goo blog サービス終了のお知らせ 
明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



藤田まことが亡くなったが、この程度でどこが馬面なんだ、と思いながら本日もDの頭部と向かい合う。入手した掛け軸のおかげかどうか、大分感じが出てきた。しかしどう見ても某公園の銅像と顔が違う。  今月25日配布号の特集人物は、出来上がった作品を、見せる人ごとに意外な顔をする。それは世間の銅像とイメージが違うからである。本文にも某所の銅像が小さく写ってしまっているが、Dの特集の時は、銅像の写真は載せないようお願いしよう。エライ先生の銅像だけに、比べてみたら、表紙のDはおかしいじゃないか、と思われるのも迷惑である。 Dは力が入っていないところに凄みがあるので、公園の先生はまったく判ってない。別の大先生もDは“決して力まない。力まないで大きい”といっているし、この銅像に対しては“まるで披け殼のように硬ばって居り”といっている。ウィキペディアによると、この作者は、軍人になろうとして士官候補生の試験に落ちて、がっかりしていて、遊びで作った木彫りの馬が隊内で評判になり、上官に勧められて彫刻家志望になったそうである。おかげで、○○親王だ、元帥だ伯爵だと、エライ人を、エライように作るのが得意なので、こういう表現になるのであろう。彫刻家を目指すきっかけからして、とんだ野暮天である。 それにしても銅像の建造には、未亡人や、物事が判っている人が係わっていたはずなのに、どうしたことかと思うのだが、Dを実際観ているだけに、そのオーラに当てられ、当時の人にはああ見えたのだろうか。

過去の雑記
HOME

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )