かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男一首鑑賞 251

2015年09月03日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究30(2015年8月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)105頁
                 参加者:石井彩子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:石井 彩子
                  司会と記録:鹿取 未放


251 君が覚め君の見ている窓が覚め電柱が覚め秋の日が澄む

       (レポート)
 愛し合う二人はいつも相手と同じものを観て、同じ体験をしたいと思う。この歌は覚めて窓に目をやり、その先の電柱をみている君の視線の動きに作者が同化して、澄んだ秋の覚めのひとときを、共に味わっている場面である。「覚め」が三度繰り返されているが、窓や電柱が覚めたわけではなく、作者が君の視線に合わせることによって、それまで目に入らなかった窓や電柱に気がついたということであろう。具体的な行為や会話がないが、男女の一場面を捉えて巧みな一首である。(石井)


        (当日意見)
★順番が面白いです。(曽我)
★そうですね、窓という近いところから、外の電柱、そしてそれらをひっくるめて包
 んでいる秋の日、澄んで透明な秋の空気が伝わってきます。(鹿取)
★覚醒状態を捉えるまでに3度の覚めが描かれている。(慧子)

渡辺松男の一首鑑賞

2015年09月02日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究30(2015年8月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)105頁
                参加者:石井彩子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                レポーター:石井 彩子
                司会と記録:鹿取 未放


250 虫時雨どこへ行けどもゆるやかに起伏しながら女体はつづく

      (レポート)
「虫時雨」とは、秋の季語で、草むらで幾種類も重なりあって鳴く虫の賑やかな様子のこと。『歳時記』鳴くのはオスで、求愛のために翅(はね)を摺り合わす音が、虫の音として聴こえるのである。この歌は聴覚で虫の音を捉えながら、女体を触覚で味わっている場面であろう。虫の音が留めなく、すだいている、「どこへ行けども」は「女体はつづく」にかかり、虫時雨が少々の緩急があっても、通奏低音のようにひびくのを耳で受けとめ、女体をたゆたいながら、あてどなく愛でている。虫の音と重なった性愛の営みには、切なく儚い哀感が漂う。(石井)


      (当日意見)
★「どこへ行けども」が 性の営みの感じをよく伝えている。生命の躍動を感じます。
      (慧子)
★どこへ行けどもといっても全部女体のうちなのね。たゆたっているんでしょう。やわ
 らかい女体を全身で愛でている男性はこの時点では夢のような幸せの中にあるのか 
 もしれないけど、読む方は哀感を感じてしまうのは「虫時雨」によるのでしょうか。 
     (鹿取)
★行為にふける人間のはかなさのようなものを出しているんじゃないですか。具体的に書
 いたらそれだけですけど「どこへ行けども」だとエロチックに想像させますよね。
     (石井)


渡辺松男の一首鑑賞 249

2015年09月01日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究30(2015年8月)【陰陽石】『寒気氾濫』(1997年)105頁
                 参加者:石井彩子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:石井 彩子
                 司会と記録:鹿取 未放


249 靴下を脱ぐありふれた所作ながらありありと君の足裏あらわる 

      (レポート)
 谷崎潤一郎の耽美的な小説の一節を思わせる。ずっと、君のありふれた所作の終わるまでを、作者は眺めているのであろう。あらわれた君の足裏は、その後の性愛の場面を予感させるかのように生々しく、官能的である。(石井)


     (当日意見)
★谷崎の小説って「卍」でしたっけ?足の指を執拗に愛撫するんですよね。この歌、靴下
 って、これはパンティストッキングですね。(鹿取)
★下句の「ア音」の韻に、うっとりとした高揚感が表れていると思います。(慧子)
★なめらかですね。(石井)