わくわく CINEMA PARADISE 映画評論家・高澤瑛一のシネマ・エッセイ

半世紀余りの映画体験をふまえて、映画の新作や名作について硬派のエッセイをお届けいたします。

名女優・田中絹代-生誕100年

2009-04-29 22:09:49 | スターColumn

Img087_3 日本映画史上、最高の女優といわれる田中絹代(1909~1977)が、12月に生誕100年を迎えます。代表作は、日本初のトーキー映画「マダムと女房」(31年)、大ヒット作「愛染かつら」(38年)、「西鶴一代女」(52年)、「雨月物語」「煙突の見える場所」(53年)、「楢山節考」(58年)など。熊井啓監督の「サンダカン八番娼館・望郷」(74年)では、ベルリン映画祭女優演技賞を受賞。53年の「初恋」で初監督に挑戦し、計6作品の演出を手がけました。生涯を映画にかけ、最期まで女優業をまっとうした人です。

 最近、この田中絹代の2冊の伝記、古川薫著「花も嵐も/女優・田中絹代の生涯」(文春文庫)と、新藤兼人著「小説・田中絹代」(文春文庫)を読みました。前者は、激動の昭和史を背景にした客観的な伝記。後者は、脚本家として絹代作品にかかわり、溝口健二を主題にした「ある映画監督の生涯」(75年)で絹代にインタビューした新藤監督だけに、彼女の人間としての裏表を、歯に衣着せることなく、あからさまにしているところが面白い。そして、2冊の伝記に共通するのは、女優としての田中絹代の壮絶な生涯の描写です。Img088

 下関で生まれた絹代は、実家が破綻して7歳で大阪に移住、10歳で琵琶少女歌劇の舞台に立ち、小学校にもロクに通えなかった。やがて、14歳で松竹に入社、サイレント映画で女優人生が始まる。その後、17歳で清水宏監督と同棲、2年後に別離。この貧困と、映画が生涯の恋人となる、という2点が、彼女の女優としての意地を支えます。そして、人生のクライマックスは、「浪花女」(40年)以来、「山椒大夫」「噂の女」(54年)まで続く溝口健二監督とのコンビ作で演技派として開眼、同監督に思慕を寄せるくだり。更に、1950年、親善使節としてのアメリカ帰りの彼女が、派手なスタイルと投げキッスでヒンシュクを買った事件や、生涯、家族の犠牲にならなければなかったことが人生の試練となります。

 田中絹代の最高作といえば、なんといっても溝口監督の「西鶴一代女」でしょう。原作は井原西鶴。京都御所に仕える女、お春が、公家の若党と愛し合ったために追放され、転々と男性遍歴を重ねた末に、夜の巷で街娼にまで転落していく。運命に翻弄される女の悲劇を、42歳の絹代は渾身の演技で熱演。冒頭、羅漢堂に入ったお春が、五百羅漢の像を見つめるうちに、そのひとつひとつが過去に関係した男の顔に見えてくるシーンが鬼気迫り、絹代の人生を象徴するかのようでした。田中絹代、享年67。50年余りも女優人生に執着し、老いても闘い続けた姿は、日本の映画史そのままを映し出しています。

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わが家の庭に咲いた水仙


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