美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

ルオーのまなざし 表現の情熱 8/12~10/9 宮城県美術館

2017-08-19 19:07:56 | レビュー/感想
セザンヌの人生は視覚の真実を探る旅であったが、ルオーの人生は心の真実を探る旅であった。その意味で対極的な二人であったが、いづれも芸術が文化史的な背景から切り離されて久しい、近代という名の魂の荒野の時代を孤独ではあるが誠実に生きぬいた芸術家の典型ではあった。セザンヌの場合、「純粋な視覚」のために人生は絵画の背後にまったく封印されている。彼のカソリックへの信仰がどうであったかは、彼の絵画表現とは関係ない。一方ルオーの場合、彼の人生は彼の絵画と抜き差しならない関係を持っている。カソリシズムと絵画という二つの柱は切り離せないものとしてあった。画家の目は信仰者の目でもあった。この彼が、同じように画家であり信仰者であったゴッホが亡くなったその年に国立美術学校に入り画家としてのスタートを切っているのは、偶然とは思えない意味合いを持っているよう思える。ルオーは、ゴッホの精神的な嫡子として、その二つを一つとして生きる困難な狭き門を歩み通した、近代の画家の中ではほとんど唯一と言ったら良い存在だったかもしれない。

国立美術学校ではギュスターブモローのアトリエに入る。そのとき描いた作品「人物のいる風景」(1897。かってパナソニック汐留ミュジアムの展示会で見た作品の中でも最も印象深いもののひとつとして記憶に残る)はルオーの並々ならない力量を示している。単調な暗い色調ながら平板にならない奥行きと空間のリアリティを持っている。これはアカデミーの古典技法を器用に身につけただけでは、生まれ得ないものだと思う。モローの出題に応えた作品「ヨブ」(1892)も、ダ・ビンチの作品と同じく宗教画の様式に収まらないマチエールの深みを持っている。一見雑に見える細部のブラシタッチはモロー流でもあるが、表現の深みでは師を凌駕する資質を証ししている。

モローの死後、アカデミーを離れ、レオン・ブロア、ユイスマンスといったカソリックの作家と交わり、しばらく宗教的な主題に基づく作品を描く時期が続いたが、自分の資質にあった描き方を求めつつ、娼婦たちの姿を描くようになる。ルオーは激しい筆致で、闇の世界に生きる者たちの醜怪な姿を描き出す。レンブラントのような穏やかな宗教画を望むブロアの酷評を受けても、かつてゴヤやドーミエがそうであったように、ルオーの筆は彼の心が捉えたリアリティを描いて、イデオロギーに迎合するような嘘をつけない。ルオーの述懐を読むと、醜怪な姿は嘲笑するために描いたのではない。むしろそこには福音書のキリストのまなざしと同じ、罪を知っていても生きるために罪を犯さざる得ない者たちへの愛がある。

一方で、レンブラント時代のオランダ絵画のような構図と色彩を持った「法廷」(1909)という作品がある。そこに居並ぶ裁判官たちは、法衣に身を包み娼婦のように醜く歪んだ裸はさらしていない。しかし、その顔は悪鬼そのもの。自らの罪に無自覚なまま、特権的な地位から正義をかざして人を裁く者たちの真実の姿を鋭く暴いて、ルオーの筆は情け容赦がない。だが、ここでは展示されていなかったが、25年を経て描かれた「法廷でのキリスト」(1935)では、判事たちが寄り集まった悪霊の巣の真中、涼しげな瞳のキリストの姿が描かれている。この判事たちもキリストの救いの外側にいるのではない、究極においてはそのようにルオーは語りたかったのかもしれない。

ルオーの筆が描き出すのは、人間の心という名の底なしの奥行きである。そこに見えてくるのは娼婦や裁判官だけでなく、どんな人間にも備わっている深い罪の世界であった。モノクロの版画というメティエは、幾重にも重なった罪の姿の一つ一つを描くには適していたのだろう。ルオーは、油絵の制作を忘れるほどこの版画の制作に打ちこんだというが、タイトルと一体となって、レイアーに分けるように罪の諸相を表現できる手段であったのだと思う。版画で描かれる仮面や衣装をつけた旅芸人の姿は、罪あるゆえの悲しみを押し隠したわれわれ自身の、したたかで哀れな実存の姿でもある。(この版画については、前に「ミセーレ」をテーマに書いているのでそちらを見て欲しい。)

女の顔を真正面から描いた絵(「女曲馬師」1929)に目が止まった。じっと見つめているとまだうら若いこの女の素顔の下にも未だ発現しない罪が渦巻いているように思えてくる。女はまだ見ぬ罪、そしてこれまで犯した罪におののいているかのようだ。その隣にそっと真正面から見たキリストの顔(「聖顔」1939)を描いた絵を置いてみる。その顔は、むろんこの女のうちにも、そして娼婦、旅芸人、裁判官、すべてのルオーの絵の登場人物、いやすべての人の心の奥底にもあるものだ。「聖顔」を囲んで、本物の額の内側には描かれた額がある。そこまで強調された額は、心を宿した器たるわれわれの隠喩であろうか。罪あり、しかしすべての人はすでに救われてあり。ルオーの信仰的確信を受け入れるかどうかは別として、キリストの贖罪と復活、それは創造の神が司る永遠の相での完了の出来事であった。

ルオーはどこに行き着いたのだろうか。中心を失い分解していく近代絵画史にあって、一人中世の画工のように生きた一生。その反時代的な生き方はボードレールのような孤立と苦悩のうちにではなく穏やかに終末を迎える。ルオーが激しく罪の姿を描くことは信仰の深まりとともにだんだん少なくなっていく。代わりに現れたのはわれわれに親しまれている典型的なルオーの絵。弟子とともに路を歩む、あるいは立ち止まるキリストの姿を描いた魂の風景画(「聖書の風景」1935~)である。そこには単純な描線と色彩のヴァルールで描かれながら、あの奥行きがしっかりと表現されている。その卓越した技量の到達点は「古びた町外れにて、または台所」(1937)に見て取れるものだ。ドアの奥の部屋で光を浴びながら仕事をする人物。その前面にいる白い衣を着た人物。そして最前面のコンロと鍋など日常の道具。空間を引き締めているかまどの黒。見た途端、これはルオー流に描いたフェルメールであると思った。奥行きは遠近法のような技法ではない。奥行きが描けるかどうかは、心や魂の中心がどこにあるのか知っている信仰と関わることだ。レオナルドの奥行きの不思議さもそこから出ている。この絵はそのことを証ししているように思える。

ルオーのキリストは、人生という決して平坦ではない道を歩むすべての人の間近にいるインマニュエルの神である。数多くの路上のキリストを描いてルオーはさらに先へと歩む。その終局の表現は、神の愛のうちに「花」となった人の顔となる。豊かな色彩で花のように描かれた「アルルカン」、「ロサルバ」、「マドレーヌ」。人の顔は花瓶の花(「飾りの花」)とももはや区別がつかない。万物は照応しあい神への賛美を歌う。人も自然も神によって喜びのうちに創造された「花」である。神学や教義ではなく、感性の論理に基づいて彼が到達したところは、カソリシズムの教義とは疎遠な日本人にも奥底で響き合うもの。それは柳宗悦も繰り返しいうところ(参照「南無阿弥陀仏」)の、始まりの時からすべての人の心に宿り、万有に宿るひとつの神、愛の神であった。

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