アチャコちゃんの京都日誌

あちゃこが巡る京都の古刹巡礼

293 アチャコの京都観光日誌 伏見稲荷大社 御茶屋を訪ねる(訪れる人は少ないが・・・・。)後水尾天皇またまた登場。」

2018-02-19 09:55:17 | 日記

伏見稲荷大社に行って来た。

manekiさんの伏見稲荷大社への投稿写真1

ただし、恩賜の建造物があると言うので訪ねて来た。恩賜・後水尾院と、書いてある。

出た、後水尾天皇だ。達者な天皇、長生きした天皇(昭和天皇に次ぐ長寿)、子作りに励んだ天皇、幕府に抵抗した天皇。

伏見稲荷は誰でも知っているが、ここを訪れる人はいない。

宮司家の秦氏の迎賓館として使われた建物だ。

松の下屋。(したや)

稲荷大社の正面、神楽殿の南に位置する。注意して探して欲しい。

800坪の敷地に、庭園を囲むように、松の下屋、茶室瑞芳軒、そして「御茶屋」が配置されている。

庭園は、7代目小川治兵衛(植治)作庭と言われるが定かではない。

以前は遣り水が流れていたのだろうか?明治以降の特色である細かい植木の配置を楽しみながら回遊する。

程よく苔むしている感じが、とても良い。

後水尾天皇が、上皇として院政を行っていた仙洞御所から移築されたと言われる。

中には、狩野家の永徳・探幽の祖父・孫の襖絵が見られる。

誠に贅沢な空間だ。

馬酔木・つつじ・楓・南天・槇・松などが四季折々楽しめる。

京都のパワースポットで有名な伏見稲荷だが、日本人ならちょっと物知り顔で、こちらも訪れたい。

一緒に行った人から、一目置かれる事間違いない。

通常は拝観できない。事前に調べて行きましょう。

帰りには、名物の焼き鳥をいただく。スズメとウズラ。ややグロテスク。

骨抜きしてもらわないと食べにくい。(店内では骨抜きしたスズメを出してくれる。)

伏見稲荷は五穀豊穣の神様。その稲穂を食うスズメやウズラを取って食べたのが、起源らしい。

 


292 アチャコの京都観光日誌 柳谷観音 ② 良い写真がいっぱい 良い天皇がいっぱい

2018-02-19 08:13:19 | 日記

 煙を後にして、

本堂から中庭を通り、奥の院へ

御本尊は、中御門院「勅刻尊像」と書いてある。

勅刻?「天皇が自ら彫ったのですか?」納経を書いていた女性に聞いたら、「????分かりません。」

そこで調べて見た。

108代 後水尾天皇

109代 明正天皇(内親王女帝)

110代 後光明天皇(後水尾皇子)

111代 後西天皇( 同 )

112代 霊元天皇( 同 )

113代 東山天皇 (霊元皇子)

114代 中御門天皇 (東山皇子)

今上陛下は125代だからそんなに昔ではない。

このブログで、後水尾天皇は何度も紹介した。江戸時代初期の反骨の天皇だ。

江戸幕府の権力構築の過程で、

公武合体の為意図とせず、徳川和子(東福門院)を迎えた。(それでも多くの皇子をつくったが。)

紫衣事件など幕府権力と対抗し、突然内親王へ譲位した。

その後3代にわたり自分の子供達で皇位を繋ぎ院政を続けた。

そして、112代霊元天皇が登場する。この方も長寿を全うした天皇だが、晩年眼病を患う。

ここ柳谷観音で祈り、独鈷水で眼を洗い治療した。

その後、子の東山天皇が自らの皇子誕生を祈ったところ子を授かった。

さらにその子、中御門天皇に至り追善供養の意を込めて、奥の院に観音様を自ら彫った。

という事なのだ。

観音様は普段秘仏だ。

因みに、この江戸初期の天皇はみんな凄い天皇だった。

霊元天皇は、長く途絶えていた「大嘗祭」を復活させた。

一方、親幕府派の公家を多く左遷させたり、泥酔して宮中行事をぶち壊したり

大物だったのだ。

次の、東山天皇。元禄時代、例の忠臣蔵の「勅使」とは、この天皇の使いの事だ。うれしいのはその勅使が京都に戻った時、

内匠頭切腹に際して、その勅使が何も助けなかった事に激怒したと言う。宮中参内禁止にしたと言うから凄い。

元々、上野介を嫌っていたと言うから良い天皇だ。

28部衆達は、まだ極彩色が残っている。

 

作庭は江戸時代か?

ふすま越しの中庭が良い。絵になる。

飽きない眺めだ。

この廊下の端で、腹を切ったシーンが撮られた。

この部屋、どこかで見たぞ。

「日本で一番長い日」で、役所広司扮する阿南中将が切腹する場面。ここが使われたのだ。

松坂桃李扮する将校が横で控えていたシーンを思い出した。

この部屋でお目にかかったどこかの高僧らしい方にいろいろ話を聞いた。

宗派の事、年間行事の事、水脈の事など、このブログを書くに際して参考になった。

見事な手水鉢

楊谷寺の瓦 水琴窟の蓋になっていた。

苔むした灯籠

見どころの多い古刹だ。深深と寒さが足元に忍び寄る。

帰ってカーリング女子を応援しよう。