ギュスターヴ・モローの作品は、30年近く前、パリのギュスターヴ・モロー美術館で見ている。パリ9区に立ち並ぶ古寂びた石造りのマンションのひとつが当の美術館で、大きな看板が立っている訳でもなく、地図を見ながらあちこち歩き回た末にようやく見つけ出した。852年から死去するまで暮らした邸宅がそのまま美術館になったのだという。2階の展示室に入ると赤っぽいオレンジ色の壁面一杯にどろりと重たい色彩のモローの作品が飾られていた。それらは東洋からのたった一人の闖入者めがけて一斉に襲いかかって来るようで、旅の疲れもあって具合が悪くなりそうになった。一点一点を鑑賞する気力も奪われ、3階に通じる美しい螺旋階段から部屋全体を眺め渡すばかりで、学生のとき読んだユイスマンスの「さかしま」に出て来るサロメの画家の本物を見たというだけで満足し早々に退散した。
汐留の展示は、モローとその弟子ジョルジュ・ルオーに焦点を当てて、作品数は少なかったが、二人を結びつける一本の筋がよく見える展示となっていた。焦点の定まった近年出色の企画だと思った。二人とも主義の連続によって出来ているかのように知的に構成された近代美術史とは無縁の画家で、神話的世界とカソリシズムという違いはあるにしろ、ヨーロッパに伏在するスピリチュアルな中世に根ざした絵を描いた画家と言える。
モローがフォルムより色彩を重視したのは、そこにこそ彼が絵画の柱とする霊感と感情が働くとの想いがあったのであろう。彼が描いた下絵も展示されていたが、その理論に従って、写実的なデッサンをベースにするのではなく、ダイレクトな霊感と感情の反映である色彩を下敷きに抽象表現主義の絵画を先取りしたような趣きの作品となっていた。ゴルゴダの3本の十字架を描いた絵(「ゴルゴダの丘のマグダラのマリア」)があった。十字架の上にはもう人影はない。ただ、十字架の下の血だまりのような赤がここでなされた壮絶な出来事を物語っている。贖罪の意味がここでは不在の肉体を超えて強烈に物質化されているのである。まさしく十字架上のキリストが不在のグリューネヴァルトの磔刑図(『 イーゼンハイム祭壇画』)であり、カソリックのサクラメントが絵解きされているよう感じた。
弟子のルオーの作品は、このモローのスピリチュアルな表現から散文的で装飾的な要素をそぎ落とし純化したもののように思える。近代美術のパースペクティブからは捉えられなかったルオー絵画の本質が、モロー作品を媒介にして鮮明に捉えられた。ルオーの表現は、師モローを経由して中世ゴシックのステンドグラスへと一直線につながっている。やがて有名な一連の「人物のいる風景」へと発展する、初期の同名の写実的な作品(一番感銘を受けた作品だった)は、見えているものを写そうとするだけの写実的技法を超えて、自然と人と、つまりは世界に埋め込まれた魂をつかむ天才的な能力を示している。
世紀末「薔薇十字展」のエキセントリックな組織者、ジョセファン・ペラダンは、自らが唱える神秘主義的な思想をビジュアライズ化した画家として、かねてより賞賛するモローを訪れた。ところが、アカデミー会員であることを理由に「薔薇十字展」への参加をやんわりと断られ、モローの穏やかな常識的な人柄に接して意気消沈したとのエピソードは面白い。このようなエピソードからも従来のオカルティシズムに寄り過ぎたモロー観を再考してみる必要があるだろう。
汐留の展示は、モローとその弟子ジョルジュ・ルオーに焦点を当てて、作品数は少なかったが、二人を結びつける一本の筋がよく見える展示となっていた。焦点の定まった近年出色の企画だと思った。二人とも主義の連続によって出来ているかのように知的に構成された近代美術史とは無縁の画家で、神話的世界とカソリシズムという違いはあるにしろ、ヨーロッパに伏在するスピリチュアルな中世に根ざした絵を描いた画家と言える。
モローがフォルムより色彩を重視したのは、そこにこそ彼が絵画の柱とする霊感と感情が働くとの想いがあったのであろう。彼が描いた下絵も展示されていたが、その理論に従って、写実的なデッサンをベースにするのではなく、ダイレクトな霊感と感情の反映である色彩を下敷きに抽象表現主義の絵画を先取りしたような趣きの作品となっていた。ゴルゴダの3本の十字架を描いた絵(「ゴルゴダの丘のマグダラのマリア」)があった。十字架の上にはもう人影はない。ただ、十字架の下の血だまりのような赤がここでなされた壮絶な出来事を物語っている。贖罪の意味がここでは不在の肉体を超えて強烈に物質化されているのである。まさしく十字架上のキリストが不在のグリューネヴァルトの磔刑図(『 イーゼンハイム祭壇画』)であり、カソリックのサクラメントが絵解きされているよう感じた。
弟子のルオーの作品は、このモローのスピリチュアルな表現から散文的で装飾的な要素をそぎ落とし純化したもののように思える。近代美術のパースペクティブからは捉えられなかったルオー絵画の本質が、モロー作品を媒介にして鮮明に捉えられた。ルオーの表現は、師モローを経由して中世ゴシックのステンドグラスへと一直線につながっている。やがて有名な一連の「人物のいる風景」へと発展する、初期の同名の写実的な作品(一番感銘を受けた作品だった)は、見えているものを写そうとするだけの写実的技法を超えて、自然と人と、つまりは世界に埋め込まれた魂をつかむ天才的な能力を示している。
世紀末「薔薇十字展」のエキセントリックな組織者、ジョセファン・ペラダンは、自らが唱える神秘主義的な思想をビジュアライズ化した画家として、かねてより賞賛するモローを訪れた。ところが、アカデミー会員であることを理由に「薔薇十字展」への参加をやんわりと断られ、モローの穏やかな常識的な人柄に接して意気消沈したとのエピソードは面白い。このようなエピソードからも従来のオカルティシズムに寄り過ぎたモロー観を再考してみる必要があるだろう。