かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠114(スペイン)

2017年05月10日 | 短歌一首鑑賞

馬場あき子の外国詠13(2008年11月実施)
   【西班牙 4 葡萄牙まで】『青い夜のことば』(1999年刊)P65
    参加者:T・K、T・S、崎尾廣子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
    レポーター:T・S
    まとめ:鹿取未放

 ◆ものを書くことや鑑賞に不慣れな会員がレポーターをつとめています。不備が多々ありますが
  ご容赦ください。(レポート)は、全てレポーター表記のママ。

114 西班牙の野を行きし天正使節団の少年のみしアマポーラいづこ

        (まとめ)
 次の章で天正使節団については詳しく検証するので、ここでは概略だけ述べる。天正遣欧少年使節団は4人、正史の伊藤マンショほか中浦ジュリアン、原マルチノ、千々岩ミゲルである。彼らはバテレンを保護した信長時代の1582年、長崎を出港、難行の末8年後に金銀財宝を積んで意気揚々と帰国する。しかし政権は秀吉に移っていて、彼らはすでに時代に歓迎されない存在だった。この後、追放、処刑と更に苦難の道をたどることになる。
 ちなみに派遣された時の年齢は13歳から14歳、まさに未だいたいけな少年である。そんな少年のわかやかな姿態とアマポーラの可憐さが微妙に重なる。好奇心一杯の少年達がスペインの野で見たアマポーラ、作者は数奇な運命をたどった少年達を偲びながら、なにか形見のようにアマポーラを求めている。
 この旅は5月下旬から6月初旬、ちょうどアマポーラの花期にあたるが、咲く姿には出会えなかったのだろうか。出会えたとしても「アマポーラいづこ」と余韻をもたせたのかもしれない。薄幸の少年たちを偲ぶには花盛りの描写より、花を探し求めている方がふさわしいように思われる。(鹿取)


     (レポート)
 後陽成天皇朝の1573年、天正遣欧使節、キリシタン大名大友宗麟、有馬晴信、大村純忠がローマに遣わした使節。結句のアマポーラはスペイン語で雛罌粟、ポピーの一種である。ヨーロッパではこの花の群生をあちこちで見ることができるという。天正使節の少年のみしということは作者は何かの書物で知っていたことになる。そこでその雛罌粟に会いたい作者であり、その願いの出会いも一つの夢としての旅行であったのかもしれない。そう理解するとスペインは特に真っ赤がにあう国、強く印象づける国であると想像できるし人をひきつける。「西班牙の野を行きし」は魅力的な言葉だ。(T・S)


      (当日発言)
★レポートには「1573年、天正遣欧使節」とありますが、天正遣欧使節は1582年ですね。(鹿取)