狷介不羈の寄留者TNの日々、沈思黙考

多くの失敗と後悔から得た考え方・捉え方・共感を持つ私が、独り静かに黙想、祈り、悔い改め、常識に囚われず根拠を問う。

「ひきこもり」は良い事である・・・精神的修練と自立、心の成熟、自己点検、内省、瞑想、普通であろうとする間違い、アイデンティティにこそ値打ち、自分と公義とのバランス、そして根本規範

2017-05-05 21:22:00 | 孤独・独立・自尊心
 (2017/05/06:追画)

 最近、一般的には余り関心が向かず気が付きにくい空白となっている部分に、「隙間ビジネス」を起業して新たにサービスを提供する者が多いと言う。しかしその中には、人の弱みにつけ込む悪徳業者も含まれると言う。
 先日、引きこもり自立支援を謳う悪徳業者に被害を受け騙されたとして、20代の女性と母親がその業者を相手とする裁判所への提訴が行われた。尚、現状として引きこもり支援を行う公的機関や自治体と連携したNPO団体は少なく、最近その隙間を埋める様にして民間業者が増えつつあると言う。
 その原告の女性は(長期の?)ひきこもりでは無かったが、母親とのトラブルが絶えなかった事から母親が苦悩し、インターネットに掲示されている当該する業者に相談し、業者側が即対応にあたる事となった。3ヶ月分の契約料570万円も支払い、女性の自宅のドア・チェーンを工具で壊して女性を強制的に連れ出し、業者の賃貸アパートの一室に軟禁した。部屋には布団とペットボトル水しか無く、監視者が見張りに付き、友人の力を借りて逃げて連れ戻された時には殴る、蹴る、箸で刺す等の暴力を受けたと言う。逃げた際には警察に相談したが、信用してもらえず、母親には強制的に取らされた笑顔のピース写真を送って安心させていた。従順を装って出来た隙に逃げて実家の母親に訴えて、母親は洗脳から解けたと言う。インターネットのホームページには「信頼と実績」、「公認」、元警察官が代表を務めると謳い、母親が相談後に訪れた事務所には、有名政治家と並んで移した写真が飾られ、政府と連携している等と言って信用させた。この業者は、20~30代のひきこもりの人たちを集めて共同生活をさせ、顧問弁護士も雇っているとの事である。
 まず、先日、保育園と幼稚園の機能を併せ持つ、或る認定こども園の保育環境の劣化が問題となっていたが、その問題と同様に、親御さんが安易に他に子供を預けて依存し、「育児放棄」している事がそもそも間違っている事が言える。依存した結果が悪いからと言って人のせいにするのでは無く、自立して自分で考えて自分で行い、その結果を自己責任として受け入れる姿勢・精神が必要なのである。自分の子供を直接、自分で育てる事が必要である。親御さんそれぞれの自立意識が必要である。但し、原告の女性は20代で、しかも実家から離れてマンションを借りていたとの事である。しかし、実家は高額契約料を払えるぐらいに裕福そうであるので、家賃を自分で払っていたかどうかは疑問である(或いは賃貸では無いのかもしれない)。
 そして、ひきこもる事は何も悪くないのである。長期間に及ぶ事は良くないかもしれないが、マイペースに、人生の中において、その時々にひきこもる事は、人生全体で捉えた場合には、ほんの一瞬の出来事に過ぎない。また、後の永遠の中の極僅かなこの世の人生で、しかもその内の一瞬、一時期の事であるに過ぎないのである。しかし世間一般的には、その一瞬の出来事や目先の事ばかりに目が奪われている人たちが多く、人生全体をトータルで眺める事が出来ていない。人生全体をトータルで眺めると言う事は、今現在だけでは無く、過去を振り返って反省や教訓にし、また未来を展望して考える事が含まれるのである。その人生全体をトータルで眺める為にも、ひきこもって独りで黙想し考える、自分の時間が必要なのである。
 そうした、ひきこもって独り自分の時間を持つ事によって、自分の内側を見て内省し、点検・確認をし、心の成長・成熟に繋がる。周りの群衆の中に混ざって流されてしまうのでは無く、独り群れから離れて立ち止まって考え、またその群衆を客観的に見る事によって批判精神を養う。日々の仕事等での忙しさから一服を取り、心身を今一度調整して更新する。あの一休さん「ひと休み、ひと休み」と言いながら、秀でた頓知(とんち)を働かせていたのである。
 バランスを取る事が大事である。バランスを取ると言っても、50:50のバランスにする必要は無い。勤務における平日と休日にしても、土曜日が休みであったとしても、5:2のバランスである。そのバランスの取り方は、人それぞれで異なる。自分のエゴイズムと周りへの気遣いのバランスとして、「個性6割、思いやり4割」(「モデル失格 幸せになるためのアティチュード」著者:押切もえ氏、出版:小学館より)と表現された方もいる。自分の用事と公義を果たす事とのバランスも必要である。
 また、ひきこもりが長引き過ぎる事によっても、バランスが崩れる可能性もある。精神的な活動が中心になる事によって、身体的活動量が減ってしまう。その為に、生活のメリハリが失われ、脳への血液循環が悪くなって、不眠鬱的な症状となり、能率も下がり、将来的には認知症に繋がる恐れがある。
 しかし、適度にストレッチ体操、散歩、ジョギング等の軽い運動を伴ったひきこもりをする事で、読書をしたり、物を書いたり、瞑想、祈り、悩み考える事で、精神的に昇華するのである。
 経済的な自立をする事は勿論必要であるが、それだけでは無く、精神的にも自立する必要がある。とかく世間や空気、群れに依存している傾向が伺える世間一般的な人たちを私が客観的に見ると、精神的な自立があまり出来ていない様に見える。
 そして、何も世間一般と同じ事をする必要は無いのである。本日のゴールデンウィーク中の休日においても、私は独りひきこもっている。その事について、私は別に恥ずかしいとは全く思わないのである。この連休中に出かける事によって、人混みの中に埋没して(悪い意味で)揉まれたり、車の渋滞に巻き込まれてストレスが生じるだけで、却って心身の疲労が増えて逆効果である。外出するにしても、人の混んでいない海岸で、静かに波の音を聴きながら、独り釣り糸を垂らし水面の浮きを眺めながら、周りの自然溢れる景色も鑑賞しながら、リラックスして時を過ごす事を、私は選ぶ。
 普通であろうと考えるのは間違いである。周りと違っていて良いのである。周りと違う事が個性であり独自性である。そしてそのアイデンティティこそが誇りに成り得るのである。周りと同じであれば、果たしてそんなものは値打ちが有るのであろうか?。私は甚だ疑問に思っているのである。周りと違うからこそ値打ちがあるのである。商品を作り販売する上でも、他社の商品との差別化をマーケティングの上で考えるものである。
 周りに同調しようとする事は、自分の内面にとれば不自然な状態である場合が多いもので、それがストレスとなっている。人間関係で疲れるのは、その様な場合も有る。周囲から普通であると承認してもらうのでは無く、周囲から異なると思われながら自分の気持ちに素直になる事が自分の気持ちにとっての普通であり、それが正しいのである。勿論ここにおいても、公への自己犠牲をバランスとして持つ必要が有る。
 そして何よりも大事な事は、「根本規範」を持っておく事である。個人と公、自由と責任、権利と義務それぞれのバランスが必要であるが、根本規範が歯止めとなり、節度を保つ事にもなる。更に、判断基準になり、自律意識の形成、道徳意識の形成、良心の向上、将来の羅針盤、過去の点検規準ともなる。
 私の場合は「聖書」を根本規範に持つ。そして、聖書を土台にして、その上に自信・自尊心・アイデンティティを築いている。
 私は今までに、何回も「ひきこもり」をした経験を持つ。高校中退前、鉄工所の見習いに入る前で20歳前後の不安定な頃、怪我をして入院後の自宅療養などの時にその機会を持った。それらは無駄では無く、前述の様な内容を伴う経験として、私の今日に至るまでの肥やしとなっているのである。また、昔の先人たちにも、多くの「隠者」たちがおられた。隠者たちは隠遁生活をしながら、多くのものを後世に遺して来られたのである。

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 参考文献
  ・2016/03/14付・神戸新聞朝刊(丹波・篠山版):「『普通』こだわらないで 篠山 ひきこもり支援考える催し 『まずは相談』専門家ら助言」
  ・2017/05/01付・神戸新聞朝刊:「ひきこもり支援業者を提訴 関東の女性と母 高額契約料や暴力 支援の隙間 悪質業者横行」
  ・2017/05/01付・神戸新聞朝刊:「ひきこもり支援業者提訴の女性 『殺される』軟禁の恐怖今も 複数で連行、逃げ出せば暴力」


 (2017/05/06:追画)
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