電影宣伝自由人

香港映画を中心にしたアジア映画のよもやま話などを紹介

ファースト・ミッションその7

2006-08-15 19:50:53 | Weblog
ジミー・ウォングは、日本では『片腕ドラゴン』で知られ、香港ではブルース・リーが有名になるまで、香港で君臨していた大スターです。その後、拠点を台湾に移し、いろんなトラブルにも巻き込まれながらも、映画界では大兄として、その力を発揮していました。
『ファースト・ミッション』の香港取材で初めてジミーさんが絡んでいたことを知ったわけですが、つい最近までこの作品ではジミーさんが暗躍していたとてっきり思っていました。これはもう少し、当時関わっていた関係者から話を聴かなければ謎が解けないのですが、元常務の磯谷さんにたまたまお会いして聞いたときに、ジミー・ウォングが関わった経緯を教えてくれたのでした。
それは、一番最初にジャッキー・チェンで映画が作れると言ってきたのは、香港の映画プロデューサー(名前は忘れたと言ってました)で、その話に乗って出資したものの、全然映画を撮る気配がなくて、これは危ないと思ったときに、当時のオリエンタル・シネ・サービスの社長だった森島さんに話をし、森島さん経由でジミーさんに頼んで、なんとか映画撮影にこぎつけた、ということだったのでした。
このオリエンタル・シネ・サービスという会社は、日本のテレビや映画などを東南アジアに販売していた会社で、その縁で森島さんはジミーさんを知っていたのでした。この話からわかるように、ジミーさんは実は途中からの参加であり、また、ファンの方はよく知っていると思いますが、ジミーさんはジャッキーの契約トラブルを解決したことで、ジミーさんが製作する作品にジャッキーが出演する旨の取り決めが何本かあったようでした。(ジミーさんはまだ1本残っていると言ってましたが)製作期間が半年以上にもなっていたというのは、実はこういったことが裏にあったからです。

さて7月に入り、私たちは3泊4日の香港取材に向いました。私と、当時松竹の宣伝課長だった丸山さん、松竹の『男はつらいよ』シリーズなどを手がけたスチールカメラマンの金田さん、P2照本さん、ジャッキー・チェンファンクラブの会長の操さん、そして特番を撮影するための制作会社のスタッフ、そしてマスコミを入れ、総勢14名ほどが成田を出発しました。
香港の啓徳空港に到着すると機内に異様な匂いがしてきました。そして外に出るといままで嗅いだことのない匂いにびっくり。なんとも形容しがたい匂いが香港の第一印象でした。私たちは、日本の旅行代理店が頼んだ香港の旅行会社の出迎えバスに乗り込みました。そのバスの添乗員はおばちゃんで、怪しげな日本語を喋ります。このおばちゃんが今回の取材の通訳をするなんて、新人の私はまったく予想だにしていませんでした。




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3 コメント

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いや~すごすぎます! (カンフーチェン)
2006-08-15 23:45:09
こんばんは!FREEMANさん。だんだんと面白みが増しますね!この作品に日本人が絡んでいたとは、、、。私自身”龍的心”好きな作品のひとつでして、もちろん当時の特番もリアルタイムで見ており、ぱらぱらとジミーさんが写り込むんですよね。日本の製作会社も撮影現場へ赴きにいってまで、Wellcomeな状態はいまでは考えられませんね。貴重な情報ありがとうございます!おもしろすぎます。ではまた。
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はじめまして。 (RIN)
2006-08-16 17:14:00
はじめまして。数ヶ月前くらいから挨拶もなしに拝見させていただいておりました。自分が香港の映画に興味を持ったのはごく最近のことなのでこちらにお邪魔しているとすごく勉強になります。(ジャッキーしか知らなかったので)



まだこちらで名前が出てこられる方がわからないことが多いのですが其の都度、調べて知識が増えていくのが最近楽しいです。



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>その7 (FREEMAN)
2006-08-16 20:24:20
カンフーチェンさん、こんばんは。いつもお越しいただきありがとうございます。この作品は私にとっても香港映画に入り込んでいくきっかけになったので、思い出深い作品です。お楽しみに。



RINさん、はじめまして。お越しいただきありがとうございます。これからどんどん香港映画にはまっていってくださいね。いい映画、面白い映画、いっぱいありますので。また遊びにきてください。
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