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りゅーとライフ

(MiddleTown Dreams)「りゅーとぴあ」と「ビッグスワン」をフランチャイズに新潟生活を楽しんでいます。

12月8日に思う。運命の真珠湾攻撃…英雄だちの選択で一回徹底討論をやって欲しいな。

2014-12-09 19:46:12 | 歴史

 昨日12月8日は真珠湾攻撃が行われ、太平洋戦争が始まった日…ということで、真珠湾攻撃を扱った本数冊を読み直してみる。
   
 真珠湾攻撃を発案、実施したのは地元新潟は長岡出身、連合艦隊司令長官の職にあった山本五十六海軍大将(当時)。

 真珠湾攻撃については、反戦の機運の強かった眠れる獅子アメリカを起こし、結果的には大失敗だった…と言う意見も近年強い訳だが、それなら、明治以来練り上げられた漸減撃滅作戦で戦うべきだったのか…というと、主導権はアメリカ側にあり、接敵すらできたかどうか、議論は尽きない…って感じ。(個人的には真珠湾攻撃自体間違った判断だったとは思わないが、その後の早期講和を狙った連続攻勢は明らかに失敗だったと思っている。)

 ここあたり、今、NHKプレミアムで放送されている「英雄だちの選択」で徹底的に議論してもらいたいなぁ…と思った次第である。

※ 個人的には山本五十六の本質は軍政家であり、海軍大臣として活躍してもらいたかった。


新潟郷土史研究会例会 在新潟イギリス領事館と新潟町民・味方尚作

2013-11-16 21:08:46 | 歴史

 クロスパルで開かれた新潟郷土史研究会例会「在新潟イギリス領事館と新潟町民・味方尚作」を聴講。発表者は新潟県歴史博物館副館長の青柳正俊氏。 

 横浜、長崎…とともに5大港として開港された新潟港だが、その後はさっぱり…と言う程度の知識しか持ち合わせていない私。

 しかし、実際にはイギリス領事館が置かれ、もう少し発展する可能性はあった…という事実をイギリス外務省の公文書、それに地元郷土史家から得た資料により解明…という内容の本講演会、郷土史には疎い私だが、大変興味深く聴かせてもらった。 

 しかし、イギリスの公文書から新潟に関連する箇所を地道に解明していく青柳氏の探求心には脱帽するしかない…という感じ。これからの青柳氏の活躍に期待したいと思った次第である。


70回目の12月8日に思う。「最悪だった開戦のタイミング」

2011-12-08 00:03:20 | 歴史

   日米開戦から70年回目の12月8日を迎えた。

 「人間は過ちを犯す。政治指導者も例外なく間違う。」とはケネディ、ジョンソン政権下で国防長官を務め、自身もベトナム戦争で過ちを犯したロバート・マクナマラの言葉。

   「国家指導者の判断に誤謬がつきものという前提に立った上で、どんな教訓を学び取るかが重要だ。」とマクナマラは言う。しかし、昭和16年12月8日、「日米開戦」という当時、日本の政治指導者達が下した判断は取り返しのつかない過ちだった。

 …そんなことを思って、5年ほど前に書いた一文です。拙文ですが、昭和史に興味のある方に一読していただければ幸いです。

「最悪だった開戦のタイミング」↓

「1941.12.8.doc」をダウンロード


終戦記念日に思う。最後の1年を悔やむ。

2011-08-15 20:43:47 | 歴史

    今日、8月15日は終戦記念日。(本当の意味での終戦記念日は降伏文書が結ばれた9月2日だろうが…。)日本本国だけで330万人という膨大な方が亡くなった先の大戦。英霊の方全てに祈りを捧げたい。
 
  しかし、改めて感じるのは亡くなった方の膨大さである。今回の大震災で亡くなったのが約2万人。実にその150倍以上という数字はやはり圧倒的だ。まさに日本史上、最大の悲劇であったと言えるだろう。しかし、私が悔やむのは、その約8割以上が最後1年間に失われたという事実に対してである。
 
   太平洋戦争でのターニング・ポイントとなった戦いは、ミッドウェー海戦(昭和17年6月、ガタルカナル島攻防戦(同17年8月~2月)、それにマリアナ沖海戦(昭和19年6月)の3つの戦いだろう。

   ミッドウェー以後、主導権は米軍の手に渡り、日本軍は押されまくっていたものの、マリアナ沖での迎撃戦に日本軍はまだ勝算をかなり持っていた。侵攻してくるアメリカ艦隊に対し、日本軍は艦隊だけでなく航空基地戦力を持って迎え撃つことができる。「地の利は我にあり…」日本は勝算を持って決戦に臨んだのである。
  実際、同海戦で先制攻撃を仕掛けた時「これで勝った…」と旗鑑大鳳に乗船していた参謀は確信したそうである。しかし、日本攻撃隊は鉄壁の米機動部隊の迎撃を受け、無惨なまでの敗北を喫することになる。実際には、この時、日米の間には質量とも、既に埋めがたい戦力差が生じていたのである。この戦いで航空戦力が壊滅した日本海軍は、実質的な戦闘力を失い、以後、レイテ湾への戦艦部隊の殴り込み、神風特攻作戦を始め、常識では考えられない無謀な作戦指導が1年余りに渡って繰り広げられることになる。
 
   戦争というものは戦力バランスが崩れると一気に損害が増す性質を持つ。マリアナ沖海戦以後、日本軍の損害は膨大なものとなっていった。フィリピン決戦と称した戦いで、戦艦武蔵を始めとした多くの戦闘艦艇を失うとともに、数十万人の陸兵が失われた他、硫黄島、沖縄戦でも民間人を含めて多くの人命が失われた。また、焼夷弾による本土空襲、原爆投下などにより民間人80万人の命が失われたと推定されている。
 
   マリアナ沖海戦以後、日本の勝利の可能性は文字通り0となった。それでも、終戦まで1年以上も掛かってしまい、その間、米軍にとっては掃討戦、日本軍にとっては絶望的な抵抗…と言える戦いがダラダラと続き、膨大な人命が失われてしまったのである。「いたしかたなかった」「本土決戦が行われなかっただけ良かった」と言う言い方もできるかもしれないが、やはりもう少し早く終戦になっていれば…の感を持ってしまう。
  (ヨーロッパでは最後まで凄惨な地上戦が行われた結果、ソ連とドイツだけで約3000万人が失われているので、沖縄以外での地上戦が行われなかっただけ良かった…とも言えるのは確かなのだが…。)

   「戦争は始め方より、終わらせる方が難しい…。」良く言われる言葉だが、改めて噛み締めたい8月15日であった。


軍事史研究

2010-12-08 21:54:26 | 歴史

12月8日は太平洋戦争の開戦日である。

私は子供の頃から歴史好き(と言うかカミングアウトしてしまうとオタッキーな軍事マニア。髪型は1:9分けでなく7:3分けですけど…)これまで、軍事史関係の本はおそらく1000冊以上は買って読んでいて、音楽と並んで私の2大趣味となっている。

(大学は本当は文学部歴史学科に行きたかったのだが、商売人の父親に反対されて、法学ちの経済学部。まぁ、今にして思うと正解だったような気がするが…)

 第2次世界大戦、とりわけ太平洋戦争の開戦に至る経緯については、幾ら本を読んでも自分の中で結論を出すことができない深いテーマである。

 テーマがテーマでメチャクチャ・マニアック。このブログに載せると一気に退かれると思うので、近く別ブログを立ち上げたいと考えている。本当は本日12月8日にアップしたかったのだが、諸般の事情で遅れ気味。立ち上げましたらここでお知らせしますので、興味のある方がいましたらご覧になってくだされば幸いです。

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