狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

My Testimony/僕の証<7-2/2>:自分の無い神第一・神実現・神の価値観、与えられたゆとり/God First, God Realization, God's sense of value

2019-02-01 14:43:39 | エッセイ・コラム
 ※ 本シリーズの記事は、昨年(2018年、平成30年)の内に投稿する予定であった為、本文中の「本年」とは2018年(平成30年)の事であり、訂正するには膨大な数に対応する為の手間と時間が必要となる為、敢えてそのままにしている事を御容赦願います。

 My Testimony & Witness
  僕の証<7>
    ~自分を捨てた神第一・神実現・神の価値観
       God First, God Realization, God's sense of value
     ゆとり、休養、「転機」が与えられた
     開き直り、裸になる事、自分を失くす事 
     「神第一」で得られる心の安定と静寂
     終末期に於ける「悔い改め」による「永遠の命」
     世間の「逆効果」



 僕は、この度の「My Testimony/僕の証」シリーズの記事を書くに当たって、最初から「証」をするつもりで書いた訳では無かった。書いている途中で、キリスト者(クリスチャン)がプロテスタントの教会等で一般的に行っておられる「証」をしている事に気付いた。このタイミングで、「偶々」、「証」を行う事は、正に「不思議」であり、「意味深」であり、そしてその事が、「神様の思し召し」によって促されて行った様に思われてならないのである。
 尚、キリスト者としての「証」についての説明は、次である。
 
 以下、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より、

 「証(あかし、testimony、witness)。キリスト教では、神様から頂いた恵みを人に伝えることを『証(あかし)をする』と言う。似た表現に、『分かち合う』という言葉があるが、これは少人数で深く話し合うような場合に使われる。大勢の人の前で、発表する場合は『分かち合い』ではなく『証』または『立証』というのが一般的。救世軍では『証言』(読み方は『あかし』)と表記する。
 神の恵みに感謝することはもとより、神を誉め讃える点がポイントである。まれに牧師や司祭による説教と同じく、高度な神学理論を用いたものとなることもある。プロテスタントにおいてはしばしば礼拝の中で時間を割いて信徒による立証が行われるが、牧師による説教が聖書の解き明かしであるのに対し、立証は自らの体験に基づいて神の恵みを参列者と共有することであるという相違がある。また、キリストを信じるに至っていない人に対して証をすることも大切なことだと考えられており、福音伝道の主要な手段の一つでもある。
 さらには、生活の多様な場面において信仰に基づいた選択および行動をとることも証と呼ばれる。クリスチャンは天国に迎え入れられることよりはむしろ、イエスが説教を通じて伝えたことを地上においてどのように生かしていくかということに主な関心を抱く。いわば、クリスチャンの生涯とはそれ自体が証である。」

 (以上、ウィキペディア「証 (キリスト教)」より)

 (「My Testimony/僕の証<7-1/2>」からの続き)……

  本ブログを始めてから、丸6年が経った。丁度始めた直後、医療系の最後となるクリニックに2ヶ月のみ在勤させて頂いた。このタイミングも意味が深く感じる。僕は今後、医療系に戻る事は無く、それで区切りが付いた。そして、慣れた鉄工関係と並行しながら、ここまでブログが続いている。
 鉄工は慣れた仕事である為、家に仕事を持ち帰る必要が無い。かつて若い頃は、図面を自宅に持ち帰り、給料に繋がらないにも関わらず、ややこしい図面と睨めっこしたり、寸法出し、展開等と、材料の書き出しを行ったりしたものであった。しかし今は、「自分の時間」に於いてするべき事が有るので、家に持ち帰る事はしない。
 もし医療系に勤めるとしたら、どうであろうか?。慣れた仕事では無い為、家で仕事の勉強もしなければならず、その他諸々、仕事を家に持ち帰らなければならなくなってしまう。それでは、僕の「目的」に向かう事は、出来なくなってしまう。
 テレビ番組のタイムテーブルを見てみると、どうであろうか。何と、医療ドラマの多いことか!。その白衣姿のテレビ・ドラマが多い反面、作業着姿のテレビ・ドラマは何と少ない事か!。今は、丁度、「下町ロケット」(TBS系)を放送している。しかし、そのドラマも、下町は共感出来るものの、僕が居る世界、小さな古い町工場の下請け鉄工所とは違う。
 僕は、思う。医療の世界を知りたく、且つ見たかったら、テレビ・ドラマでも見ておけと。それでも飽き足らないのであろうか?。世間の方々は、足るを知らず、貪欲である。僕は、そんな世間の期待、欲望には応えないし、今後、その世界に、戻る事は無い。
 ついでに、僕は、セックス等のような仕様もない(しょうもない)、くだらない事を見せるつもりは全く無いので、悪しからず。
 兎に角、僕は今や他に「目的」を持つので、そんな周囲の「雑音」には耳を貸さない。その一環としての、「ブログ」である。

 長期休暇を取り、引きこもる事は、今までにも数回有った。「高校中退」後にも有ったし、大怪我の後の入院2ヶ月と自宅療養3ヶ月、6年前(2012年)の半年間と2ヶ月、そして昨年から今年に掛けての7ヶ月と2ヶ月の休暇である。それぞれに意味は有った。
 「高校中退」後、兎に角、家を出て独り暮らしをしたかったのであるが、お金が無い。そして世間知らず、ウブな僕は、最初の或る仕事の数ヶ月の見習い後に引きこもり、その後、働いてアパートを借りる事3ヶ所を「転々」とするも、また引き返して実家に戻り、引きこもった。その後、20歳の時に家出をし、県外各地を「転々」とした。
 怪我の入院後の自宅療養時には色々考えたが、仕事への復帰を翌月に控えた最終月になってからやっと、「大検」の勉強に取り掛かり始めた。
 6年前は、非常に内容の濃いものとなった。遺書の意味も込めて非常時に「備え」る「もしもノート」の作成、非常時・災害時の減災対策としての備蓄等の「備え」、そして「聖書通読」開始、此の世での死によって天に昇る前に必要な「悔い改め」の「心の備え」を行った。6年前は、僕にとっては「備え」の年であった。
 2013年、その直後の医療系最後のクリニック勤務後に区切りが付いた後、或る派遣の倉庫の仕事、大手K重工業への素人工としての派遣を挟んで、町工場の小さな下請け鉄工所に3年間勤めた。派遣2つとその鉄工所の勤務期間の合計は、「3年半」である。
 その鉄工所をクビになった翌年である昨年(2017年)、転々と鉄工所の職場を変え、そして、その年の11月からの7ヶ月間、また一旦出たものの、8~9月の間、此の度の長期休暇に入った事となる。その間、ただ「しんどい」からと寝てばかりいた訳では無い。実際、その最初の日、もう丁度1年を過ぎたが、「Preparation」(プレパレーション)を簡潔に纏め書いたものを、書斎の机の前に貼っている。「Preparation」とは、心構え、覚悟、準備、用意、標本、ミサの前の祈り、備えの日の事であるが、最も大事なのは、先程も述べた、此の世での死によって天に昇る前に必要な、「心の備え」となる「悔い改め」の事である。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書4章17節
   この時から、イエスは宣教を開始して、言われた。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」

 The New Testament・The Gospel of Matthew 4:17
   From that time, Jesus began to preach, and to say, “Repent! For the Kingdom of Heaven is at hand.”


 現在、「此の世の終末」が、近付いているのである。しかし、世間の中には、憲法改正反対等と「寝ぼけた」、「平和ボケ」した事を言っている者が多い。僕は長期休暇の間、決して寝ぼけてはいなかったのである。
 日本の政治だけでは無く、世界情勢、中でも中東地域は重要である。日本人にとっては「石油」の為に重要な地域ではあるが、「聖書」を読んで信仰する者、創造主である唯一の神様を信仰する者にとって、「心」の為に重要であり、中東は最重要地域と言って良い。そのパレスチナや現「フェイク・イスラエル」をはじめとした中東地域を中心とした国際情勢が、その長期休暇時にも、大きく、また回転も速く、変動し、流動して、揺れ動いていた。
 しかし、僕の要領の悪さや能力の無さから、その目紛るしく変転とする世界情勢について行けず、処理できず溜まる事となり、お金も失くなり「飯の種」が必要になってくると、この先の時間を取れない「不安」感や、捌く事が出来ない事からの焦りや苛立ちが生ずる事となり、「純粋無垢」となった「敏感期」も重なって、精神、心は「不安定」となった。またその間、「聖書」をはじめとした読書から離れていた事で、心の「アダプター」が外れていた事も、原因である。

 その世界情勢を追いながらの書き物や、プライバシーが曝け出される中で、「開き直り」、「裸」となり、自分を「無」にした上での「ヒント」の製作の後、次の長期休暇では欠けていたものに気付いていた為、読書による「落ち着き」を求めた。実際、その後、心は「安定」している。
 そして、より深く研究、検証、キュレーションするの為に購入しておいた本を読んだ。「空気の研究」は勿論の事、「旧ナチス・ドイツ軍によるユダヤ人ホロコーストは無かった」事、「本当のユダヤ人の約束の地はアラビア半島のアシール」、「本当の『血統的』ユダヤ人はパレスチナ人の中に多く含まれている」事、「現イスラエルは偽物で神様との契約を持たない」事、「本当のユダヤ人の起源と歴史」等についてである。

 長期休暇に入る前、またその後の近況に於いて、「マシンガン・トーク」の様な「症状」が出ていたが、これが、精神的に、一種の「パニック」に陥っていたのではないかと思う。僕の「不思議」さ故に、今まで周囲の目、周りの反応、世間の攻撃が、僕に対して行われて来た。それ故、実際、長期休暇の前には、精神的に疲れていた。普段マイペースではあるものの、それまで「鈍感力」も持ち合わせていたものの、長期休暇の前は、正直「しんどい」状態であった。しかし、今、考えてみると、その昨年の休暇前の一連の迫害は、僕の「開き直り」や、僕が「裸」になる事、「自分を無にする事」を、神様が引き出そうとしてのものであった気がする。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第二4章8~10節
  私たちは、四方八方から苦しめられますが、窮することはありません。途方にくれていますが、行きづまることはありません。
  迫害されていますが、見捨てられることはありません。倒されますが、滅びません。
  いつでもイエスの死をこの身に帯びていますが、それは、イエスのいのちが私たちの身において明らかに示されるためです。

 The New Testament・The Second Epistle to the Corinthians 4:8~10
  We are pressed on every side, yet not crushed; perplexed, yet not to despair;
  pursued, yet not forsaken; struck down, yet not destroyed;
  always carrying in the body the putting to death of the Lord Jesus, that the life of Jesus may also be revealed in our body.


 そう、イエス様に祈り、そして繋がっている限り、四方八方から迫害されようとも滅ぶことは無く、神様であるイエス様でも苦しまれられたのだと、自分も同様にその苦しみ、辱めを身に負うべきだと考える必要があろう。そして、僕自身が、イエス様の自分を「無」にされた犠牲の姿を体現し、イエス様を「証」出来る様にならなければならないのであろう。

 
 



 新約聖書・コリント人への手紙 第一10章13節
  あなたがたの会った試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。

 The New Testament・The First Epistle to the Corinthians 10:13
  No temptation has taken you except what is common to man. God is faithful, who will not allow you to be tempted above what you are able, but will with the temptation also make the way of escape, that you may be able to endure it.


 神様に試され、練られ、そして磨かれていく。そうして、僕は、成熟していく。

 
 



 旧約聖書・詩篇4章1節
  私が呼ぶとき、答えてください。
  私の義なる神。
  あなたは、私の苦しみのときに
  ゆとりを与えてくださいました。
  私をあわれみ、私の祈りを聞いてください。

 The Old Testament・The Book of Psalms 4:1
  Answer me when I call,
  God of my righteousness.
  Give me relief from my distress.
  Have mercy on me, and hear my prayer.


 疲れ、「しんどい」、パニックに陥る程の正に窮状の時、神様は、そのピッタリのタイミングで、僕に「ゆとり」を与えて下さった。

 
 



 新約聖書・マタイの福音書 4章1~4節
  さて、イエスは、悪魔の試みを受けるため、御霊に導かれて荒野に上って行かれた。
  そして、四十日四十夜断食したあとで、空腹を覚えられた。
  すると、試みる者が近づいて来て言った。「あなたが神の子なら、この石がパンになるように、命じなさい。」
  イエスは答えて言われた。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」

 The New Testament・The Gospel of Matthew 4:1~4
  Then Jesus was led up by the Spirit into the wilderness to be tempted by the devil.
  When he had fasted forty days and forty nights, he was hungry afterward.
  The tempter came and said to him, “If you are the Son of God, command that these stones become bread.”
  But he answered, “It is written, ‘Man shall not live by bread alone, but by every word that proceeds out of God’s mouth.’ ”


 僕は長期休暇時、収入が途絶えていたにも関わらず、一向に気にする事無く、書き物に集中し、熱中した。

 
 








 新約聖書・ヨハネの福音書4章5~15節
  それで主は、ヤコブがその子ヨセフに与えた地所に近いスカルというサマリヤの町に来られた。
  そこにはヤコブの井戸があった。イエスは旅の疲れで、井戸のかたわらに腰をおろしておられた。時は六時ごろであった。
  ひとりのサマリヤの女が水をくみに来た。イエスは「わたしに水を飲ませてください。」と言われた。
  弟子たちは食物を買いに、町へ出かけていた。
  そこで、そのサマリヤの女は言った。「あなたはユダヤ人なのに、どうしてサマリヤの女の私に、飲み水をお求めになるのですか。」――ユダヤ人はサマリヤ人とつきあいをしなかったからである。――
  イエスは答えて言われた。「もしあなたが神の賜物を知り、また、あなたに水を飲ませてくれと言う者がだれであるかを知っていたなら、あなたのほうでその人に求めたことでしょう。そしてその人はあなたに生ける水を与えたことでしょう。」
  彼女は言った。「先生。あなたはくむ物を持っておいでにならず、この井戸は深いのです。その生ける水をどこから手にお入れになるのですか。
  あなたは、私たちの先祖ヤコブよりも偉いのでしょうか。ヤコブは私たちにこの井戸を与え、彼自身も、彼の子たちも家畜も、この井戸から飲んだのです。」
  イエスは答えて言われた。「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。
  しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水がわき出ます。」
  女はイエスに言った。「先生。私が渇くことがなく、もうここまでくみに来なくてもよいように、その水を私に下さい。」

 The New Testament・Gospel of John4:5~15
  So he came to a city of Samaria, called Sychar, near the parcel of ground that Jacob gave to his son, Joseph.
  Jacob’s well was there. Jesus therefore, being tired from his journey, sat down by the well. It was about the sixth hour.
  A woman of Samaria came to draw water. Jesus said to her, “Give me a drink.”
  For his disciples had gone away into the city to buy food.
  The Samaritan woman therefore said to him, “How is it that you, being a Jew, ask for a drink from me, a Samaritan woman?” (For Jews have no dealings with Samaritans.)
  Jesus answered her, “If you knew the gift of God, and who it is who says to you, ‘Give me a drink,’ you would have asked him, and he would have given you living water.”
  The woman said to him, “Sir, you have nothing to draw with, and the well is deep. So where do you get that living water?
  Are you greater than our father, Jacob, who gave us the well and drank from it himself, as did his children and his livestock?”
  Jesus answered her, “Everyone who drinks of this water will thirst again,
  but whoever drinks of the water that I will give him will never thirst again; but the water that I will give him will become in him a well of water springing up to eternal life.”
  The woman said to him, “Sir, give me this water, so that I don’t get thirsty, neither come all the way here to draw.”

 休暇の間、書き物に熱中していた時、それは正に、「水を得た魚」となっていた様な気がする(因みに、一部では、僕の事を「魚」と渾名(あだな、ニックネーム)する者が居る)。


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 マタイの福音書 6章25~34節
  だから、わたしはあなたがたに言います。自分のいのちのことで、何を食べようか、何を飲もうかと心配したり、また、からだのことで、何を着ようかと心配したりしてはいけません。いのちは食べ物よりたいせつなもの、からだは着物よりたいせつなものではありませんか。
  空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。けれども、あなたがたの天の父がこれを養っていてくださるのです。あなたがたは、鳥よりも、もっとすぐれたものではありませんか。
  あなたがたのうちだれが、心配したからといって、自分のいのちを少しでも延ばすことができますか。
  なぜ着物のことで心配するのですか。野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
  しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。
  きょうあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
  そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。
  こういうものはみな、異邦人が切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。
  だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。
  だから、あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します。労苦はその日その日に、十分あります。

 The Gospel of Matthew 6:25~34
  Therefore I tell you, don’t be anxious for your life: what you will eat, or what you will drink; nor yet for your body, what you will wear. Isn’t life more than food, and the body more than clothing?
  See the birds of the sky, that they don’t sow, neither do they reap, nor gather into barns. Your heavenly Father feeds them. Aren’t you of much more value than they?
 “Which of you by being anxious, can add one moment to his lifespan?
  Why are you anxious about clothing? Consider the lilies of the field, how they grow. They don’t toil, neither do they spin,
  yet I tell you that even Solomon in all his glory was not dressed like one of these.
  But if God so clothes the grass of the field, which today exists and tomorrow is thrown into the oven, won’t he much more clothe you, you of little faith?
  “Therefore don’t be anxious, saying, ‘What will we eat?’, ‘What will we drink?’ or, ‘With what will we be clothed?’
  For the Gentiles seek after all these things; for your heavenly Father knows that you need all these things.
  But seek first God’s Kingdom and his righteousness; and all these things will be given to you as well.
  Therefore don’t be anxious for tomorrow, for tomorrow will be anxious for itself. Each day’s own evil is sufficient.


 そう、「自分の意志」、「自分の思い」から「心配」したからと言って、自分の此の世に於ける寿命を永遠にする事は出来ない。高々、此の世での命は100年有るか無いかの僅かである。しかし反対に、自分を「無」にして「神第一」とし、神様の思いを第一とするならば、後の天での「永遠の命」が得られる。また、兎にも角にも此の世の生を全うしなければならない中で、自分の欲望を捨てた後、神様に祈り、願い、信仰する事で、全ては備えられる。

 
 



 新約聖書・ヨハネの福音書4章32~34節
  しかし、イエスは彼らに言われた。「わたしには、あなたがたの知らない食物があります。」
  そこで、弟子たちは互いに言った。「だれか食べる物を持って来たのだろうか。」
  イエスは彼らに言われた。「わたしを遣わした方のみこころを行ない、そのみわざを成し遂げることが、わたしの食物です。

 The New Testament・The Gospel of John
  But he said to them, “I have food to eat that you don’t know about.”
  The disciples therefore said to one another, “Has anyone brought him something to eat?”
  Jesus said to them, “My food is to do the will of him who sent me and to accomplish his work.


 休暇中、「自分の務め」として考える事に集中し、熱中していた時、僕は「不思議」と、余り空腹感を感じなかったものだった。

 
 



 新約聖書・テモテへの手紙 第二4章5~7節
 しかし、あなたは、どのようなばあいにも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。
 私は今や注ぎの供え物となります。私が世を去る時はすでに来ました。
 私は勇敢に戦い、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。

 The New Testament・The Second Epistle to Timothy 4:5~7
  But you be sober in all things, suffer hardship, do the work of an evangelist, and fulfill your ministry.
  For I am already being offered, and the time of my departure has come.
  I have fought the good fight. I have finished the course. I have kept the faith.


 以下、2018年10月1日付、神戸新聞朝刊「からだ 病それから 働き盛りこそ長い休みを 人生100年『60代はゴールではない』 宗教学者 島田裕巳さん(64)甲状腺機能亢進症」より
  「…(前略)…原因は分かりません。ただ、大きなストレスはありました。一連のオウム真理教事件が起きた際、教団を擁護したと激しいバッシングを受け、’95年11月に大学を辞めました。教授になったばかりでした。その後仕事はなく、確定申告額は年間150万円とか180万円で入院前はどん底状態。貯金もなくなりました。…(中略)…
  ……今は元気です。体と気力は病気の前後で全然違います。もし大学にいたら、引き受けざることが多過ぎて死んでいたかもしれない。何が幸いするか分からない。
  現在は年間10冊ぐらい本を出し、次の構想も浮かんできます。10年近く休んだことで、余力が生まれたためでしょう。
  そう考えると、長い休みが必要なのではないかと。現代は60代がゴールではなく、もっと働かないといけない。人生100年の時代、働き盛りこそ。長期に休む必要がある。40代、50代で3、4年休んでも、どうってことないですよ。…(中略)…
  ……人生を全うしたという点で、死は悲しむことではないと考えていますから。ただ、この年齢では、まだ宗教学者としては若くて重みが足りない。年を取れば取るほど、仕事が充実する世界なのです。」
 (以上、2018年10月1日付、神戸新聞朝刊「からだ 病それから 働き盛りこそ長い休みを 人生100年『60代はゴールではない』 宗教学者 島田裕巳さん(64)甲状腺機能亢進症」より)

 島田氏も、「自分の意志」で休みだした訳では無い。恐らく、「神様によって」休暇に導かれたのではないだろうか。そして、いい意味での「逆効果」として、却って、良い結果に繋がっている。正に、僕と同じ様であるし、そして更に同じく「世間の価値観の反対」である様に感じる。
 僕も社会に出て以来、今まで迫害、バッシング、挑発、嘲笑、愚弄、差別等を受け、除け者にされて来た。しかしそれらによって、却って、自分自身を高める事に繋がって来た。正に「試練」、練られて磨かれて来た様に思う。勿論それは表面的なものでは無く、内面、精神面、心に於いての事である。周囲からの迫害、攻撃によって、元々の僕のセンス、反骨、気骨、頑固、狷介、臍曲がり、捻くれ、天邪鬼、非常識な性格が花開き、それが現在、活きている。除け者にされ「孤独」になる事によって、自ら勉強し、自ら捉え、自らが考え、自ら判断し、自らが行動するという事に繋がった。また、群衆に混ざらない事によって、流されずに地に足を付け、自分の立場で、自分のペースで、物事を冷静に客観視する事が出来ている。そして、一人で居る事は、心静かに、落ち着いて、自分の内面を見、神様に祈り、神様と直接向き合う事が出来る。「孤独」は心を成熟させるものであり、世間にとっては「逆効果」となっているのである。

 神様によって導かれて来た、僕のここまでの人生。「自分の意志」で行う事は、尽く失敗して来た。しかし、その都度、修正され、立て直され、復活、再興へと導かれた。それと同時に、僕の人生、過去、現在そして未来も含めて、全て「神様の御計画」の内に存在している事を思う。神様から「不思議」な「恵み」が与えられ(1年以上前までは、我慢を伴う「自分の十字架」と捉えていた)、試練が与えられる中、僕に与えられているその「不思議な恵み」としての「タラント」(才能)を活かす様に方向付けられて来た様に思う。「開き直れ!」、「裸になれ!」、「自分を失くせ!」と……。
 そうして本当に開き直り、裸になり、自分の欲望を捨て、自分を失くした上で神様と繋がった時、本当の強さが得られるのではないだろうか。

 
 



 コリント人への手紙 第二12章9~10節
  しかし、主は、「わたしの恵みは、あなたに十分である。というのは、わたしの力は、弱さのうちに完全に現われるからである。」と言われたのです。ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう。
  ですから、私は、キリストのために、弱さ、侮辱、苦痛、迫害、困難に甘んじています。なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです。

 The Second Epistle to the Corinthians 12:9~10
  He has said to me, “My grace is sufficient for you, for my power is made perfect in weakness.” Most gladly therefore I will rather glory in my weaknesses, that the power of Christ may rest on me.
  Therefore I take pleasure in weaknesses, in injuries, in necessities, in persecutions, and in distresses, for Christ’s sake. For when I am weak, then am I strong.

 開き直り、裸になり、自分の欲望を捨て、自分を失くすという事は、「自分の弱さ」を曝け出すという事である。世俗に於いては、地位、名誉、学歴、肩書、所有、財産、能力、実績、ファッション等々……、それらの「虚飾」で覆う事によって、自分の素や本質、正体を隠し、秘密にして、強く見せているに過ぎない。此の世に於いて幾ら強く見せたところで、人間はいずれ死ぬ。人間は弱い存在であるので、やがて老弱、病弱となり、たった100年有るか無いかの短い寿命で死んでしまうのである。
 しかし、神様への信仰心を持ち、自分を失くした上での「イエス・キリストと『直接』繋がる強さ」によって、心の「安定」と「静寂」という人間の強さを獲得し、更に、昇天する前の心の準備としての「悔い改め」を行う事によって、「永遠の命」という真の強さを得る事が出来る。
 現在は「終末期」に在る。「神第一」、「悔い改め」を胸に刻む。

 
 



 詩篇147章3節
  主は心の打ち砕かれた者をいやし
  彼らの傷を包む。

 The Book of Psalms 147:3
  He heals the broken in heart,
  and binds up their wounds.

 
 



 コリント人への手紙 第一15章10節
  ところが、神の恵みによって、私は今の私になりました。そして、私に対するこの神の恵みは、むだにはならず、私はほかのすべての使徒たちよりも多く働きました。しかし、それは私ではなく、私にある神の恵みです。

 The First Epistle to the Corinthians 15:10
  But by the grace of God I am what I am. His grace which was given to me was not futile, but I worked more than all of them; yet not I, but the grace of God which was with me.

 
 



 旧約聖書・歴代誌 第二36章16節
  ところが、彼らは神の使者たちを笑いものにし、そのみことばを侮り、その預言者たちをばかにしたので、ついに、主の激しい憤りが、その民に対して積み重ねられ、もはや、いやされることがないまでになった。

 The Old Testament・The Second Books of Chronicles 36:16
  but they mocked the messengers of God, and despised his words, and scoffed at his prophets, until Yahweh’s wrath arose against his people, until there was no remedy.


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  ・本ブログ ブックマーク:「My Testimony & Witness/僕の証 2018」 ・・・本ページ右サイド

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  ・2013/02/10付:「『生命倫理』について・・・(5)『運命』を素直に受け入れ、大きく委ねる」
  ・2013/04/13付:「俗事における『無用性』は一時的なもの・・・信仰によって生き、永遠を求める」
  ・2014/06/08付:「お金・事業より優る『思想』、それをも上回る独立した名も無き小さな一個人の勇ましく高尚な真面目なる『生涯』・・・『後世への最大遺物・デンマルク国の話』を読んで」
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  ・2015/08/23付:「失敗、ユニーク、ユーモア・・・『道化師の孤独』を抱えた『聖なる無用性』:『寅さんとイエス』を読む」
  ・2016/04/10付:「独立自尊の精神で孤往独邁の覚悟・・・妥協せず精神面での勝利、『自分を取り戻す』」
  ・2016/05/08付:「聖霊存する不動の土台が築かれた心により失敗・ユニークが才能・特性に変貌する・・・『聖書力』を読む」
  ・2017/05/05付:「『ひきこもり』は良い事である・・・精神的修練と自立、心の成熟、自己点検、内省、瞑想、普通であろうとする間違い、アイデンティティにこそ値打ち、自分と公義とのバランス、そして根本規範」
  ・2017/07/22付:「『陰徳』により人からの評価・承認を得られずとも後の永遠と創造主の守護を得る・・・過去を想起し、自分を知り、現在・未来と運命・役割を考える」
  ・2017/07/23付:「高校中退後の30年間、友達・つながりが全く無かったが、こうして今ちゃんと生きている・・・世間・マスコミの論拠崩壊、独立自尊の精神、マイペース、へそ曲がり、リラックス、そして行雲流水、成るように成る」
  ・2017/08/11付:「『カラスの恩返し?』、ペンギンの様に飛躍せず、天の孔雀ならぬ天の邪鬼な、酉年生まれの私・・・『けっして覗かないでください』と、大した才能も無く、日々物書き」
  ・2018/01/09付:「十日戎に見る日本人・・・地上での幸福のみを願う自分の欲望を神とした祈り、渇く水を追い求める人々、敬虔な信者は自分の事を願わず神に感謝し神を賛美、人それぞれのタラントに応じた務め」
  ・2018/02/27付:「『隠遁者』で『世捨て人』、『道化師』の私からの一言、『麻生さん、ひょっとして、マンガが好きって「ドラえもん」の事だったのですか?』」
  ・2018/02/27付:「『ボタン一つ』の『生命倫理』、核戦争、仕事、技士さん、そして透析医療と導入前『保存期腎不全対策』に見る病院の『利益相反』行為」
  ・2018/03/19付:「僕の先月の追記:I am“out-low”, servant, and no ability神様の恵みで益とされるPeople are made as good by the grace of God」

 引用文献
  ・新改訳聖書(発行:日本聖書刊行会)
  ・新改訳新約聖書(1965年版)(発行:日本聖書刊行会)
  ・World English Bible(eBible.org)

  ・ウィキペディア:「証 (キリスト教)」

 参考文献
  ・2018/10/01付・神戸新聞朝刊:「からだ 病それから 働き盛りこそ長い休みを 人生100年『60代はゴールではない』 宗教学者 島田裕巳さん(64)甲状腺機能亢進症」
 
 「 My Testimony/僕の証<7> 」<1/2> ~ <2/2> ↓
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