◇スイートプールサイド(2014年 日本 103分)
staff 原作/押見修造『スイートプールサイド』 監督・脚本/松居大悟 撮影/塩谷大樹 美術/塚本周作 衣装/眞鍋和子 特殊メイク/江川悦子 音楽/HAKASE-SUN 主題歌/モーモールルギャバン『LoVe SHouT!』
cast 須賀健太 刈谷友衣子 落合モトキ 荒井萌 谷村美月 木下隆行 利重剛 松田翔太
◇これをフェチといわざるべきか
そもそも思春期に、制服、ブルマ、スクール水着、太腿、パンスト、下着、乳房、髪、指先、体毛、そして性器などに執着するのは決して偏愛とはいいきれない面もあり、どちらかといえば健康的な男子の指向といってもいい。たとえば、戦時、出征する兵士たちは許嫁や恋人の陰毛を後生大事に手帳にはさみ、いついかなるときも肌身離さず戦い続けた。これがフェチにあたるのかどうか。ただ、女性の身代わりとなるようなものはすなわち物神であり、物神を崇拝することをしてフェチズムのひとつと考えられているから、人間はそもそも偏愛的かつ偏執的な知的生命体ということになるのだろう。
で、毛である。
体毛の濃さに悩んでいる女子高生と、体毛の薄さに悩んでいる男子高校生の物語とはまったくよくおもいついたもので、この発想はなるほどたいしたものだ。しかも、その女子高生が見事なまでに不器用かつ天然で、純粋無垢のおぼこ娘であり、ひるがえって男子高校生が陰毛がいつまでも生えてこないことに悩み悶えているほかは女子好きのするちょっぴりぷっくりしたつやつや肌をもった年の割には純情奥手とくれば、当然、美しい青春の展開が期待できるというものだ。
これが、百戦錬磨のふたりだったら、というより、処女でも童貞でもない、ひねくれた存在つまり大人というどうしようもない生き物になりさがってしまったら、単なる変態物語にしかならないだろう。つまりは、きわめてすれすれの実にきわどいところでこの青春映画は成り立っているのである。
毛の濃さに悩んでいる女子高生は、単に「毛を剃るのがうまいかもしれないし真面目だから口も堅そうだ」という、異性としてまるで意識していない男子高校生に「わたしの毛を剃ってくれない?」と頼む。これが青春のパンドラの匣を開けてしまうわけだけれども、女子高生にほとんど罪の意識はなく、単に恥ずかしいというだけの気持ちがあるのに対し、男子高校生の方はもうどうしようもないくらい妄想的性生活のまっただなかにいるだけでなく「この子すげー可愛いじゃん」ていうふしだらの塊みたいな気持ちを抱えているから、この温度差はもう破壊的ですらある。それが、ぼくらにはわかっているから、この映画はぎりぎりのところでおもしろいのだ。
「毛を剃ってくれない?」
といわれたら、ふつう、陰毛を想像する。それは、ぼくたちが助平なおとなになってしまっているからで、天然ボケの女の子とおぼこ娘はどこの手かわからないし、毛が濃くて悩んでいるとか聞いたら「あ、腕か脚ね」と考えがちだ。この差が、徐々に興奮度をあげていくわけで、それが「腋毛」となったとき、ちいさなピークに達する。
そう、腋毛。
腋というのは、股に匹敵するほど魅惑的なものであることはうたがいなく、腋フェチは立派なフェチのひとつと考えられるし、腕や脚の毛を剃ってあげるくらいまだまだ興奮度は低いが腋を剃ってほしいといわれた途端、男子高校生の興奮はいっきょに沸点ちかくまで昇り詰めるだろう。実際、毛が生えている腋を覗き込んだときの須賀健太はそうだった。
結局、かれの興奮が爆裂したときには「お願いだからあそこの毛を剃らせてくれっ」と土下座することになるし、いろいろあって感情をおさえきれなくなった刈谷友衣子もまたやけのやんぱち売り言葉に買い言葉となって「じゃあ、剃らせてあげるわよっ」と叫んだときに、ふたりの関係は爆裂し、プールに落ちていくことになる。こういうところ、たしかに大仰ではあるんだけど、青春ドラマの照れ臭くもついつい見ちゃう王道的な展開だろう。
ただ『アフロ田中』のような、どはずれてくだらない物語ほどに突き抜けたものが感じられなかったのは、どういうことだろう。やはり、主人公はあまりにも好い子すぎたのだろうか。まあ、こういう映画はいろんな分析するのも愚かだし、楽しめたんだからそれでいいか。