美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

ザッハリヒカイトな現実を前に

2011-05-21 11:25:51 | レビュー/感想
「最後の河を渡ることのできない老人にはどんな運命が待ち受けているのだろうか。何もない。取り残され死ぬのみである。困惑しているかのように見える一匹の犬だけが見捨てられた男をみとるために残される。男はノマドの習慣を受け入れるしかない。彼の旅は終わったのだから。」(The harvest of the seasons from the asent of man by J.Bronowski 斎藤試訳)

40年の間荒野をさまよったモーゼも同じ現実に直面した。イスラエルの民を導いての艱難辛苦の旅を経て、モーセは約束の地を望む場所にたどりつく。しかし、神は言う。「お前は決して約束の地にたどりつくことはない」と。神の人モーゼもザッハリヒカイト(独:Sachlichkeit)な現実の前で倒れるしかない。

大津波の一週間後、東道路を超えて海岸に向かった。そこには泥、泥、泥。大木が根こそぎにされて横たわり、すべてが泥に覆われた原初のような光景が広がっていた。大地の表皮に繰り広げられた文化という名の様々な物語がすべてはぎ取られ、大地のはらわたが巨大な力によって露出させられているかのようだった。カメラを持っていたがそこで構図を考えたりする自分が、疎ましく感ぜられ、結局カメラをバックから取り出すことも出来なかった。

人間はこのザッハリヒカイトな現実に抗しつつ、夢を見、物語を作る。ときには芸術という名において。そして個々の人生においても私たちは死の持っている圧倒的な重力をさけて、やがてノスタルジーのうちに希望の生を描こうとするかもしれない。しかし、個々の人生の最後に均並みにあるのもザッハリヒカイトな現実でしかない。この死を超えうる物語はあるのだろうか。さあお前の文明や文化とやらでそれを変えてみたらいい。頭の中に渦巻く嘲笑の言葉。グリューネヴァルト(Matthias Grünewald)やホルバイン(Hans Holbein the Younger)などによる西洋のキリスト磔刑図は、そうした生の果ての無惨な死の現実を情け容赦ない筆致でつきつける。

この現実に抗するのは世界の外から来る物語、神の物語しかない。この人を見よ、とバプテスマのヨハネのやせて節くれ立った指は指し示す。その先には無言の受難によって死のとげを抜いた唯一の存在があった。

The Ascent of Man: Harvest of the Seasons (ENTIRE SHOW) - Jacob Bronowski BBC TV
http://www.youtube.com/watch?v=eZjSiHtaNdM&feature=related

I understand. It is very important to me, too--- I watched it first in '74. Just FYI, the place/method to check for the more obscure stuff, or actually, for anything----movie, TV etc., is in BitTorrents. Check it out it will change your life. Take care.(from users comment)

ブログ主の運営するギャラリーshopはこちらです


 



コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« いわての和菓子屋 | トップ | ノスタルジア 遠ざかる風景 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

レビュー/感想」カテゴリの最新記事