6月1日に書いたブログの続きです。
加齢して次第に高年齢になればなる程、
残された時間が「余生」と言うより「余命」と言った感じになります。
「余生」ですと未だ何かしらのんびりした雰囲気が醸し出されますが、
「余命」と言うとやはり残された時間が限られて来たと想定されます。
然し、何れにしても限られた残り時間を有効に使う為には、
「生き甲斐のある」人生を送らなければと思います。
人様の世話を受けなくてよい、生活状態を維持するためには、
どうしても健康第一で、自分の肉体的管理を最大限やらなくてはなりませんね。
身体の各所の傷んだ部品を、何とか騙し騙し使っている訳ですが、
決して無理をしない事、場合によっては義理を欠いても仕方がないなと割り切っています。
精神的には、何か社会の為になる事をしなければと思います。
幸いにして自分は娘の経営する会社(小規模ですが)で、
総務経理を担当して、多少とも社会に貢献している?と自画自賛していりのですが・・・・。
それと何とか身辺を整理して、いざの時に家族兄弟に余りお世話を掛けないようにしたい。
中々思う様には行きませんけど・・・・。
加齢して次第に高年齢になればなる程、
残された時間が「余生」と言うより「余命」と言った感じになります。
「余生」ですと未だ何かしらのんびりした雰囲気が醸し出されますが、
「余命」と言うとやはり残された時間が限られて来たと想定されます。
然し、何れにしても限られた残り時間を有効に使う為には、
「生き甲斐のある」人生を送らなければと思います。
人様の世話を受けなくてよい、生活状態を維持するためには、
どうしても健康第一で、自分の肉体的管理を最大限やらなくてはなりませんね。
身体の各所の傷んだ部品を、何とか騙し騙し使っている訳ですが、
決して無理をしない事、場合によっては義理を欠いても仕方がないなと割り切っています。
精神的には、何か社会の為になる事をしなければと思います。
幸いにして自分は娘の経営する会社(小規模ですが)で、
総務経理を担当して、多少とも社会に貢献している?と自画自賛していりのですが・・・・。
それと何とか身辺を整理して、いざの時に家族兄弟に余りお世話を掛けないようにしたい。
中々思う様には行きませんけど・・・・。