京都大徳寺の開山大燈国師の横目の頂相を見た時、小四で読んだ『一休禅師』の挿画で目に焼きついた曽我蛇足(じゃそく)の横目の一休像を連想した。一休以外で初めて見た。50数年時代のズレがあり、オリジナルは大燈国師の方で、一休は尊敬のあまり大燈国師の真似をしたと思しい。『一休禅師』ではとにかく汚い、という印象が残っていて建長寺の出品作も、窓際に置いて埃と塵をためて撮影した。それも五条橋の下で物乞いと共に20年という国師の修行ぶりに影響されたのでは?と興味を持った。その姿を描いたのが、白隠禅師の『乞食大燈像』である。それに対し、私が描くとこうなる、という『乞食大燈像』を制作することにした。と書いたところで英一蝶『雨宿り図屏風』ならぬ五条橋下での『大燈雨宿り図』なんて横長の大作が浮かんでしまった。浮かんで15秒ほどなので、まだ笑い事で済ませられる。