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明日できること今日はせず
人形作家・写真家 石塚公昭の身辺雑記
 



先日、60年代にジミヘンが使っていたという日本製ギター。2290万円で落札されたようである。幼馴染みが中学生の時に秋葉原で1000円で買って来たギターと同じギターに間違いない。何しろ生まれて始めて触って音を出したエレキギターであるから間違えようがない。先日も書いたが、わずかにトレモロユニットの形が記憶と違ってはいるが。私の印象だと、カワイ製エレキギターだと思う。技術家庭科の授業で本箱作ったラワン材で、つまりバッタ物マホガニー。私の記憶では分厚く硬いポリウレタン塗装であった。もちろん音も覚えている。しかし時代はギブソン、フエンダーのコピーモデルの時代であり、またその友人の手が小さく、このあまりに太いネックに、活躍の機会はあまりなかった。彼が生きていたらあれが二千万円だぜ、とそれだけで一杯やるところだが。いや彼は酒タバコ一切やらなかった。 金魚坂で買った、中国産琉金は、官吏、役人風情にするには品があり、他の金魚にしよう。などと言っていたら、実はこの閭丘胤りよきゆういんこそが寒山詩を編纂した人であった。つまり森鴎外が解説を交え書いた寒山詩の序文も閭丘胤が書いた。実在したかは不明ではあるが。これはまったく失礼してしまった。本日加わった白いオランダ獅子頭を含め、ほとんどがオランダ系で、虎は朱文金だが、琉金はショートテールだけこれで閭丘胤も決まった。書き換えの効かない過去などない、と寺山修司もいっている。
寒山拾得水槽
いぶし銀の黒っぽいのが、青文魚の豊干。桜色のコンビが桜東錦の寒山と拾得。ホウキは拾得のもの。白いオランダ獅子頭が閭丘胤を案内した国清寺の僧、道翹どうじよう。最後、青い顔して立ち尽くすのは、この道翹であった。赤い金魚では青い顔は無理だろう。小さいのが朱文金の虎。豊干禅師が乗っている。紅白のショートテールが閭丘胤。真鍮色のアイアンコメツトは、その他大勢。


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芭蕉庵は、芭蕉記念館の担当者と案を練っている。一辺が1メートルで作れば、芭蕉像を庵の中に配置し、それこそリアルで面白いが、かなりの大きさである。当初考えた古池までは無理である。第2案は後ろ半分をカットし、背後には周り込めないよう背後の壁面に接するよう配す。第3案は、芭蕉像を中に入れるのを断念し、コンパクトに芭蕉庵全体を作る。サイズによれば古池の制作も可能になるかもしれない。こればかりは私の都合だけで決める訳には行かず、私より間違いなく空間把握能力に長けている担当者と相談の上、進めて行かなければならない。 ベランダのトロ舟(セメントを練るのに使う容器。金魚によく使われる)に沈めて水を含ませ沈むように、とアク抜きをしていた流木を水槽内に設置。少しでも中国の山中風にしたい。 全作品を絵巻調に連ねて数メートルに及ぶ作品を考えているが、寒山拾得の各エピソードを並べて行く訳だが、陰影のない日本絵画は、時間経過でさえ、一枚の画面上に展開させることなど、まったく問題もなく可能である。よって一枚の絵巻の中には寒山と拾得や虎に乗った豊干が、何パターンも登場する。ただ、同じ空間といっても、場面ごとの区切りは必要である。それが岩山であったり、樹木であったり、小川であったり、する予定だが、水槽に沈めた流木も岩山として使えそうだし、本当の岩山も使いたい。また、こんな岩肌は実際無いだろ、というような、例えば曾我蕭白の、結晶が積み重なったような奇岩も石膏を削って是非とも作りたい。嘘もホントも、分け隔てなく登場するのか私の作品の特徴といえるが、これからさらにエスカレートし、土俵からはみ出せるだけはみ出し、これは果たして写真と言えるのか、などという議論は置いてきぼりにして、ギターに長いシールドを着け、ギターを弾きながらステージを降りて会場の外に出て、さらにタクシー乗ってしまったのはアルバート・コリンズだったか?のように行ってみたい。そもそも寒山拾得をモチーフにするということは、そういうことを意味しているだろう。

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最近あまり体調が良くなく、ピリッとしなかったが、どうも"三島ロス"もあるような気がする。あの歯応えは尋常ではなかった。そんな中、久しぶりに粘土届く。これで箱の中から掴み出せば何か作れるという訳で、気分が変わった。 暑いなか、材料を買うついでということで、久々に本郷三丁目の金魚坂へ。そもそもこちらで室生犀星と本物の金魚で『蜜のあはれ』で個展をやった時に、赤井赤子役の、被写体となった琉金をいただくはずが、引っ越しで金魚どころでなく、ようやく引っ越し後、水槽の用意をしたものの、今度は赤子の調子が悪くなり死んでしまった。 ということで、最後のキャスト官吏である閭丘胤りよきゆういんは、金魚坂で調達しよう、と出掛けた。 役人だけに、打てば響くというタイプではなく、何かを期待して寒山と拾得に会いに行くが、二人はゲラゲラ笑いながら何処かへ行ってしまい、青ざめた顔して取り残されて終る、という、大事な役でもあり、最後の一匹なので慎重に選ぶ。丁度NHKが生放送で取材に来ていた。事務所で放送を拝見する。ウチの水槽にはない色を、ということで、中国産琉金に決めた。深紅に銀鱗が映える。ショートテールということだが、おかげで甚だしく泳ぎが下手くそである。水槽内には拾得の持つホウキも既に沈んでいる。後は中国の岩山に見立てた流木を入れてみたい。

本日の水槽

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私の場合、コロナに関係なく、家に閉じ籠る生活であるし、引っ越し前も、ほとんど三百メートル四方にしか飲みにも出掛けなかった。出不精もかなりこじらせていた。何度か書いたが、ツアーで一度だけニューヨークに行き、中華街やイタリア人街から一歩も出ずに死んでいく人がいる、とツアーガイドに聞いたとき、そのあまりの狭さに、そいつらバカじゃないのか?と思ったものだが、気がついたら私がそうなっていた。そんな訳で、コロナだといって、特に何も変わらないな、と思うのだが、金魚を相手に寒山拾得制作に備える、というのは、私がいくらおっちょこちょいだとして、奇策、奇手というにも程がある。水槽を眺めていて、私なりにコロナが、某かに影響しているのではないか?急にそんな気がしてきた。寒山拾得をモチーフに、というのは、以前からブログでぶつぶついっていたし、作家シリーズも随分やってきたし。流れもそうなってていた。となると、コロナ禍の渦中で飯沢耕太郎さんとの無観客トークショーで口走ったのが引き金だったかもしれない。ブログなら干からびさせた糠床の話のように、黙ってしまえば済むことだが、お相手のあるトークショーはそうはいかない。となると、コロナが某か、反映していた可能性は大いにある。人と相対せないから代替え案として、金魚を、などという単純な事ではないはずである。そもそも参考になる人間などいないし。私の頭は単純だとしても、臍下三寸辺りに存る何かは、そんな軽々なことで済ますはずがない。あまりこんなことばかりいつているとノイローゼを疑われそうなのでこの辺りにしておく。

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うちの寒山拾得もそうだが、描かれた寒山拾得像の多くが肥満体である。中国は舘山寺で長年売られている土産物の拓本自体が相撲取りのようである。しかし舘山詩の序には"痩せてみすぼらしいと"と書かれている。私は新たな、私の寒山拾得像など創作するつもりはなく、人形を被写体に、石塚式ピクトリアリズムで描ければそれて良いと考えており、説話の世界だから、と好き勝手に調子に乗って飛びかかって、巴投げを食らって大の字になる。これだけは絶対に避けたい。私の処女出版は江戸川乱歩だったが、乱歩は早々にトリックのネタも尽き、整合性云々といわれ、子供っぽい作品しか書けなく、と本人もいっているくらいだが、それを真に受けその気になって、私ならこうする、と油断してかかると、巴投げを食らう。乱歩は食虫植物のように、創作者に対し危険な甘い香りを放ち続けている。そして多くの映画、ドラマ化で累々たる屍を連ね、その体液をすすって乱歩作品は未だに生き続けている。私は決して調子に乗らず、できるだけ乱歩が描いていることに従った。三島由紀夫が死んでいる様子を作って二回も個展を行った作者は、案外こう見えて慎重派なのである。人がいってくれないので自分でいう。 話は戻るが、なぜ多くの寒山と拾得が、"痩せてみすぼらしい"と書かれているのに肥満体で描かれる理由が気になるのだが、私としては"痩せてみすぼらしい"と一言書かれていたなら律儀に、痩せた寒山拾得にせざるを得ない。これも性分である。そう思うと、あのイカれた曾我蕭白の寒山拾得図はちゃんと痩身である。 いずれにしても、まだ金魚眺めているだけに見えるだろうけれど、いや実際そうなのだが、すでに水面下では、差し手争いは始まっている。はずである?2年後には水槽の金魚を眺めて暮らし、寒山拾得に挑もうと、本気で思っていたのだ、と笑い話になるのかどうか。 本日、フェイスブックで、2002年のニジンスキー、コクトー、デイアギレフをモチーフにした個展のことを思い出す書き込みを拝見した。これなど、前年にイベントで一度バレエを観ただけで開催してしまった。そりゃバカでなければ暴挙な事ぐらい判る。しかしやりたくて仕方なければ、そこに必ず何かが待っている。勿論開催して良かった。性能の悪い頭を使わぬよう。このためにもウチの寒山拾得が必要なはずである。 本日はテレビがないので半沢直樹をスマホて観ようと15分前まで気にしていたのに、金魚を眺めていたら残り15分となっていた。


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配役まで決めて、新たに寒山拾得、我が家の金魚達のページを作りたいと思い、それは同時に寒山拾得制作に向けての備忘録となれば良いな、と考えていたが、先日書いたように、生き物のことであるから途中で死なれでもしたら。躊躇してしまうのだが、ただ眺めるだけに金魚を飼うと書いたのに、そうは思わなかったように、被写体にするつもりだと。確かに鈴木春信など美女二人で、見立て寒山拾得、という作品もあるが、私にはそのつもりはまったくない。金魚は室生犀星で充分である。 最初に決まったのは、青文魚の豊干禅師。目がいかにも中国由来の淡水魚という目をしている。黒い僧衣を着ているようで、いぶし銀が渋い。次に決まったのが拾得。豊干に拾われたことで拾得と呼ばれる。脇役のつもりであったが、ポニョのようであまりに可愛らしく、拾得に昇格した。だったらまだ志村養魚場産、桜東錦がホームセンターにいるうちに、と不細工ではあるが、寒山顔を選んだ。このコンビには、桜色の音楽と称された、横綱照国万蔵にちなんで照国と万蔵という別名まで付けてしまった。 あと一匹は、豊干が乗る虎であるが、小さな虎柄の朱文金である。柄もまだ変わる可能性があり、暫定的である。あとは、官吏の閭丘胤(りょきゅういん)を探すだけとなった。連中とは毛色の違うのを見付けたい。 金魚の飼い方には、金魚に名前を付けてはいけないと書かれていた。それは死なれた時のことを考えているのだと思うが、寒山と拾得には、別名まで付けてしまった。どうやら私もペット愛好家にありがちな親バカ調になってきたようである。
本日の寒山拾得

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金魚の飼い方に、名前を付けてはいけないと書いてあった。子供の頃に金魚に死なれて、もう飼いたくない、といいながら釣り用のボートにその金魚の名前を付けた友人がいて、「お前金魚に名前付けてたろ?それがいけない。」なんていっていた私だが、今回は、最初に名前ありき、役柄に合わせて金魚を選ぶ、というおかしなことになってしまった。 しかもすでに別名迄付けてしまっている。寒山と拾得は、桜東錦という金魚で、桜が、その色から来ているものかは知らないが、桜色をしたアンコ型である。第38代横綱に 照國万藏というのがいた。気が着いたら真綿にくるまれるようにして土俵を割っていた。という力士でアンコ型でリズミック。次第に上気して桜色になることから"桜色の音楽"と呼ばれた。秀逸なネーミングである。そこで、寒山と拾得を、それぞれ照國と万藏と名付けた。勿論水中の金魚に名前を呼ぶことはないけれども。ヤフオクで拾得が常に持っているミニチュアのホウキを入手。このままでは浮いてしまうだろう。 まだ作り初めてもいない寒山拾得。馬鹿げた話であるが、私には判る、深いどこかで静かに燃え始めている。昔の母であればいち早くそれに気付いてゾッとしていただろう。 可愛い照國と万藏をアップしたいのは山々ではあるが。何しろ生き物である。金魚は上手に飼えば十年は生きるという。しかし生き物のことは判らない。数年前まで飼っていた熱帯魚、フラワーホーンは、タフな魚で、何度も繁殖させたが、私が飼うと、30センチがせいぜいで急に調子を崩し、死なれてきた。止めた理由もそれであった。東南アジア等で、風水にもとずいて作られ、遺伝的な問題もあるのだろうか。そう思うと、作られたといえば金魚など最たるものであろう。幼い頃の金魚すくいの金魚以来であり、あまり自信がない。名前を付けるのは少々早すぎた。

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ベランダで金魚を飼うためセメントを練るときに使うを注文。昨日もらって来たホテイアオイを入れよう。そもそもいただいた玉サバという種類の金魚に目覚めさせられたのであったが、我が"寒山拾得劇場"のキャストを考えると、主役がヒラヒラした尾びれの桜東錦となると、とフナ尾の玉サバが元気で目立ち過ぎ、ベランダに"出向"を命じざるを得なくなった。餌みんな食っちやうし。もっとも自然光を浴び、ホテイアオイもあり、金魚にとってはこちらの方が快適に違いない。 友人が今度は家で金魚の撮影か?どういう風に出品するのだ?というから金魚なんて出品しないよ。ただ眺めるだけだと聞いて呆れる友人。今度ばかりは私が自身が呆れている。だがしかし、腕組み眉間にシワ寄せていたら100%何も浮かばないのはわかっている。もし何か浮かぶとしたら金魚を眺めている時だろう。 金魚の動きをただひたすら目で追っているだけで、何も考えない。これは好都合なツールとなるだろう。 釘抜きを買って来た。先日解体現場から救出して来た木場は『河本』のカウンターから釘を引っこ抜くためである。思い出は心の中にあれば良い。勿論である。しかしこの年期の入ったナラの一枚板に、手術を終えた大門美智子のように手を添えたならば、間違いなく遠くを見る目になるだろう。昔、私か河本で撮影した、長見順さんのCDジャケットをアップ。我が家にあるのは、労働者風のオヤジ、しかして実体は怒涛のドラマー岡地曙裕さんの、あのカウンターである。


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石塚式ピクトリアリズムは、そもそも小さい人形が被写体であることが前提で、切り抜いて配するので写真の空気感は犠牲になり、レンズの味は邪魔になるだけである。そうするからこそ、初めて日本画調になる。グループ展に出品していのは、オイルプリントの再興しか頭になかった頃の作品である。レンズはニューヨークのロチエスター辺りに点在した、小さなレンズ工房の一つで、名前からすると、ドイツからの移民だろう。5×7インチ用ぐらいの広角レンズで、前玉をはずして焦点距離を2倍に伸ばして使った。絞りはなく、シヤッターは、何かのキャップだった。お陰でレンズの味、空気感は過剰に出ている。それから幾年月。写真から陰影を排除することになるとは。まさに"思えば遠くに来たもんだ'。感慨深い。 豊干禅師のイメージにピッタリな渋い青文魚を入手し、続いて脇役のつもりで入手した志村養魚場産桜東錦があまりに可愛く、主役の一人拾得に昇格。となれば寒山も桜東錦で、と寒山顔を時間をかけて選んだ。方向性が決まって来た。キャラクターに合った魚を選ぶ。といっても単に私の思い込みであるけれども。ペット愛好家の親バカ症状が、早くも現れて来ている。それまで嫌いだった物が好物に変じて来た私だが、こうなると、本郷の金魚坂に今行ったら昨年とはまったく違って見えるだろう。嫌いな物が好きに転じた場合の前言翻しぶりは、私にはお馴染みの物で、何も感じなかった物が輝いて見えてしまう。よって冷静さを欠きつつある今は、行ってはならない。この水槽内に、こんな配役が必用、と目ぼしがついてからにすべきである。今行ったら、登場もしない役者をスカウトしてしまうことになる。ただし今回に限っていえば、寒山拾得制作のため、という大義名分があるので、金魚をただ眺めていても罪悪感を感じないところが喜ばしい。 しかし金魚を飼うことが何故そうなるのか?やってる本人が判っていない。いや、寒山拾得を解ってやるなんていう奴が今までいたのだろうか?解っでいないからこそやるようなモチーフなのではないか?なんだそれは?私は何をいっている。

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新しい金魚が新たに水槽に参入するたび、眼を開かされ、イメージにも変化がおき、よってキヤストの変更を余儀なくさせられている。脇役で買ったはずの桜東錦。頭の肉瘤、フラダンスのような泳ぎ、両方ともかつて金魚の嫌いな要素であったはずが、それが見たくて水槽の前に行く。写真、パソコンなど、嫌いだった物に限って創作上の大事な手段に変じてきた私だが、嫌いだった物が好きになると、深い影響を受ける。それにしても新たに魚を水槽に参入容れるときの楽しさは、子供の頃と変わらない。寒山拾得'には寺の僧侶など、まだまだ金魚を導入する余地はあるが、最終的に室内の水槽は寒山と、拾得、豊干の"三聖"と虎に限り、後のキャストは大部屋行き、ベランダ住まいとなるだろう。そちらの方が管理はしやすいらしい。そもそもは金魚は、上から眺めるものということになっている。 何が原因か、あまり良くなかった体調も少しずつ上向いて来ている気がする。動き出しの目眩はまだ残っているが、ゆっくり行動すれば。さっそくホームセンターに行き、桜東錦をもう一匹。家にいる方が、なんとなく拾得という気がしたので、寒山という顔をしているのを探す。特に好ましい特徴があるわけではないが、あれが拾得ならば、これが寒山かな、というのにした。やはり主役を決めてから脇役を決めべきであった。なにしろ最初の四匹は、雨の中かろうじて捕まえられた玉サバで、選らんだわけではない。肝心の寒山と拾得と豊干が、泳ぎの下手なしっぽの持ち主で揃ってしまい。フナ尾で泳ぎの上手い連中は寒山拾得劇団からはじかれることになりそうである。しかし、私に金魚の良さを教えてぐれた功労者達である。大事にしよう。実はつい最近、愛情がなくなった魚を邪険にした友人が、その水槽に新な魚を入れると翌日死ぬことが続いた。幼魚とはいえ、タフで知られた魚だったのだが。冗談で盛り塩しろ、といったらおさまった。

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キャストが決まった、といいながら、ウチに新たに来た桜東錦を見ていたら迷いが生じてきた。らんちゆうのような肉瘤に覆われた顔がなんとも愛敬がある。子供の頃はどこが良いのだ、と思っていたが。いわゆるキモ可愛いという奴か。ちょっと空気の読めない役人閭丘胤の役よりも寒山じつとくに通じる物がある。ホームセンターには、うなるほど居たので、その中から、たやすく似たような相方を選ぶことができるだろう。急遽主役となった。マンガが原作の映画などは、多少演技に難があつても、原作に似ている配役が良い。それと同じである。豊干がピッタリだったせいで、頭の中で思い込まなければならないなら、イメージにあつている方が良いにきまつている。これで明日、相方を探せば、後のは、残りの中から決めるか、また毛色の違った、例えは出目金辺りから探しても良い。余った連中は、ベランダで飼うことにしよう。 これで2年間眺め暮らす予定の"寒山じつとく"は、結団が見えてきた。連中を背景に、寒山詩のブログ、またはせっかく泳いでいるのだから動画にしても良い。いずれにしても制作に対しての備忘録にもなるだろう。

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一日  


何度も繰り返しになるが、ガラケーから始まってスマホに変わり、相変わらずろくなことがない。先日修理が終わり、と思ったら、電話は出来るがスピーカーから音が出ない。また修理である何度壊れるんだ。以前と違ってバスで行かなければならず、いい加減にしろ、という話しである。富⚪通の製品は二度と買わない。 寒山拾得は、とりあえず、寒山詩をぼんやりと目にする程度にして、後は寒山拾得に見立てた金魚を眺め暮らすことにする。私にしてはなかなかの名案である。説話上の連中ともなれば、金魚の観察が適当であろう。もっとも、頭を空っぽにできるという効用が主目的であり、そういう状態の時にしか、棚ぼた式に閃きは訪れない。 いただいた四匹は、捕まえられたのを貰ったので、選んだ訳ではないので、そう都合良く寒山と拾得、豊干というわけには行かない。兄弟のような寒山と拾得二匹に、毛色の違う豊干一匹、といきたいのだが。しかし、眺めているうちに、脳内のイメージに修正が施され、1番大きい赤いのと、体格では劣るが尾が長い分体調は互角で赤白の更紗模様の一匹、まったく似ていないが、この二匹が寒山と拾得になりつつある。となると、豊干禅師は水槽外から連れてくるしかない。明日、数ヶ月前ぶりにホームの母の所に面会に行く。許されているのは30分だけだが。そのついでに、一キロ程の所に江戸時代から続く金魚屋があるので、豊干禅師をスカウトしてこようと思っている。うちには赤と白しかいないので、それ以外の色味が欲しい。そして寒山拾得展開催の暁には、金魚を参考に作った、とか何とか、柿見て赤色を思いついた陶工柿右衛門みたいな事を言ってみたい。柿右衛門エピソードは嘘っぱちだが。

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文机  


しばらく人形制作から遠ざかって、作業台である文机を眺めると、いかにも無理がある。かなり古い物だからそういうものかもしれない。私のイメージにあったのが、あの華奢で、繊細で神経質が着物を着ているような泉鏡花だったから、私も少しは身の程を知れ、という話であろう。腰に負担がかかるので、いつまでも粋がってないで引っ越し前に戻って、作業は机と椅子ですることにした。ただ、東京オリンピック以前の東京のイメージで来たから、今更パソコンデスク、という訳には行かない。 それでも、この文机からは、三島の椿説弓張月、松尾芭蕉、葛飾北斎の3体が生まれた。揃いも揃って日本が誇る世界的な人物ばかりであるから、まあ上出来といえよう。 寒山拾得については、頭を悩ませているうちは何も起こらない。ジタバタすればただホコリをたたせるだけである。寒山と拾得、豊干と虎の4匹が揃う予定の水槽は、水音ばかりで未だカラである。私は密かに、金魚達をダウジングの振り子やロッド代わりに使えないか、と考えている。口を開けて東の空を見ていたら、ぼた餅が落ちてくるようにイメージが浮かんだ、というより寒山拾得に見立てた金魚を眺めていたら、の方が形として良いのではないか。なので考えているうちはお話しにならないので、ユーチューブで金魚の飼い方を見たり、ラジオを聴いたり、傍から見ればただだらけているようにしか見えないだろう。実際、ただだらけてはいる。しかしこんな時でないとぼた餅は絶対降って来ないのが辛いとである。

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本当のことなどどうでも良い、と言い続けながら、実在した人物には律儀になってしまう私であったが、実在したかどうかも判らない、説話上の人物なら、もうやりたい放題だ、と思っていたら、最初の関門に引っかかった。肝心要の寒山詩の序文に寒山が痩せている、と一言書いてある。私の創作なのだし、なんで柔軟に対処出来ないのか。残念な性分である。しかし死んで五十年経った三島にウケようなんて思うのだから、永年あまたの人々のモチーフとされた対象にも敬意を表さずにはいられない。 満更方法がないとは言えない。フーテンの寅を長く演じた渥美清は、若くして片肺をなくしていて体力はない。あの大きめの衣装はそれを隠すのに使われていただろう。それより何よりフーテンの寅を続けられたのは、あの独特の顔、というより頭部の骨格だろう。張り出した頬骨、上下の顎が頬をこけるのを内側から防いでいただろう、精悍さを出すために、奥歯を抜く役者がいるが、その逆である。さすがに最晩年、死期が近い目をしていたが、痩せた首をマフラーで隠せば、顔のラインは相変わらずである。フーテンの寅を永らえさせたのは、そのしっかりした頭骨が貢献していたのは間違いないないだろう。 寒山拾得図が完成した暁に、最初はあんな所から始めたのか、と腹をかかえるには丁度良い本日のブログであった。

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日本的遠近法は、取り入れるのはほぼ諦めている。主役の人物をリアルに作っておいて、空間だけ歪んでいるというのは矛盾でしかない。様々な歴史的作品を眺めても、人物が、リアルになるにつれ、遠近感も正しくなって行く。考えてみれば当たり前のことだが、写真を始めた当初から、レンズ越しの遠近感を悪戯?するのが面白かったものだから、ここへ来ても、何かやれるのではないか、と考えたのだが、空間は歪んでいるのに主人公の人物だけが正立しているのは、さすがに無理であった。それはともかく。 森鴎外が書いた寒山拾得は、寒山拾得詩の序文に書かれた文章を、解説を交えほぼそのまま書いている。序文によると痩せた乞食のような人物だそうだが、寒山拾得図の名作には肥満型も多い。そもそも中国は寒山寺の土産物の拓本自体が相撲取りのようである。確かに寒山と拾得のキャラクターからすると、ゲラゲラ笑って走り去ったり、唐子のような、コロコロした子供染みた人物の方が愛嬌もあり、と思うが、寒山詩の徐には痩せている、と書いているのだから、とまた、私の律儀さが頭をもたげてくる。おそらく実在しなかった説話上の人物なのだし、長年ほんとうのことはどうでも良い、などどほざいていたわりには、簡単にはなかなかなそうはならない。何しろ書いてあるのだから。 作り始めるにしても、まずそこが決まらないと話しにならない。

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