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Day of Hope「希望の日」の到来は間近!

略奪者に主人の資格なし。 民を守れない為政者は失格・・・民を幸福にできない公職者は追放されなければならない

2017-04-07 12:08:26 | 統一家の行くべき道

略奪者に主人の資格なし

 

主なる神とヤコブの約束

ヤコブは主なる神に言った。「あなたが私の行く道を守り、私の着るもの食べるものを与えて下さり、故郷に帰してくださるなら。あなたが与えてくださる万物の10分の1を捧げましょう」と。

ここから国(主人)と国民(民)の関係が生まれてくる。それがさらに進めばその関係は親と子の関係になって行く。

 

国と民との関係 名君に学ぶ

国は国民の安全を守り国民が衣食に困らないように施策をしていく、それに対して民は納税ほかの義務を払う。

日本ではこのことを明確に説いたのが江戸初期の陽明学者熊沢蕃山であり、その思想をそのごとく行ったのが名君と謳われた備前岡山藩主池田光政であった。さらにその思想をもって米沢藩を立て直した上杉鷹山であった。いずれも名君として謳われている。

  熊沢蕃山は「士(さむらい)は愛だ「と説いた。「士の職務は民を愛することである。そして一丁有事の時には国民を守るために戦う。」事だと教えた。だから池田公は徹底的に民を愛した。水害等で苦難にあった民を助け、また藩内で階級差別をすることを禁じた。民のために産業の振興と教育事業に取り組んだ。そうして国も民も豊かになった。勿論いざと言うときの備えもきちんとした。

  上杉鷹山は、主君の役割は民の父母になることだと考え、自ら率先して質素倹約に努め、産業農業の振興に努め貧窮に仰いでいた藩と民を豊かに再生した。勿論教育にも力を入れた。

そして、そのような善政を施した主君やそれを補佐した家老職の名人物が江戸の末期にまで数多く出て来たのである。

 最近よく言われるが、江戸期の日本は世界でもまれにみる豊かで平和で差別のない国になっていたのである。そして、一般国民の識字率など国民教育のレベルも世界第一級だった。その地力が明治以降の急速な国力の発展をもたらしたのである。

 

統一運動ではどうだったのか

 さて話を元に戻そう。統一運動ではどうだったのか?初期の統一教会、そして世界的な統一運動の時代、その後の家庭連合時代、そして究極的には天一国となるべきその道は如何なものだったのか?

 父母の立場に立ち、究極的には平和の王の立場に立たれた真の御父母様は常に究極的な神様の愛、父母の愛の立場に立ち続けて来られた。しかし、教会から統一運動、統一家、天一国の施策の歩みは必ずしも善政が施されたとは言い難い歩みを続けて来たのが実際であった。

 の天一国の民はその理想とは裏腹に貧窮にあえぎ、献金ノルマに強制され、その歩みも強制されている。

 

 

王様の願いとは裏腹に民を虐待し続けた為政者たち

 結局王様の願いや理想を具体的に実施すべき官僚的立場の人間たちの能力のなさ、人格性の欠如、倫理観の欠落が、王様の掲げた理想とは裏腹の社会を作ってしまったのである。

 韓流ドラマで演じられる朝鮮時代の官僚たちの姿がそれであった。

 

 今半島の北半分に、最もよくない例の国家(もはや国家と言い難いが)が存在している。

国民を守るどころか、国民を戦禍に引きずり込むような挑発を連日繰り返している。民は食べることすらままならず餓死者を続出させている。そして国民には一切の自由が無い。きょいくはと言えばただただ首領様に忠誠を誓わせる教育ばかりである。この国にはトップに親の心がない。(かつて金日成の時代にはそれでも首領様はアボイと言われ、それなりに親心の施策もあった。ところが今はアそれが全くない。側近幹部も全くなし。これでは国家としての存立の条件が成り立たない。

 

 同じ社会主義国家でも、キューバはカストロが国民をとても大切にしたので長く存続した。中国も鄧小平が経済の発展を目指して国民をそれなりに豊かにしてきたのでここまで存続してきた。しかし北には何もない。

 

 問題は管理者の資質である。

 今統一家の民は貧窮にあえいでいる。だのに加重な献金要請は止まるところを知らない。そして思想信条の自由さえ奪われて、盲目的服従が求められている。

 かつて日本も一時現実的統治能力を欠いた軍人が政治の全権を握って陛下の望まれなかった戦いに国民を引きずり込み多大な犠牲を国民に払わせ、隣国にも損傷を与えた時代があった。

 戦争遂行には当時の日本を取り巻く情勢から不可避な状況もあったが、結果的にあまりにも多くの国民の生命と財産が失われてしまったことは政治面から見れば完全に失敗である。本来の武士道精神にも悖ることであった。

 それで戦後は専守防衛にかじ取りを改め、国民経済の発展に尽力した結果は日本は経済大国として発展、国力も充実し、国民経済も豊かになり、国民も平和と豊かさを満喫することが出来るようになった。

 

完全に方向を改めるべき時 

 統一家(天一国)は完全に方向を改めなければならない時に来ている。強権政治は即刻止めなければならない。加重な言論統制や、献金ノルマの実施も即中断しなければならない。民の生活充実に率先して取り組むことである。

 はっきり言って施策を間違った官僚たちは全員公職から追放されなければならない。全員がいったん平会員に降りるべきである。教会組織は民主化すればよい。牧会者(教会責任者)は、一般教会員の中から皆の推薦で優れた人格や能力を持つと思われる人物を立てて行えばいい。

 教会本部はいらない。全国教会の連合組織で最低限の連絡要員だけおいて運営すればよい。経費もほとんどかからない。

 ああ、それこそ本来お父様が願われた組織ではないのか。

 

そういう時が来ているのである。

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