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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



すでにエドガー・ポーの1カットと並べて、出品作品として提示していた乱歩の『盲獣』ですが、絵の具の乾きが不十分だった為、額装の段階で画面に修復不可能なダメージを与えてしまい、出品できなくなってしまいました。この作品に対して“吐きそうに素敵だ”というコメントをいただいた方までおられたのに申し訳ありません。特にこの作品は、コントラストは低いものの、なだらかな階調を見せており、他5カットとは調子の異なるゆえ、オイルプリントの可能性を示すには格好の作品と私自身考えていただけに残念です。スキャニングは済ませていましたが、幻となってしまいました。この件で、このプリントの難しさを改めて知ることになりました。 オイルプリントの展示は十年前のグループ展『中井英夫へ捧げるオマージュ展』以来となるわけですが、休止中もすべての作品はオイルプリント化を前提に常に考えてきました。そこで今回十年ぶりの発表となる訳ですが、つまりまだ発表前になるわけですが、オイルプリントの制作を継続していくことを改めて決めました。

『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)
http://t.co/lc05lwVaiM

※世田谷文学館にて展示中10月5日まで

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創作行為に限ったことであるが、性能の悪い頭より、中から湧き出るものを優先することに決めている。私の場合、頭を使って企み計画し、励んだことははずしがちである。それより理由など判らずとも、やらずにおれないことに殉じる。その方が結果が良い。 91年に松涛美術館の『野島康三展』の図録に衝撃を受け、神田の古書街に通い、大正時代を中心にした文献を入手し、結果、ブロムオイルでなく、その一歩前のオイルプリントを手がけることにした。理由は現在の印画紙は硬膜処理がなされ、使えないと思い込んでいたからである。 素人が独学でやるので、重クロム酸アンモニウムを平気で素手で触り、まっ黄色に染めながらやっていた。人形制作を放っておかしなことをやっている、と周囲は止めたが、私自身発表するつもりなどなく、ただやりたいだけなので、画が出たら止めるつもりでいて、実際即止めた。こんなことをしていてはいけない、とハラハラしていたのは私自身だったからである。 それがいつの間にか写真展をやるようになり、だったらいっそ、あのオイルプリントだろう、ということになった。“このためにやっていたのか”以来、中から沸いてくるものに逆らうことはない。

『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)
http://t.co/lc05lwVaiM

※世田谷文学館にて展示中10月5日まで

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昼前に、先月すっぽかしてしまったクリニックへ。いつもと違う女医先生であった。パソコンのモニターを見ながら年齢を訊かれ「まだ使えるわね」。何気ない一言に私はどう返事すべきなのか。あとで考えると、そのモニターに薬の一覧でも映し出されており、その年齢ならこの薬が使える。という独り言だったのではないか?危うく返事するところであった。その足で田村写真へ。 最後の仕上げ。コーティングすることにより画面がぐっと締まる。台紙に熱でプレスして張り付けてもらう。表面が凸凹しているように見えるのは、私の場合水彩画用紙を使用しているからで、ゼラチンを塗布さえすれば、用紙は自由である。 予想を超えて制作に時間がかかってしまったポーだが、エドガー・アラン・ポーを作っている、というとランポは以前作ったじゃないですか?と随分いわれた。それならばいっそのこと二人並べてしまおう。というわけである。 この技法の性格上、同じものは二度とできない。その意味においては1点物といえるだろう。さらにこの風合はなかなかモニターでは伝わらない。是非実物を御覧いただきたい。

『モダン藝術写真展』9月15日(月)~10月7日(火)
http://t.co/lc05lwVaiM

※世田谷文学館にて展示中

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本日も一日田村写真。オイルプリントは油性インクの配合、混ぜるニスの量などで調子が変わる。同じものはできない。よって展示の期日までプリントし続け、できの良い物を1点選んで展示することになる。田村写真に制作をお願いした、水彩画用紙にゼラチンを塗布した紙も今日で使いきる。 最後に難航したのは江戸川乱歩の『盲獣』であった。これは実物のヌードに乱歩を配した作品であるが、ヌードの陰影のグラデーションを表現するのが難しい。乱歩にポー。それぞれ3カットづつ。すでに想定の枚数はそろっていたが、要素の異なる『盲獣』を並べてみたい。なかなか上手くいかず、残された紙もあと1枚。ここで起死回生の1カット。絵の具の配合により、コントラストは低いがヌードの滑らかさが出た。オイルプリントの表現の幅を見せる為にも、これを選ぶことになりそうである。 私は昔、ある企業に作品を盗まれ、弁護士を立てて製造中止にさせたことがある。弁護士は私に「真似されるということは作品が良いということですよ」。といった。しかし私はそれは違う、と思った。被写体を自分で作って撮影している私が、良い悪いはともかく、地球上に私一人になる方法としてのとどめであり最終手段が今回の作品である。理由は馬鹿々しいから誰もやらない。でも良いのである。むしろそれが私の最大の武器である。

※世田谷文学館にて展示中

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古書街で文献を漁り、91年から独学で始めたオイルプリントだが、当時日本に話し相手など皆無である。海外のネット上のサークルに参加してみた。世界中から集って情報交換している気の良い人たちの集まりで、私がロバート・ジョンソンのオイルプリントを投稿すると、英語がサッパリの私を補足してくれるように、このブルースミュージシャンは十字路で悪魔と契約し、などといってくれる人が現れたり、なんだこれは、と驚かれ、チヤホヤしてくれる。日本の反応と随分違うな、と気を良くしたものである。だがしかし。ほとんどが懐古的な連中で、テーマが古臭い。なつかしの故郷や、ゴシックロマン調の城郭など、カビ臭くてしょうがない。技法が古いのにテーマまで古いのでは話にならない。どいつもこいつも、しょうがねェな。と遠のいてしまった。ところが今手がけているのがエドガー・ポーである。日本には撮りたくてもゴシック調の城郭などない。バチが当たったというべきか。

※世田谷文学館にて展示中

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窓を開けっ放しで寝てしまい、寒さで一度目が覚めたくらいで、ゼラチンの為には都合が良い。本日は乱歩×2カット。乱歩の『帝都上空』もオイルプリントにした。 田村写真で最初に焼いてもらったプリントを見たとき“こういうことをしようとしていたのか”と人ごとのように思ったのを良く覚えている。これは初めからパースをつけて作っており、気球は乱歩の肩の上に小さくあるに過ぎない。後に撮影専用の造形をするようになる、最初期の試みであった。 今思うと何故そうしたか判らないが、背景の空を描いて、わざわざ屋上で自然光の元撮影している。後に、本物の空を背景に撮りなおしたが、嘘臭い分、こちらで正解であった。まことを写すという意味の写真という言葉を嫌った私が、『現世(うつしよ)は夢 夜の夢こそまこと』といった乱歩を作ったらこうなった訳である。

※世田谷文学館にて展示中

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オイルプリントは感度が低いため引き延ばしができず、作品大のネガが必要である。よってすぐに引き伸ばしプリントを加工するブロムオイルにとって変わられ短命に終わった。利点といえば用紙を自由に選べるところであろう。 15日からのグループ展に向けて約10年ぶりにプリントをしている。昨日、完全に感覚が戻ったことが感じられ、エドガー・ポー2カットに江戸川乱歩1カットが完成した。といっても、同じプリントができないのがオイルプリント。6カット完成させたあと、弱いプリントをもう一度やることになるだろう。 階調を出す為、昔の処方よりゼラチン層を厚くしている。そのことにより、絵の具を画面に着けるのに使うブラシは柔らかい物を使い、最後はそっと軽く触れるようなフェザータッチで仕上げる。ここで画質がぐっとアップするのが一番の醍醐味である。しかしブロムオイルを経験した田村写真の田村さんによると、ブロムオイルではこういうやり方はしないそうである。そういえば、海外のブロムオイルの老作家の映像を見たことがあるが、毛の硬いブラシを鷲掴み、乱暴に画面を叩いているのにビックリしてしまった。私の方法だと、あれではゼラチン層が滅茶苦茶になってしまう。知らないうちに私ならではの方法になっていた。 人形制作もそうだが、独学の自己流は遅々として進歩せず、時間ばかりかかる。不安になった時は上野の博物館に行くと良い。親から子へ、師匠から弟子へ、先生から生徒へ受け継がれているはずが、昔の作品の方が良かったりして、教わったところでたかが知れてる。と安心するのである。

※世田谷文学館にて展示中

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エドガー・ポーの3カット目はマント姿のポー。本来基本となる、これから作るべきであったが、ポーに下からライトを当てたり、オランウータンと競演させたり、そちらのカットが先に出来てしまった。本日は寝不足にもかかわらず、朝の4時過ぎに撮影を開始した。ステッキを持たせ、そのステッキには鴉をとまらせた。ここからネガを起こし、オイルプリントにする。展示作品はモノトーンである。 午後昨日に引き続麻布十番の田村写真へ。田村写真では、私の選んだ水彩画用紙に、厚めにゼラチンを引いてもらい、試行錯誤の末完成度が上がった。オイルプリントは最初にゼラチン紙を自制しなければならない。田村写真製ゼラチン紙があればハードルは低くなる。本日使用した用紙は、これで失敗するなら私の腕のせいである。といってよい状態であった。

※世田谷文学館にて展示中

 

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旧作の中から江戸川乱歩を3カット。エドガー・アラン・ポーを3カットを予定しているが、今のところ用意できたのが2カットづつである。ネガ用のデータを制作したいところだが、 10年ぶりのプリントだというのにまだ1点もオイルプリント化していない。グループ展が迫っているのにあまりにも危険である。麻布十番の田村写真に向かう。 画用紙に塗布したゼラチンは室温が高いと溶け出し、絵の具をブラシで叩くとダメージを受ける。そこで室温を下げた中でのプリントである。昔の人は階調の幅を出すために明部、中間部、暗部の3枚のネガを作り、転写する場合もあったが、私の場合、性格的に集中力を保ったまま一度にやりたいので、ゼラチンを厚くひく工夫をした。よって前述の理由から制作は冬季に限っていたが、今回はこんな時期である。焼付け時間、プリント中に度々冷蔵庫に入れる、など試してみた、一枚プリントするのに2時間くらいかかったが、こういう場合はこうする。など感覚が蘇ってきた。ひたすら祈りながらのプリントは10年前と変わりがない。

※世田谷文学館にて展示中

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チラシがもう出来上がる、というのにまだ1点もオイルプリントができておらず、私だけ十年前に制作した中井英夫である。これも載せた限りは会場に持っていくが、以来十年ぶりとなると、さすがにもうプリントを始めないとならない。明日、田村写真に伺いプリントする予定である。特殊な状況でやることになるので、長袖の服など十分な“防御”態勢で挑まねばならない。 90年代の初め、大正時代を中心に資料を集め試みたのだが、何しろ今のようにDVDがあるわけじゃなし、特にブラシで油性絵の具を叩きつけてプリントする、その要領が判らない。ここが文章だけでは理解しにくいところである。しかし先月試してみると、苦労した分、身体が覚えていたのでなんとかなるだろう。 コツといえばただひたすら祈ることである。もっともオイルプリントに限らず、人形制作においても私の場合、毎日祈ることがコツといえばそうである。これが何十年も制作していて笑い事かと思ったら、実際そうだから驚くじゃありませんか。祈りにはどうしたってお神酒が付き物というのはしかたのないことである。

※世田谷文学館にて展示中

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本日はペーパーがけ。粉だらけである。後は細かい所に手を加えて着彩に入れるだろう。 オイルプリントの制作は04年以来で、十年ぶりである。改めて年月が経つのは早い。会社が倒産して絶版になってしまった『乱歩 夜の夢こそ真まこと』(パロル舎)を出すことになり、オイルプリントを一旦中断したのだが4年続いた『中央公論アダージョ』の表紙を担当することになったり、等々ですっかりお留守となっていたが、たまたま乱歩の本と一昨年出した『貝の穴に河童の居る事』は担当編集者が同じで、河童本の完成の頃には、これも何かのきっかけ。そろそろオイルプリントを再開しようと考えていた。 その間、古典印画法を試みる人が増え、なんといってもインクジェットプリンターによるネガの制作があたりまえになっていたのは進歩である。オイルプリントは感度が低いため、引き延ばしができないので、作品大のネガが必用である。当初大型の8×10インチのカメラを使い、最後はデータをイメージセッタで製版用フィルムに出力したものを使っていた。 十年振りでうまくいくかどうか。一つ目の問題は、私の場合諧調をより出したいために用紙に塗布するゼラチンを厚めにする。ところがゼラチンは室温が高いといつまでも固まらず、ゼラチン紙が出来たとしてもプリント時、ブラシで叩いているうちにゼラチン層が崩れてしまう。そこでゼラチン紙の制作及びプリントは室温の低い冬期に限っていた。今回ゼラチン紙の制作は田村写真にお願いしたが、写真用の固めのゼラチンを使うことで上手くいった。二つ目の問題はゼラチン紙を油性画の具を付けたブラシで叩くプリントである。室温を下げればクリアーできることではあるのだが。

※世田谷文学館にて展示中

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9月に写真の古典技法の4人展がある。グループ展は一人の出品点数は少なく、責任も分散され、私には本来好都合な出品方法であるが、どこへ行っても浮いてしまうせいか、数えるほどしか経験がない。というより入れてもらえない、というのが正しい。 私が最初に古典技法であるオイルプリントを発表したのは99年。一人一日づつの個展で、変則的なグループ展といって良いかもしれない。よって他の人が何を出品していたかは知らない。その時の内容は、風景やヌード、スナップ写真など雑多であった。それはただでさえ廃れて何十年も経っている技法なので、この人形は実物大か?と問われるれるような、判りにくい被写体は控えめにした。三回目の個展でようやく人形のみを被写体としたが、バレエを一回しか観たことがないのに、『ニジンスキー・ディアギレフ・コクトー』をテーマするという怖いもの知らずぶりであった。その後もことあるごと発表したが、新作の展示としては2004年の中井英夫の3点が最後である。 ここ最近、エドガー・アラン・ポーを作っている、というと何人の人に「乱歩は以前作ってたじゃないですか?」といわれただろう。こうなったらいっそのこと江戸川乱歩とエドガー・アラン・ポーを並べてしまったらどうだろうか?もっともポーは被写体がまだ出来ていないので、もし糠みそや熱帯魚のようにブログに書かなくなったら、腐ったり死んじゃったりして止めたんだな、と思っていただきたい。

※世田谷文学館にて展示中。

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一日  


先日久しぶりに『オイルプリント』をやってみて、“ああこういう事故が起きたな”と思い出しても、その対処法まで思い出せなかった。 当時の文献を読むと、そこら中にアマチュア芸術写真家がいて、道具、材料が普通に売っていた。しかしインターネットにもまだ情報がなく、肝心の絵の具の硬軟、ブラシのストロークも不明であった。当然、質問に答えてくれる人もいない。用語など、話し合う相手がいてこそである。 しかしゼラチン紙に塗布する重クロム酸アンモニウムの感じや、焼付ける度合いなど、少しづつ思い出してきた。 私は薬品問屋から入手した精製されているゼラチンを使用したが、これが冬の寒い時期でないと、なかなか固まらず、固まらなければ乾かしようがなかった。(大量に作るには家中の壁に画鋲でとめて乾かした)しかし、当時の文献には季節には特に頓着していない。これが不思議であったが、田村写真の田村さんが、写真用のゼラチンを調達し、それがある程度気温が高くても固まるのであった。つまり私は冬の寒い時期にしかオイルプリントを試みたことがなく、先日の実験で勝手が違うのは当然のことであった。しかし祈るようにプリントした記憶は身体に残っており、回復するのは時間の問題であろう。
本日最後にたどり着いた店では、同行したMさんと、店主のHさん。共に娘の結婚を間近に控えている。この砂糖と塩を同時に口に放りこんで、それが気取られないよう強がっている二人の微妙な空気に居たたまれず。

※世田谷文学館にて展示中。

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9月に写真の古典技法によるグループ展に参加を予定している。田村写真で作った田村印?のゼラチン紙のテストを兼ね、久しぶりに『オイルプリント』を試した。何しろ忘れてしまっていて自分のHPを見る始末である。 この技法は数ある古典技法の中の一つであるが、すっかり廃れており、大正時代の文献を頼りに試み、2000年年に立ち上げたHPも、主な目的の一つはこの技法公開にあった。 国内における芸術写真と称されたピクトリアリズムは、大正時代を中心に、富裕なアマチュア層が支えており、世界の写真界の動向も、いち早く知ることができた。当時のプロといえば写真館の写真師だが、ピクトリアリストからすると、 チャレンジ精神の欠如した古臭い連中とみなされていた。しかし歴史は動く。先端をいっているはずのピクトリアリストも、レンズを通し、対象を冷静に見つめるリアリズム写真の流れに抗しきれず、絵画を模倣した古臭いサロン写真とされ消えていった。 私は試作をくりかえしながら、この金持ちの爺ィどもを倒す!とむやみに敵愾心を燃やしたが、それはモノクロとカラーの銀塩写真全盛の時代に、様々な技法が当たり前に存在した時代に対する羨ましさと、写真を発表するつもりもなく、ただやってみたいというだけで人形制作を放っぽり出している罪悪感に耐えるためであった。 当時古くからの友人は、私が機械音痴のカメラ嫌いというのを知っていたので、友情を持っていい加減にしろ、といってくれたものであるが、しかし不倫の恋に燃える柳原白蓮の如く、そんなアドバイスも妙なる音楽にしか聴こえない当時の私であった。

プリンターにより出力されたネガ。左から『今古亭志ん生』『ドストエフスキー』『九代目市川團十郎』

太陽光による焼つけ。この後水洗し、ブラシにより油性絵の具を叩きつけていく。

インキング中映像↓

https://www.facebook.com/photo.php?v=248146845373855

※世田谷文学館にて展示中。

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最新作が一番良く見えるというのは単に自分が見慣れていないせいで、慣れてしまえば結局ただ過去の作品であろう。ということで、とりあえずしばらくの間は私も気分が良い。 この作家は、久しぶりにオイルプリント化を前提に考えている。特にその妖しい作風は、黒インクによるプリントが合う。田村写真の田村さんに、私が選んで使っていた画用紙に、ゼラチンを塗布したゼラチン紙の制作をすでにお願いした。オイルプリントは使用する用紙の選択は自由である。 最近手掛ける人が増えているオルタナティブプロセスと称される写真の古典技法であるが、数ある技法の中でも、私はオイルプリント以外にまったく興味がない。外側にレンズを向けずに、額にレンズを当てシャッターを切る念写が理想である。といっているのは本気なのであって、それが叶わないので、頭の中のイメージを粘土その他を使って可視化して撮影している。それに拍車をかけ、ウソもホントも私には知ったことではない、という状態になるためのオイルプリントである。他の技法ではそうはいかない。 91年当時。私は写真をやるつもりなどまったくないのに、ただこの廃れていた技法が知りたいという理由だけで、人形制作を放ったらかしにして打ち込んだ。何故こんなことをやっているのだ、とハラハラしているのに止められない。よってなんとか画が出てきた時点で止めたのだが。その後、自分で作ったジャズシリーズを自分で撮影し、個展をひらくことになるという想定外の展開になり、そういうことであれば、と2000年前後にオイルプリントによる個展を連発した。私のホームページはそもそもオイルプリントの紹介が開設の主な目的であった。しばらくはピクトリアリスト、とトップページに掲げていたが、意味が通じないだろうと数年後に止めた。そう思うとデジタル化の反作用であろう。現在の一部の古典技法の流行には隔世の感がある。かえり見ると、この技法を私が選んだというより、私が選ばれたというのが適切であろう。

『世田谷文学館』展示中

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