横尾忠則が北斎をテーマにした対談集の中で俵屋宗達へのオマージュを捧げている。宗達は琳派の先駆けとして知られるが、尾形光琳とは隔絶した個性だというのが横尾の意見。光琳はヨーロッパの印象派、アールヌーボー、そして現代のデザインにも大きな影響を与えている。ロジカルに組み立てられた装飾性やデザイン性はユニバーサルなものへとつながる契機を持っている。しかし、究極はコルビジェのユニバーサル様式から派生した世界中どこでも見られる真四角のビル街にも似て、退屈至極の環境をつくってしまう。岡本太郎流に言えば「これは何だ!」というものを駆逐してできあがった魂のない抜け殻の世界である。それに対してアモルフな宗達絵から系譜するのは、デザインや美術教育では絶対共有できない暗黙知の世界。室町の幻妖な屏風絵から遡って、岡本太郎が日本の「模倣西洋画」の歴史やそれを支えている制度的なものに投げつけた縄文土器という爆弾までつながる代物ではないか。
京都に行った折には必ず国立博物館に立ち寄るのが習いだが、平安や鎌倉の古い仏像が集められた部屋は入るたびに戦慄を感じる。神学者オットーに言うヌミノーゼの感情がわき起こる。天に向かって屹立した巨大な石の聖書のようなシャルトルの大聖堂に対面したときも同じ畏れの感情に襲われたことを思い出す。
京都に行った折には必ず国立博物館に立ち寄るのが習いだが、平安や鎌倉の古い仏像が集められた部屋は入るたびに戦慄を感じる。神学者オットーに言うヌミノーゼの感情がわき起こる。天に向かって屹立した巨大な石の聖書のようなシャルトルの大聖堂に対面したときも同じ畏れの感情に襲われたことを思い出す。