グラミー賞を18回受賞、ロックの殿堂入りを3回果たすなど、長年音楽界を牽引し続ける世界的スーパースター、エリック・クラプトン(1945~)。彼の壮絶な生きざまを振り返ったドキュメンタリーが、リリ・フィニー・ザナック監督のイギリス映画「エリック・クラプトン―12小節の人生―」(11月23日公開)です。ジェフ・ベック、ジミー・ペイジとともに、世界3大ギタリストのひとりにあげられているクラプトン。お金や名声よりも音楽性を優先し、愚直なまでにブルースに身を捧げ、天才の名をほしいままにしてきた。だが、私生活では欲望と愛情、快楽と幸せの区別もつかないまま、いつも“何か”を探してさまよい続けてきたという。そして、酒、ドラッグ、女、音楽、すべてのものに溺れていく。1960~70年代のミュージックシーンを再現、本人自身の率直な告白も交えた激烈な記録だ。
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祖父母によって育てられ、実の母親から拒絶されるなど、幼少期のトラウマとなった複雑な家庭環境から、自己破滅的な怒りと世間に対する不信感を抱くようになったというクラプトン。その寂しさ、怒り、拒絶という感情を和らげるため、ラジオ番組で紹介されていたブルース・ギターの世界に奥深く逃げ込む。チャック・ベリーらから、時代を遡るようにしてブルースへの関心を深め、16歳のときに初めて聞いたロバート・ジョンソンの存在は決定的だった。やがて、レコードやスタジオを相手に、ひたすら模倣の日々を続け、自分のスタイルを確立する。意見の相違から、さまざまなバンドを転々とし音楽の魂を追求する。ともにギターの腕を競い合った仲間たちの喪失、親友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドへの苦悩に満ちた恋。そして最愛の息子コナーの死。どん底に転落した人生の転変…。
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映画には、ジョージ・ハリスンやジミ・ヘンドリックス、B.B.キングをはじめ、若いころのザ・ローリング・ストーンズ、ザ・ビートルズ、ボブ・ディランなど、豪華アーティストも登場する。また、デレク・アンド・ザ・ドミノス時代のライブ映像をはじめ、邸宅ハートウッド・エッジでのプライベート映像、デュアン・オールマンとの「いとしのレイラ」のレコーディング風景、ザ・ビートルズとともに「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」をレコーディングするフィルム映像、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズをTVで見ていたボブ・ディランが、ギター・プレイを絶賛しているシーンなど、貴重な映像が音楽的なストーリーに彩りを添える。こうしたアーカイブ映像の処理、モンタージュがみごとであり、最大の見どころとなる。ファンにはたまらない音楽シーンである。
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また、長年にわたるクラプトンのプライベート映像のかずかず。ヤードバーズ、ジョン・メイオール&ブルースブレイカーズ、クリーム、ブラインド・フェイス、デレク・アンド・ザ・ドミノスとのグループ活動、そしてソロへというミュージシャンとしての変遷。更に、私的な日記や手書きの手紙、デッサンなどを取り入れ、その時々の心情をクラプトン自らがナレーションで率直に語る。関係者のインタビューを極力排除し、自分自身を見つめ、誠実に波瀾に満ちた人生を赤裸々に映し出す。ジョージ・ハリスンの妻を寝取り、病的なまでの女性遍歴を持ち、あげくドラッグとアルコールに溺れ、ステージ上では観客に向かって喧嘩腰の発言をするなどしていた反逆時代。そして、1980年代はじめに復帰を果たすが、4歳の息子コナーがマンションの53階から転落して亡くなってしまう。だが逆に、そのことがクラプトンを正気に返らせたという。音楽が再び痛みを和らげ、以後は亡くなった息子を思いながら生きるという覚悟のもと、音楽生活に没頭。これで音楽と節制、健康で幸福な人間関係に拠り所を、生きる力と癒しを見出していくくだりは、少し呆気ない気もするけれど。
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リリ・フィニー・ザナック監督はアメリカ出身。型破りな題材を見つけ、ヒット作に変える才能を持ち、映画業界でも創造的な製作者・監督として脚光を浴びる。1978年に、プロデューサーのリチャード・D・ザナックと結婚。89年の「ドライビング Miss デイジー」ではアカデミー作品賞を受賞。クラプトンとは25年来の友人だとか。そして、ドキュメンタリー製作はフィクションとはまったく違うと言う。インタビューや記録物から有機的に物語を紡いでいくと。彼女は語る―「何時間にもわたるエリックへのインタビューは、かなり普通とは違うものになった。“彼をよく知っている”という前提には立たないように心がけ、そのことが互いに功を奏したと思います」と。クラプトンは、1974年に初の来日公演を行った。以来、2016年まで、これまでに21回、公式な形で日本にやってきた。本作は、クラプトンの生きざまを通して、その時代を浮きぼりにした衝撃作だ。(★★★★+★半分)