美術の旅人 Voyageur sur l'art  

「美術」との多様な出会い。見たこと、感じたこと、思ったこと。

長江万里図巻

2012-01-18 16:03:26 | レビュー/感想
「北京故宮博物館展」(東京国立博物館)で、「長江万里図巻」を見た。この展覧会の目玉は「清明上河図」だが、これを見ようと連日大勢の人が押し寄せている。この日も開館少し前に訪れたにも関わらず、すでに長い行列が出来ていた。世界に先駆け近世を実現したという宋時代のリアルな都市生活の有様をタイムトラベラーのように眺めてみたい。そんな欲望に後押しされてこの国の老齢化のすさまじさを物語る銀波白波に溶け込んで(私自身もそうであるから)行列に連なった。

しかし、「清明上河図」をかぶりつきで見るには館外で1時間、館内で3時間半待たなければならないという恐ろしいことになっていた。ネットで調べると中国でも7年に一度のご開帳で、香港でも3時間以上待たされたという事例があるようだから仕方ないのかもしれない。それにしても一日かけて見る余裕はない。早々に諦めて、これは2列目から盗み見ることで満足し、もっぱら他の展示品を中心に見ることにした。

そこで何の予備知識もなく出会ったのが「長江万里図巻」だった。「清明上河図」が人間やその生活の営みを描いたとすると、ここには広大無辺な大陸の自然が描かれている。横10メートル近く、西洋の遠近法絵画とは別の墨の濃淡だけの奥行き表現で、生命感を途絶させることなく流れるように描かれた絵巻を左から右へと移動しつつ見ていくと、まさしく音楽が聞こえてくるようだ。それも室内楽ではなく悠々たるフルセットのオーケストラの響きに巻き込まれて、見る者はその中の点景人物となって峨々たる山々に隠れ、泡立つ波に身を漂わすばかりとなる。掛け軸の絵に縮められ(実際に渡来した宋元画のほとんどが掛け軸用にカットされているのだという)日本の水墨画ではとても得られない、まさしく大自然に身を委ねる仙人となったような全身的感覚体験。

最後のシークエンスに、尾形光琳の波の逆巻く様を物の怪のように描いて、デザイン的であることを逸脱した自分好みの絵、「波涛図」をふと思い浮かべた。光琳もこの絵を模写かなにかで見ていたのだろうか。中国伝来の美術を工芸的なものとして展開し何でも身近な「かわいい」ものにしてしまう、日本人の才能には敬服しつつも、元絵に初めて出あって世界を丸ごと描こうとするとてつもない力量に正直驚かされた。

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