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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



注文した1930年代製ラップスチールギターは、スライドバーやピックもすでに入手していたが、私が美人ばかりのクリニックで検査結果を褒められている間に届いてしまい、受け取るのは明日になってしまった。 ギターの原点のような物にディドリーボウというのがある。板っぺらや柱に二本の釘を打ち、間に針金を張って、弾きながら適当なビンなどをスライドさせてメロディを奏でる。昔のブルースミュージシャンが、子供の頃それが最初の楽器だった。というエピソードによく出てくる。これに弦を増やし、ピックアップ(マイク)を付ければスチールギターになる。つまり構造自体は簡単で、不器用な私にも作れそうだ、という不味いことに気がついてしまった。 中学高校時代、授業や試験勉強から逃避する手段を数々持っていた私であるが、プロレスの新技を考える、と並んで重要なアイテムの一つに、オリジナルギターを考える。というのがあった。ネック他、手に負えそうもない部分を流用するため、ギターを壊し計画倒れになることもあり、その熱は、凡そ試験期間の終了とともに冷める類のものであったから困ったものであった。 自分から見てカッコの良いギターならともかく、私が目指したのは、どこにもないようなユニークかつビザールなギターであったが、他人が作ったからこその違和感であり、自分が作るには目をつぶってアウトラインをひくぐらいでないと無理なことに気が付いたのは10年くらい前であろう。今は精神科の医師の高校時代の友人が、お前は昔から作る々といっているが、今度は俺も作るぞ、といって完成させたギターは、ボディにヒトガタが生贄のように封印され、ネックが二本のギターで、患者が作ったのか、という凄まじいばかりのユニークさであり、私は参りました、と完全にひれ伏した。 そんな私に再び火を着けつつあるのが、前述の通りのスチールギターの構造の単純さと、ユーチューブに展開される、主にアメリカ人のドゥーイット・ユアセルフのホームメイド男たちである。 本日は丁度時間となった。

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