日本本国だけで330万人という膨大な方が亡くなった先の大戦。英霊の方全てに祈りを捧げたい。
しかし、改めて感じるのは亡くなった方の膨大さである。今回の大震災で亡くなったのが約2万人。実にその150倍以上という数字はやはり圧倒的だ。まさに日本史上、最大の悲劇であったと言えるだろう。しかし、私が悔やむのは、その約8割以上が最後1年間に失われたという事実に対してである。
太平洋戦争でのターニング・ポイントとなった戦いは、ミッドウェー海戦(昭和17年6月、ガタルカナル島攻防戦(同17年8月~2月)、それにマリアナ沖海戦(昭和19年6月)の3つの戦いだろう。
ミッドウェー以後、主導権は米軍の手に渡り、日本軍は押されまくっていたものの、マリアナ沖での迎撃戦に日本軍はまだ勝算をかなり持っていた。侵攻してくるアメリカ艦隊に対し、日本軍は艦隊だけでなく航空基地戦力を持って迎え撃つことができる。「地の利は我にあり…」日本は勝算を持って決戦に臨んだのである。
実際、同海戦で先制攻撃を仕掛けた時「これで勝った…」と旗鑑大鳳に乗船していた参謀は確信したそうである。しかし、日本攻撃隊は鉄壁の米機動部隊の迎撃を受け、無惨なまでの敗北を喫することになる。実際には、この時、日米の間には質量とも、既に埋めがたい戦力差が生じていたのである。この戦いで航空戦力が壊滅した日本海軍は、実質的な戦闘力を失い、以後、レイテ湾への戦艦部隊の殴り込み、神風特攻作戦を始め、常識では考えられない無謀な作戦指導が1年余りに渡って繰り広げられることになる。
戦争というものは戦力バランスが崩れると一気に損害が増す性質を持つ。マリアナ沖海戦以後、日本軍の損害は膨大なものとなっていった。フィリピン決戦と称した戦いで、戦艦武蔵を始めとした多くの戦闘艦艇を失うとともに、数十万人の陸兵が失われた他、硫黄島、沖縄戦でも民間人を含めて多くの人命が失われた。また、焼夷弾による本土空襲、原爆投下などにより民間人80万人の命が失われたと推定されている。
マリアナ沖海戦以後、日本の勝利の可能性は文字通り0となった。それでも、終戦まで1年以上も掛かってしまい、その間、米軍にとっては掃討戦、日本軍にとっては絶望的な抵抗…と言える戦いがダラダラと続き、膨大な人命が失われてしまったのである。「いたしかたなかった」「本土決戦が行われなかっただけ良かった」と言う言い方もできるかもしれないが、やはりもう少し早く終戦になっていれば…の感を持ってしまう。
(ヨーロッパでは最後まで凄惨な地上戦が行われた結果、ソ連とドイツだけで約3000万人が失われているので、沖縄以外での地上戦が行われなかっただけ良かった…とも言えるのは確かなのだが…。)
「戦争は始め方より、終わらせる方が難しい…。」良く言われる言葉だが、改めて噛み締めたい8月15日であった。