わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

イラン映画界の新しい波「彼女が消えた浜辺」

2010-08-31 17:15:52 | 映画の最新情報(新作紹介 他)

Img327 イラン映画「彼女が消えた浜辺」(9月11日公開)は、過去の同国の作品群とは趣を異にする内容になっています。イラン映画のテーマといえば、貧困・難民問題、戦火の被害や、保守的で抑圧的な社会の問題などだった。ところが、本作の主人公は、学識がある中流階級の男女たち。大学時代の友人同士である彼らは、家族11人でバカンスを楽しむためにカスピ海沿岸のリゾート地に出かける。リーダーは、朗らかな主婦・セピデー(ゴルシフテェ・ファラハニー)。彼女は、みんなとは面識のない女性で、子供たちが通う保育園の先生・エリ(タラネ・アリシュスティ)を一行に加える。その意図は、美しく知的なエリを結婚に敗れた男の友人に紹介すること。だが休暇2日目に、エリが海辺で失踪するという思いがけない事件が起こる…。
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 映画は、テヘランからリゾート地に向かって、ハイウェーを疾走する車のシーンから始まる。バカンスに出かける解放感で、はしゃぐ人々。窓から身を乗り出し、わめきちらすセピデー。これだけで、これまでのイラン映画の雰囲気とはちがう、恵まれた階層の都市生活者のドラマであることがわかる。やがて、浜辺の古びた別荘でくつろぎ、海辺で興じる家族たち。しかし、エリの突然の失踪で、彼らの間のムードががらりと変わる。必死の捜索、責任の押し付け合い、各人の胸にふくれあがる疑惑と罪悪感、妻に暴力をふるい始める夫…。つまり、封建的なイスラム社会から自由になったはずの知的ブルジョア階級の人々の心の底にも、いまだに偏見や猜疑心がくすぶっていることを、映画は無言のうちに語りだす。
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 こうした語り口は、海辺での女性の失踪をめぐってブルジョア階級の精神の不毛を問いかけたイタリアの巨匠、故ミケランジェロ・アントニオーニ監督の「情事」(60年)を思い出させます。監督・脚本を手がけたのは、イラン映画の未来をになう新たな旗手の登場といわれるアスガー・ファルハディ。ハンディカメラを駆使し、かつ演劇的な手法も取り込んで、人々の苦悩と、不気味にざわめく海の情景を、いわば西洋的な作劇術でとらえる。同監督は、「本作のメッセージのひとつは、文化・教養は偏見を排除するものではないという事実だ」という。とはいうものの、この作品は異色の心理サスペンス&ミステリーであり、フェミニズム作品であることも間違いない。イランでは09年の年間興行収入2位となるヒットを記録、第59回ベルリン国際映画祭では最優秀監督賞(銀熊賞)を受賞した話題作です。


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