アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

790 あちゃこの京都日誌  俺にも言わせろ  ならぬことはならぬ

2021-01-07 08:24:05 | 日記

京都嵐山、法輪寺の虚空蔵菩薩に13歳になった子供が知恵を授かるため訪れる。その時に「掟」がある。帰り道桂川にかかる渡月橋を渡り終えるまで、「振り返らない」ことが決まりだ。もらった知恵が逃げると言う。迷信だが、13歳にもなれば「決め事は守るのが当たり前」と言う教えが込められている。

会津藩の童子訓の最後には、「ならぬことはならぬ」と書いてある。人の自由だとか勝手だとかの論理はない。それが、コロナ禍でも「お願い」を守らないやからが多いと言う。ならばそのものを公表し、罰金も検討すると言う。特措法の改正案の話だ。

一、年長者(としうえのひと)の言ふことに背いてはなりませぬ
一、年長者にはお辞儀をしなければなりませぬ
一、嘘言(うそ)を言ふことはなりませぬ
一、卑怯な振舞をしてはなりませぬ
一、弱い者をいぢめてはなりませぬ
一、戸外で物を食べてはなりませぬ
一、戸外で婦人(おんな)と言葉を交へてはなりませぬ
ならぬことはならぬものです

一方、休業要請に応じた場合、4万~6万の援助金が出るという。月間180万円の規模だ。日本の倫理感はここまで堕落したのだろうか。自らを犠牲にしても全体最適を考えるのが、日本の美徳ではなかったか。そしてすぐ、国家救済を求める。

再三言うように、居酒屋などの業態は以前のような需要は戻らない。衰退産業を税金で助けるのか。それより廃業・転業・起業への資金援助を検討すべきであり、手当てした後、さらに大きな負債を抱えてつぶれる方が大ごとだ。資本主義の原則である。

ならぬことはならない、のである。とりあえず感染爆発を止めないと、飲むのも騒ぐのも出来ない。経済の停滞で「死ぬ」人たちには、新規雇用の創設のための議論を一方で進める。DXの時代、新たな業態や働き方が創出されるべきである。

それに金を使え!