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【特別対談】古賀茂明vs高橋洋一(前篇)

2011-07-22 20:56:06 | 日記

【特別対談】古賀茂明vs高橋洋一(前篇)
公務員制度改革はかくて骨抜きにされた
われらは敵だらけの中でいかに戦ったか

いま日本で、最も有名な公務員と言えば、経産省の古賀茂明氏であろう。その著書『日本中枢の崩壊』(講談社)は、公務員制度改革が官僚たちの抵抗と政治過程の中で、いかに骨抜きになっていったかを描き、36万部の大ベストセラーとなっている。

一方、高橋洋一嘉悦大学教授は元財務官僚で、小泉政権時代には竹中平蔵総務大臣の補佐官を務め、続く安倍、福田政権では公務員制度改革に、内閣の内と外から関わってきた。いわば、公務員制度改革の先達である。こちらも、『さらば財務省』(講談社)、『霞が関をぶっ壊せ』(東洋経済新報社)で、官僚の生態と公務員制度改革の必要性を鋭く説いている。

公務員制度改革の真実を知る二人が、公務員制度改革の必要性、官僚たちの抵抗、政治の実態について、縦横無尽に語り合った。前半は、今回の公務員改革のスタートから、麻生政権下で、国家公務員法改正案が、廃案に追い込まれるまでを語る。
(撮影/宇佐見利明)

安倍政権の第1段ロケットと
福田政権の第2段ロケット

司会 最初に、お二人がどのように公務員制度改革に関わってこられたかから、お話しください。まずは、改革の先輩である高橋さんのほうから……。

高橋 公務員改革は非常に重要ですが、これをやると他の仕事ができなくなるかもしれないからというので、各歴代内閣がほとんど手をつけてきませんでしたね。あの小泉(純一郎元首相)さんですら、公務員改革は必要だけれど、まず郵政民営化と言って、結果的にはほとんど何もできなかった

 

高橋 私は小泉さんの時に、竹中(平蔵総務大臣・当時)さんの補佐官をしていて、2006年9月に小泉政権が終わったときに辞めようと思っていたのですが、後を継いだ安倍(晋三元首相)さんから連絡があって、内閣参事官(総理大臣補佐官補)として官邸に残ることになった。安倍さんはもう最初から、この公務員制度改革を意識していたという非常に変わった人だった(笑)。とにかく国の在り方を変えたいという大きなビジョンを持っている人だったから。

 私は安倍政権では、安倍首相、中川秀直自民党政務会長・幹事長のスタッフとして、渡辺大臣就任後は渡辺さんのスタッフとして、公務員制度改革に携わってきました。

 安倍政権のときの最初の担当だった佐田(玄一郎行政改革担当大臣・当時)さんには、荷が重すぎたようだったけれども、ある事件があって佐田さんが辞任して、2006年の12月に渡辺喜美さんが後任の行革大臣についた。安倍さんは、本気で公務員改革をやるために渡辺さんを担当にしたので、渡辺さんの持ち前の馬力で改革が進んでいくことなった。安倍さんの時にやったのが、天下りの斡旋禁止や能力主義の導入などを入れた国家公務員法の改正で、2007年の7月に成立した。これがいわば改革の第1段ロケットです。

 その後、その年の9月に自民党が参議院に負けて安倍さんが退陣し、公務員制度改革は渡辺さんが担当したまま、福田政権でやるようになった。そのときにやったのが、国家公務員制度改革基本法。最初の天下り斡旋の禁止だけだと不十分だったから、改革の全体をパッケージにしたものだった。これが、第2段目のロケットです。

 これもすったもんだしたのだけれども、民主党も協力してくれて2008年の6月6日に成立した。ただ、この法律はプログラム法というもので、いついつまでにこういう改革をやるという目標を掲げたものです。だから、それを実行するために、7月に内閣に「国家公務員制度改革推進本部」が設置された。実際には、実務をつかさどる事務局が重要になる。

 2008年3月には、私も公務員をやめていたので、誰がこういう改革ができるかというと、古賀さんというので、渡辺大臣の肝いりで古賀さんが事務局の審議官に選ばれたということだったのですね。

古賀 私が公務員制度改革に関わるようになったのは、実は2006年の12月に渡辺さんが入閣したときで、渡辺さんから呼ばれて「補佐官になってくれ」と言われたのです。しかし、私はその少し前に、大腸がんの手術をしていて、抗がん剤を飲みながら治療していた。それで途中で倒れると困るからと断った。そのとき、ただ断るのは悪いから、経産省の後輩で原英史君(現・政策工房社長)を、「すごいのがいますよ」と言って、渡辺さんに紹介した。

 渡辺さんもすごいのは、原君に会って5分、10分話しただけで、「じゃあ頼むな」と採用を決めたこと。原君が渡辺さんの下で、ずっと法案をつくることになるわけですが、まだ私よりだいぶ年次も下だし、これから総務省とか、人事院とか、(首相)官邸官僚と戦わないといけない。そこで、原君の下に同じ経産省の金指壽君という若手をサポート役としてつけた。この二人は大変優秀なのでけれども、大変なところに出しちゃって、「悪かったかな」と、思ったりしました。

高橋 そこのところは、実は結構体制が整いつつあったのですね。最初に渡辺さんが行革担大臣と来たときに、官邸と共闘を組まないといけないのですが、私はそのとき官邸で補佐官補として公務員改革以外の他の仕事もやっていた。渡辺さんの大臣就任日は年末だったけれど就任式の直前、朝早くから某病院に閉じこもり、私と二人だけで打ち合わせをした。安倍総理の指示も伝えた。

 その後も、古賀さんが来なかったから私が渡辺さんのサポートをしたが、官邸勤めの場合は兼務は難しい。原君が来てくれて私はとても助かりました。渡辺さんは基本的に官邸にはいないので、物理的に離れていると改革をやるのがすごく難しい。原君が来て、それで私は官邸のほうで改革に取り組む。そのときの官房長官が塩崎(恭久)さん。

「塩崎さんと渡辺さんが改革の原動力だった」(高橋)、「渡辺さんのすごいところは即断即決」(古賀)

 塩崎さんは、最初はあまり改革に積極的ではなかったのですが、すぐに重要性を理解しすごく前向きになってくる。官房長官だから、我々もすごくやりやすくなった。塩崎さんがいなかったら、もっと大変だったと思いますね。渡辺さんと塩崎さんも、いい関係でうまくやっていた。安倍さんのほうは「任せた」という感じでしたから、そこですいすいといくという感じになったのです。

高橋 それでも、いろんなスケジュール戦法とか、本当にひどいことをやられた。反対派の官邸官僚が、安倍さんの海外日程を全部先に押さえるのです。一番ひどかったのは、最初の国家公務員法改正案を出すときのことです。国会の日程が、1日足らなくなってしまい、改正案が廃案になってしまうという話になった。守旧派の官邸官僚が安倍さんの海外スケジュールなどをうまく組みこんで、日程を足りなくするわけ。しかし、安倍さんが最後に、「じゃあ、日程を延長しよう」と。ただ、この法案だけで延長するとは言い出しにくいので、あといくつか体裁が整うように法律を何個かくっつけて、国会を延長して通してしまった。

司会 それが2007年7月の国家公務員法の改正ですね。

高橋 そうです。安倍政権のときにやった1段ロケットの主な内容は、いわゆる天下りの斡旋禁止と能力主義人事の導入ですね。公務員制度改革をどうやっていくかについてはいろいろやり方があるが、基本は入口と中間と出口の改革です。入口のところは省庁別ではではなくて一括採用する、中間はきちんとした人事評価を行う能力主義人事を入れる、そして出口のところで省庁ごとの天下りの斡旋を禁止する、おおよそそういうふうにわかれる。

 1段ロケットでできなかった入り口とか中間の話――とくに官邸が幹部官僚の人事を一元的に行う内閣人事庁の設置などを、福田政権のときに国家公務員制度改革基本法という2段ロケットで、やろうとしたわけです。

組織・人・カネをおさえている
財務省こそが霞が関を運営

司会 原さんや金指さん、それに渡辺さんの頑張りがあって、国家公務員制度改革基本法が、2008年の6月に成立することになるわけですね。骨子は、①国の行政機関の内外から「国家戦略スタッフ」および「政務スタッフ」を登用する、②幹部職員人事の内閣による一元管理、③国家議員と官僚の接触の透明化、④キャリア制度の廃止と新しい採用方法の導入、⑤「内閣人事局」の設置という、画期的なものだった。

古賀 福田さんのときに渡辺さんが採った手法は、自民党の中で反対派のほうがずっと多くても、渡辺さんが引っ張って案をつくり、みんなが見ている前で「総理どうしますか、やりますか、やめますか?」と聞くのです。そうすると総理は本当はやりたくないのだけれども、ここで改革をやめるっていうと、全て自分の責任ということになって支持率下がるから、「やるしかないか」ということになる。

高橋 すでに話したように制度改革基本法はプログラム法なので、目標を実行するために、 「国家公務員制度改革推進本部事務局」というのが設置される。そして古賀さんが、そこの審議官になる。

古賀 着任したのは、2008年の7月28日です。

高橋 私は何人か本当に改革に取り組もうとする人がいれば回ると、実は思っていたわけです。全員が前向きということはあり得ないから。各省庁から事務局に来る人というのは、はっきり言って改革つぶしのために出向させられている人ばかり。そこで仕事してしまったら、多分、各省庁に戻れないという話になってしまう(笑)。だからはっきり言って、みんなサボタージュする。あのときの事務局長はどなたでしたか?

古賀 事務局長は立花(宏)さんで、経団連専務理事だった方です。次長が二人いて、一人は民間の人で、で、もう一人が元総務省事務次官の松田(隆利)さんでした。

高橋 あ、そうだ松田さんでしたね。

古賀 結局、松田さんが元次官で大物だし、官邸のことも役所のこともよくわかっているので、事実上は彼が仕切るという形になった。

 松田さんは、官僚の中では改革派かもしれないということで、事務局に呼ばれたのですね。どうしてそう見えるかというと、総務省で行政改革などをやっていた。総務省は行革などをやる場合に、自分の所管の業界を持っていないから、割合に改革派に見える。ところが、実際は間接的に、各省からのいろいろな天下りポストを提供してもらうのです。

 

古賀 なぜかというと、総務省の中に行政管理局という局があるが、ここは各省庁の組織やポスト、定員などを査定するところです。予算などお金の査定は財務省の主計局でやる。そうすると、みんなそこで自分たちに有利な査定をしてもらいたい。総務省から見れば、「今度、うちの審議官辞める時に、おたくのなんとかいう団体のポスト一つ空けて」みたいなことが行われている。ただし、それを除けばね、どこかの業界を守るという必要はないわけです。

 だから、ちょっと見ると改革派というか、中立的に見える。でもよく考えてみたら、やはり公務員だから、公務員制度改革については中立ではあり得ない。絶対守るほうに回ってしまう。私とか高橋さんみたいな人は、例外中の例外。だから、事務局の人事としては少し失敗だった。

高橋 これはね、意外にみんな知らないのだけれど、古賀さんが言う行政管理局の公務員の定員枠を査定するポスト、あれは歴代財務省からの出向者が事実上やっていますね。出向の後はだいたい主計局に戻されている。

古賀 とりまとめをする管理官ですね。

高橋 そこが財務省からの出向だから、実は財務省なのです(笑)。それから公務員の人事行政全般を担当する人事院にもポスト持っている。さらに給与については、公務員のこのポストは給与がいくらと決めるのは、財務省の給与共済課。それに共済は年金のことだから、公務員の福利厚生なわけです。

「財務省は霞が関の人事部みたいなもの」(高橋)、「改革に対してほとんどの公務員は絶対守るほうに回る」(古賀)

 普通の会社でいうと人事部の役割が、政府の中だと財務省と総務省と人事院におおよそ分かれているのだけれども、財務省はその三つ全部にポストを持っている。だから、はっきり言えば、実は財務省が公務員制度を運営している。権力が分散しているように見えるけれども、財務省が重要なポストを握って霞が関の人事部として、強い力を持っている。恐らく、財務省はいろんな経路でプレッシャーかけて、公務員制度改革反対の音頭をとっていたでしょ?

古賀 とっていましたね。

高橋 裏で全部、各省の秘書課長とか、そういう人たちを束ねて。

古賀 法案の原案みたいなのものを、各省に説明するじゃないですか。そのとき、各省の人事課長とか秘書課長とか出てくる。そこには財務省の秘書課長もいるのですが、非常に慎重な言葉遣いで、絶対に「反対」とは言わない。言葉を選んで「これでいいんでしょうか」みたいなこと言う。そうするとね、他の役所の人事課長とか秘書課長が安心して、まともに「反対、反対」と言いだすのですね。

 要するに、財務省が何を言うかを見ていて、「あ、財務省も裏で支えてくれるんだな」と思うと、安心してワァーッっと反対する。そういう感じが非常にありました。

官邸官僚の反対で
2週間遅れで着任

高橋 古賀さんに一つお聞きしたかったのは、原君クラスの人がみな辞めたのに、なぜずっと残ったのですか?

古賀 だって私がいなくなったら、改革がめちゃくちゃになってしまいますよね。そもそも渡辺さんは私が事務局の審議官になった数日後(2008年8月初め)に、福田さんの内閣改造によって更迭されてしまい、私としては全く予定が狂ってしまった。

 それでも渡辺さんは自民党に残っていたから、自民党のいろんな公務員制度改革関係の会議――平場(ひらば)、要するに一年生議員まで出られる会議に渡辺さんが出てきて、がんがんやってくれる。塩崎さんとか中川(秀直)さんなども、応援してくれる。

 私が事務局にいた時は人事院の権限や総務省の組織を査定する権限の両方を、内閣人事局にもってこようという方向で法案をつくったのです。最初、私は事務局に入るのが、他の人よりも少し遅れた。なぜかというと、福田総理が反対しているとか、官邸官僚がいろいろ反対して。

古賀 それで2週間くらい遅れたのですが、その間に、法案策定の基本方針ができており、国家公務員制度改革基本法には人事院とか総務省から機能を移管しますと書いてあるのに、移管しなくていいとか、国家戦略スタッフは先送りするというような話になっていた。私は「基本法には移管すると書いてありますよ」と言って、ひっくり返しにいくのです。

 福田さんは本当は公務員制度改革をやりたくなかった。

高橋 福田さんはもともとがね、お父さん(福田赳夫元首相)は大蔵省(現財務省)の出身ですから。福田さんの元には財務省の人がたくさん来るわけです。それで福田さんはそれほど官僚について悪く思ってないですね。

事務局の中はすべて敵
マスコミを味方につける

司会 福田政権は内閣改造を行ったものの、それから二月ともたずに、2008年9月に福田首相が退陣を表明して、麻生政権が生まれます。

高橋 麻生政権になって政治がうまくいかないと、次々に改革派の人が辞めて、「これ苦しいのかな」と、正直いって思っていました。だから、古賀さんが残っていたのが、私からするとクエスチョンだった。それで、今話を聞いたらやはり責任感だと。それを聞いて得心しました。

古賀 しかし、年が明けたら渡辺さんは、自民党まで辞めてしまった。

高橋 そう、それはね、古賀さんの話も関係あるのですよ(笑)。渡辺喜美さんとはずっと昔から付き合いがあるし、サポートしてくれというから、ずっとそうしてきた。公務員制度改革をやるっていうのが彼のミッションだから、逆に言うとそれができなかったら、自民党にいてもしょうがないと。

 2007年だったか、不穏な動きがあって、渡辺さんは一度、行革担当大臣をを辞めると言っていたのです。首相が安倍さんから福田さんになった時に、クビ切られると思っていたから。渡辺さんは度胸があるというか、「おれは最後は腹を切ってでも改革をやりたい」と、そういうふうに言っていた。

 その覚悟が福田さんを動かし、08年6月に、国家公務員制度改革基本法が成立したのだけれども、そのあとにっちもさっちもいかなくなったっていうところが、実はあったのですね。それで結果的に 8月の福田改造内閣の時に、渡辺さんは辞めさせられた。それで渡辺さんの推薦で7月に事務局の審議官になった古賀さんと、時期がずれてしまった。

 

高橋 渡辺さんがいなくなって、結構大変だったでしょう?

古賀 いや大変です。例えば毎朝、大体、課長以上はみな出るような連絡会というのがある。その連絡会というのが3分ぐらいで終わるのです。それで気がついてみると、その後に私を除いた幹部が、テーマはその時ごとに違うのだけれども、会議をやっているわけ。それで、私だけがそれに入れない。まあ本当に大変だったのだけれど、私の場合はとにかくマスコミに応援してもらう、もうそれしかないのです。だって、私のチームにいる若手の改革派を除くと、ほかは全部敵なのですから。

 法案を国会に上げるときも、自民党の政審(政調審議会)・総務会で了承を得るという手続きがあるのですが、その総務会なんて全員反対ですからね。もうずらっと元幹事長とか、元総務会長という長老が並んで、手を挙げて意見をいう人が全部反対なのです。これでは法案は総務会を通らないと思ったのだけれども、マスコミが応援しているし、麻生政権の支持率がどんどん下がっている中で、私たちがつくった国家公務員法の改正案をつぶしたら、「政権がアウトだね」というふうことになって、総務会で承認されたのです(笑)。

高橋 結局、そうした逆風を乗り越えて、2009年3月に麻生内閣によって、組織と人事を内閣で一元的に管理するために、人事院と総務省の権限を集約して「内閣人事局」を設置することと、国家戦略スタッフの創設を柱とした国家公務員法改正案が、国会に上げられた。

苦心の国家公務員法改正案は
なぜ廃案になったか

司会 そのとき民主党の対応はどうだったのですか?

古賀 私が事務局の審議官をやっていた時は、民主党の行政改革調査会の幹部が松井孝治さん、松本剛明さん、馬渕澄夫さんの3人で、私たちは「スリー(3)M」と呼んでいた。彼らが中心になって「裏で自民党が、改革の足を引っ張っているのではないか」などと質問してくれていた。援護射撃ですね。

 そういうことで、法案を出すところまではよかったのですが、もうすぐ衆議院選挙だぞとなり、民主党が勝つぞという雰囲気が出てきら、公務員の組合がものすごく反対し始めた。要するに改正法案は人事院の権限を弱くするという話で、かれらは人事院に守ってもらっていますからね。そしたら、松井さん、松本さんが一気にすごく慎重な態度に変わってしまった。馬渕さん一人だけは頑張っていたのだけれど、最後には国会で質問させてもらえなくなった。

 

古賀 実はそのとき、自民党の林芳正さんと松井さんたちの間で、われわれの公務員法改正案を骨抜きにする修正協議が進んでいたのです。全く裏の協議で表には出ませんでした。林さんも松井さんも見えないところで、われわれの足を引っ張っていたのですね。この裏取引は成立寸前までいったのですが、結局、最後は民主党は修正も放棄して反対することに方針転換してしまいました。

 これは恐らく、そのとき民主党の幹事長だった小沢(一郎)さんの考えだと思うのですが、要するに、法案を修正して通したら手柄が自民党と半分ずつになる。それより「自民党だから、こんなにくだらない改正案しか出せないんだ」と言って、思い切り蹴飛ばせと。民主党であれば何でもできますと言って、選挙で戦えという方針が出て、改正案はそれで廃案になった。

 そこで私たちは、そんな偉そうなことを言うのだから、民主党は本当に公務員制度改革をやるだろうと思ったし、民主党政権になったらもっと改革ができるかもしれないので、今の案よりもっと激しい改正案を作ろうと、準備を始めました。

 結局、公務員制度改革に積極的な総理は、「これをやりたい」ということがある人ですね。安倍さんの場合は国の形を変革したい、要するにやりたい大きなことがあるので、いろんな制度を変えなくてはいけない。

霞が関を敵に回して改革に奔走した高橋洋一氏(左)、古賀茂明氏(右)

 一方、公務員というのは、基本的に今の制度を前提に人生のすべてを組み立てている。70歳までの生活設計っていうのが、天下りを含めて今の制度に乗っかってできている。それを大きく変えられてしまうと、必ず自分たちが損する部分が出てくる。それで公務員というのは、基本的に大きな改革には反対するのです。

 反対に、大きな改革をやりたいと思って総理になった政治家にとっては、いまのままの制度だと、官僚というのが抵抗勢力になる。福田さんや麻生さんが、あまり公務員改革に熱心ではなかったっていうのは、本当にはやりたいことがなかったということでしょうね。

(後編は7月29日(金)掲載の予定です。民主党政権下において、なぜ公務員制度改革が後退していったかを中心に対談が続きます。ご期待ください)


<美浜原発>福井県が2号機の40年超の運転認めない方針

2011-07-22 08:53:43 | 日記

来年7月に運転開始から40年となる関西電力美浜原発2号機(福井県美浜町、加圧水型、50万キロワット)について福井県は、東京電力福島第1原発事故を踏まえた高経年化(老朽化)対策の審査基準などを国が新たに示さない限り、40年超の運転を認めない方針を固めた。

 関電は22日、2号機の40年超運転は技術的に可能とする評価書を国に提出、県や同町にも報告する。しかし県は、評価が原発事故発生前の国基準に沿っている点を問題視。事故の知見を踏まえた新基準を早急に示すよう国へ求める考えで、同日、関電にも伝える
。【安藤大介、柳楽未来】


投資家のリスク回避姿勢弱まる、日本株3月以来のオーバーウエート。

2011-07-22 08:32:17 | 日記

[東京/ロンドン 21日 ロイター] バンク・オブ・アメリカ(バンカメ)・メリルリンチが20日に発表した7月のファンドマネジャー調査によると、世界経済に対する見通しが改善しており、株式や商品に対するネット・オーバーウエート(オーバーウエートからアンダーウエートを差し引いた割合)が上昇するなど、リスク回避姿勢が弱まっている。  

 また世界の投資家の日本株のポジションは、3月以来のオーバーウエートとなり、投資意欲(今後1年間に最もオーバーウエイトからアンダーウエイトしたいを差し引いた割合)も大幅に改善した。

 

 調査によると、世界経済の見通しで、今後1年間に強くなるから弱くなるを差し引いた割合は6月の14%から7月は19%に上昇。中国経済の見通しについても、マイナス40%からマイナス24%に改善し、世界のインフレ懸念は低下しているとの見方だ。6月末以降の世界の株価回復は、こうしたソフトランディング見通しを反映したものとの見方をしている。

 

 世界の投資家の資産配分では、ネット・オーバーウエートは株式は6月の27%から7月は35%に、商品は6%から13%に大きく高まる一方、債券はマイナス35%がマイナス45%に、現金は18%から15%に低下した。ヘッジファンドの株式へのエクスポージャーは、ロングからショートを引いたネットベースで31%と、6月の35%から縮小した。

 

  また今月の調査で、米連邦準備理事会(FRB)の最初の利上げを予想する時期が後ずれしていることも明らかになった。2013年第1・四半期まで利上げはないと予想したファンドマネジャーはネットで21%。年内利上げを予想したのはネットでわずか6%で、4月時点の69%から大幅に低下した。

 

 メリルリンチ日本証券の株式ストラテジスト、菊池正敏氏は「最近の海外出張で、外国人投資家の日本株への姿勢が好転していると感じていたが、7月のファンドマネージャー調査はそれを裏づけた」とコメント。世界の投資家の日本株ポジションは6月のマイナス22%から7月は2%と大幅に比重が上昇し、3月以来のオーバーウエートになった。アンダーウエートからオーバーウエートへの単月の変化としては過去8年間で最大。日本株への投資意欲も、マイナス10%からマイナス1%と大幅に改善した。最もオーバーウエートしたい市場は、インフレ懸念にもかかわらず新興国株で、債務危機が広がりをみせるユーロ株が最もオーバーウエートしたくない市場となった

 調査は7月8日から14日に実施。対象はファンドマネジャー196人で、運用資産総額は6310億ドル。

 

(ロイターニュース 岩崎 成子)