今年はねずみ年だけれど、十二支というのは、もともと甲乙丙丁などの十干と組み合わせて日付の記録に用いられたそうです。それが時間や方角、そして動物に割り振られと説明されていました。
まぁ、今の日本では、誕生の年が何年かということだけが風習として残っていて、半分、性格などを決定するもののように思われています。
ねずみ年だからマメで細かいとか、丑年だからおっとりしているとか、そんなことは決まってないのに、そのような傾向があるかのように言われたりしています。
まぁ、本気でそう思いこんでいる人がいるわけではありませんが、なぜか、そのように言ったりしています。
しかし、そういうことを上手に活用して、士気が高まるようにすることは必要だと思います。
佛立宗の第四世講有・日教上人が亡くなられたたのは明治45年1月17日ですが、その年の初めに最後の御法門(説法)をされました。
「今年は子年である。ネズミは次から次へと子どもを産む。そのように教化をして教化子をふやさなくてはならない」と語られたという記録が残っています。
それから今年は96年を経過して、8回目のねずみ年です。
遠妙寺はその頃なかったのですが、当時、日教上人のお膝元、清雄寺におられた伊達日彰上人が、その5年後の大正6年にわが遠妙寺を創立されています。
その後も、たくさんのお寺が東京、関東、東海、甲信越、東北、北海道などに日教上人の流れを汲んだお寺が誕生しています。また、その4年前、明治41年に清雄寺の信者、水野龍が船主としてブラジル移民船、笠戸丸に茨木現樹師(日水上人)をお乗せするよう日教上人に依頼しました。その年から茨木日水上人は苦労をされて、ブラジルで教化活動、1人でも多くの人をこの上行所伝の御題目のご信心で助けたいとご奉公されるようになりました。ですから今年はブラジル開教100年にあたり、3月には御講有上人がブラジルに行って大法要をつとめられます。その100年の間にブラジルには現在、11ヵ寺のお寺が建立されており、これも元をただせば日教上人の流れを汲むお寺です。
こうして考えてみますと、ねずみ年も活用の仕方でその効用も大きなものがあります。
1人の人が、本当に情熱を込めて語り、何としてでも世界中の人が救われますようにという「慈悲の一念」の影響には計り知れないものがあります。
今年こそ、わが遠妙寺も1人でも多くの方が幸せになるようお教化に励み菩薩を育てたいものと思います。
まぁ、今の日本では、誕生の年が何年かということだけが風習として残っていて、半分、性格などを決定するもののように思われています。
ねずみ年だからマメで細かいとか、丑年だからおっとりしているとか、そんなことは決まってないのに、そのような傾向があるかのように言われたりしています。
まぁ、本気でそう思いこんでいる人がいるわけではありませんが、なぜか、そのように言ったりしています。
しかし、そういうことを上手に活用して、士気が高まるようにすることは必要だと思います。
佛立宗の第四世講有・日教上人が亡くなられたたのは明治45年1月17日ですが、その年の初めに最後の御法門(説法)をされました。
「今年は子年である。ネズミは次から次へと子どもを産む。そのように教化をして教化子をふやさなくてはならない」と語られたという記録が残っています。
それから今年は96年を経過して、8回目のねずみ年です。
遠妙寺はその頃なかったのですが、当時、日教上人のお膝元、清雄寺におられた伊達日彰上人が、その5年後の大正6年にわが遠妙寺を創立されています。
その後も、たくさんのお寺が東京、関東、東海、甲信越、東北、北海道などに日教上人の流れを汲んだお寺が誕生しています。また、その4年前、明治41年に清雄寺の信者、水野龍が船主としてブラジル移民船、笠戸丸に茨木現樹師(日水上人)をお乗せするよう日教上人に依頼しました。その年から茨木日水上人は苦労をされて、ブラジルで教化活動、1人でも多くの人をこの上行所伝の御題目のご信心で助けたいとご奉公されるようになりました。ですから今年はブラジル開教100年にあたり、3月には御講有上人がブラジルに行って大法要をつとめられます。その100年の間にブラジルには現在、11ヵ寺のお寺が建立されており、これも元をただせば日教上人の流れを汲むお寺です。
こうして考えてみますと、ねずみ年も活用の仕方でその効用も大きなものがあります。
1人の人が、本当に情熱を込めて語り、何としてでも世界中の人が救われますようにという「慈悲の一念」の影響には計り知れないものがあります。
今年こそ、わが遠妙寺も1人でも多くの方が幸せになるようお教化に励み菩薩を育てたいものと思います。
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