美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

野中光正 昭和45年東京下町素描集II 序文

2018-12-16 20:51:26 | レビュー/感想

1971年、当時西新宿に超高層ビル群を次々出現させつつあった、急激な社会変化の波は、戦後の強烈な生活の匂いが漂よう下町の風景をも、かろうじて余命を保っていた江戸の面影もろともに、一気に消し去ろうとしていた。
同じ頃、野中が描いた東京下町の姿は、まるで幻の生き物のようで、建物は喘ぎ揺らいで見える。ためらいのない筆の運びで、大胆に省略が施された風景描写は、一瞬の若い魂のエッセンスと陰影を映しつつ、誰もが逃れ得ない無常の真実を浮き上がらせている。
これらの風景が、包装紙やレコードの宣伝帯、薬の袋、書店の注文票など、生活の中で出会う雑紙の切れっ端に描かれているのに驚きつつ、一層の興味を引かれる。現場にそれら多様な肌合い、色合いの紙を持参して、その場で風景にふさわしい材料を選んで描く。その独特な手法に心に働きかけてくるものに即応しようとする純粋な意志を感じる。スケッチブックを用いることが、構えて「絵」を作り上げてしまう小賢しさにつながる。そのことを強く厭う気持ちがあったのだろう。
後年、写実を離れ、画室において独自の「抽象」を描くようになっても、この製作流儀は根本的に変わらない。「絵を描くことに具象も抽象もない」という日頃の彼の言葉に、改めて得心が行った。

以上は来年1月発刊を予定されている野中光正の若き日の東京下町の風景素描集に寄せた序文である。

関連して時代はもう少し後になるが、1974年の自分自身の記憶を記しておこう。この年の夏、わたしは東京を去ることになり、何か用事があってのことなのか今や判然としないのだが、久しぶりに新宿の西口に降り立った。そこで見たものはかつての風景ではなかった。空を映して広がっているはずののどかな浄水場(淀橋浄水場)の風景は跡形もなく消え去り、広い道路とそそり立つ高層ビル群の重なりがかつての風景をいっぺんさせていた。そこには今も加速される一方の近未来的な風景が出現していたのだ。政治と情念の季節を葬り去った、そのあけっら感として明る過ぎる風景の前で、浦島太郎のように唖然とするばかりの自分がいたことを今も思い出す。

野中光正展 2019.2.1(金)〜10(日) ギャラリーアビアント 墨田区吾妻橋1-23-30-101