かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞 218

2015年05月20日 | 短歌一首鑑賞
 
渡辺松男研究27(15年5月)【非想非非想】『寒気氾濫』(1997年)91頁
    参加者:石井彩子、泉真帆、かまくらうてな、M・K、崎尾廣子、M・S、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:石井 彩子
     司会と記録:鹿取 未放

 ◆「非想非非想」の一連は、『寒気氾濫』の出版記念会の折、「全ての歌に固有名詞が入っ
  ていてどの歌も秀歌」と本邦雄氏が絶賛され、「敵愾心を覚える」とスピーチされた。

218 土屋文明をわれは思えり幹黒き樹は空間に融けゆかぬなり

     (レポート)(15年5月)
両者は意外と接点がある。まず同郷人であること。(注1) 同じ大学(「東京大学)では、ともに哲学を専攻したこと。万葉学者の文明に対し、渡辺松男氏が愛読書として『万葉集』(注2)をあげており、氏が「土屋文明記念文学館」で勤務したことがある、などである。
作風は大きく異なっている。文明は戦後歌壇の最大勢力で、地方にも結社を広げ、写実主義を提唱する『アララギ』の支柱的存在である。文化勲章を受章した郷土の偉大な存在であった。文明から、六十五年後に生まれた氏にとって、時代は大きく変わり、人口は都市に集中し、核家族化し、個人は伝統的つながりから疎外されて、農村や自然をモチーフとする写実的詠法は、時代錯誤と映ったのに違いない。が、写実的リアリズムは衰えなかった。実生活に即した歌や写実は歌の基本であり、それ以外の、前衛短歌などはあまり顧みられなかった。幹が黒くなった老獪な木は、その全盛期を終えても、根を張り、周囲が変化しようとも、環境に融和しないアナクロニズム的な様相をしている、写実的リアリズム、生活密着的歌風が、いつまでもこの郷土に根を生やしていることの違和感を示している。(石井)
注1   土屋文明: 群馬県高崎市生1890年(明治二三年)~1990年(平成二年)
  渡辺松男: 同県伊勢原市生1955年(昭和三〇年)~
注2   「渡辺松男の嗜好」尾崎朗子編 『短歌』2014年、10月号


           (参考)(15年5月)(鹿取)
  名誉県民土屋文明知事室の廊下の額から我を見据える (「かりん」94年1月号)
  土屋文明さえも知らざる大方のひとりなる父鉄工に生く 『寒気氾濫』

  寒の幹輪郭硬く直立し内側から漲りてくる黒
      いわば観念的黒樹「かりん」93年5月号)
  黙は黒 なにもなき地に伸びていく存在感は樹の黒にあり
  春雪よ桜は大きなる黒衣 樹の外側へ溢れだす黒
  無といわず無無ともいわず黒き樹よ樹内にゾシマ長老ぞ病む
  黒という何者なるぞ樹自体になりきり果てて樹から抜け出す
  形而上学的予感満ち空閑(くうげん)を黒というもの歩み出すなり

  黒というふしぎないろのかがよいに税理士も黒きクルマで来たる『寒気氾濫』  

      (当日意見)(15年5月)
★(参考)としていくつかの黒とか樹の歌を挙げました。渡辺さん、「樹の歌人」と言われた
 りしますが、93年の歌は樹をどんなふうに詠い始めたのか参考になると思います。題が「い
 わば観念的黒樹」で、まさに直(ちょく)なので分かりやすいと思うのですが、ゾシマ長老
 など深淵な思想を扱った秀歌だと思います。(鹿取)
★鹿取さんの引用の3首め「黒衣」があって思い出しましたが、裁判所の人が着る黒衣は何者
 にも染まらないため、ということをどこかで読んだことを思い出しました。だから「空間に
 融けゆかぬなり」が身に沁みて気高く感じられました。(真帆)
★そうすると土屋文明が気高いと言っている歌になりますけど、そうですか?(鹿取)
★いや、これマイナスのイメージですよね。(石井)
★歌集の中で黒はいろんなイメージに使われていて、さっき挙げたゾシマ長老の歌は自分の心
 に近しいかあこがを感じていると思いますが、税理士が黒い車で来る歌などは権威の象徴と
 して黒が使われている例だと思います。前回の217番歌は冬の木にさきがけて紅梅が咲く
 歌で石井さんがナルシストとかいわれたけど、この歌の関連で言うとあながち間違いでもな
 いなあと思うようになりました。217番歌は冬の木の中で突出した紅梅で、今回の歌は周
 囲に融け込まないで聳えて威厳を示している黒い樹です。(鹿取)
★スタンダールに「赤と黒」って小説がありますね。(石井)
★スタンダールの黒は僧衣ですよね。歌に戻ると、写実主義の短歌が地方では根を張ってい
 てゆるぎない中で渡辺さんのような作風はやりにくいでしょうね。まあ、この歌は短歌の問
 題だけに狭める必要もないでしょうが。私は作風の違いを超えて作者が文明の偉大さを認め
 ている反面、違和感もあるのかなと思います。あるいはライバル意識もあるのでしょうか。
    (鹿取)
★単純に文明の頑固さを言っている。だから違和感をうたっているとは思いません。(慧子) 
★融けゆかないというのは否定的な発想だと思うのですが。(石井)
★慧子さん、頑固さというのは写実主義に徹するという頑固さですか?(鹿取)
★そうではない。文明は茂吉とは距離を取って、確か生活の何メートルの範囲だけを詠うと宣
 言した。つまり自分の寄ってたつところを定めた訳です。だから融けてゆかないことが違和
 感にはなっていないと思います。(慧子)
★整理すると慧子さんの意見は、文明が茂吉や他の写実主義の人々とは一線を画して自分の信
 条を守っていた、そういう矜恃を周囲に「融けゆかぬ」という表現で渡辺松男がプラス評価
 しているってことですね。真帆さんは別の観点からですけどプラス評価ですね。石井さんは
 文明が大家で地方にその主義が根を張っていることに対して作者が違和感を抱いているとい
 うことでしょうか。私はあくまで土屋文明個人(もちろん写実の風土やその地位などひっく
 るめてですが)に対する尊敬と違和、相反する感慨をを抱いているように思えます。意見が
 さまざまに割れましたが、先に進みます。(鹿取)



改訂版 渡辺松男の一首鑑賞 217 

2015年05月19日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究26(15年4月)【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)90頁
          参加者:かまくらうてな、M・K、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
          司会と記録:鹿取 未放


217 沈黙を守らんとする冬の木のなかにひともと紅梅ひらく

      (レポート)
 沈黙を堅持しようとしている冬木々の中にあって、その空気を和らげるようにひと足早く、紅梅がいっぽん明るく咲き始めた。(鈴木)

     (紙上意見)
 沈黙に耐えられなくなった紅梅はいちはやく人間に迎合して、鮮やかな容姿をみせつける、冬枯れの世界で、目立ちたい紅梅はナルシストで、裏切りものだ。(石井)

     (当日意見)
★石井さんのナルシストというのは唐突だなと思います。(鈴木)
★まあ、以前の歌から導き出された意見なのでしょうね。私は季節が来ればやがてみんな花開いていくの
 で、先に咲いたからって人間に迎合したとかナルシストだ、裏切り者だとは思わないですけれど。先駆け
 に対する評価の違いですよね。(鹿取)

      (後日意見)
 次の218番歌「土屋文明をわれは思えり幹黒き樹は空間に融けゆかぬなり」を読むと、「目立ちたい紅梅はナルシストで、裏切りものだ」という石井さんの意見はあながち突飛なものでもないように思われてくる。この読みですんなりと土屋文明に繋がるのだ。(鹿取)


馬場あき子の外国詠170(ネパール)

2015年05月18日 | 短歌一首鑑賞

  ブログ版馬場の外国詠 21(2009年9月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)98頁    
                 参加者:S・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:曽我 亮子
                 司会とまとめ:鹿取 未放


170 赤葉をかがやかせ立つ陽の巨木生(せい)はむさぼるべしポインセチアよ

     (レポート)(2009年9月)
 馬場先生は太陽に輝くポインセチアの美しさと活力を、驚きと共に心より愛でられ応援されているのですね。そして素朴で禁欲的なネパールの人々にも「ぜひ、ポインセチアのように元気で自由に生きられよ」と力づけていられるように思いました。(曽我)

     (まとめ)(2009年9月)
 「生はむさぼるべし」は、むしろ自分自身を鼓舞している言葉なのだろう。4句め9音と破調だが、それだけ思いが深く、長い嘆息のようでもある。(鹿取)

   

馬場あき子の外国詠169(ネパール)

2015年05月17日 | 短歌一首鑑賞

  ブログ版馬場の外国詠 21(2009年9月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)97頁     
            参加者:S・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
            レポーター:曽我 亮子
            司会とまとめ:鹿取 未放


169 知らざりきポインセチアは巨木にてネパールに来ればいづこにも立つ

      (レポート)(2009年9月)
 ポインセチアの巨木とは本当に驚きです!クリスマスの花しか知らない日本人にとって、とても信じがたい光景ですね。馬場先生もさぞ驚かれたことでしょう。「知らざりき」と初句にもってこられたことで、本当に驚かれたご様子が実感されます。いつの日か私もポインセチアの巨木にぜひ会ってみたいです。(曽我)

      (まとめ)(2009年9月)
 「知らざりき」という強い初句切れの歌であるが、明るい驚きを表していて効果的である。貧しい民衆の暮らしを描いた後に突如緊張のほどけた内容になっており、連作を活かした歌の置き方である。本当にポインセチアは身の丈を超す巨木で、ヒマラヤの白い高峰を遠景において赤い葉を輝かせていたのだった。(鹿取)


馬場あき子の外国詠168(ネパール)

2015年05月16日 | 短歌一首鑑賞
 
ブログ版馬場の外国詠 21(2009年9月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)97頁    
              参加者:S・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
              レポーター:曽我 亮子
              司会とまとめ:鹿取 未放


168 ぴんぴんと綿打つ職人大道に出て朝を打つ鋭(と)き光打つ

     (レポート)(2009年9月)
 張りつめた朝の空気を震わせて、大通りで綿を打つ職人たちのひたむきさ、きりりと引き締まったカトマンズの朝のすがすがしさが活写され、心より感動しました。(曽我)

     (意見)(2009年9月)
★綿の実の殻を破っているところ。(慧子)

     (まとめ)(2009年9月)
 ネパールでは織物が盛んだそうだが、綿花はほとんどインド等からの輸入に頼っているようだ。職人とあるから、大量に輸入した綿を大道に広げて仕事をしているのだろうか。ネパールは亜熱帯で馬場の旅した11月でも朝から光線が強いのである。「朝を打つ鋭(と)き光打つ」と強い光の中できびきびと仕事をしている男たちの姿をよく捉えている。(職人とあるから男なのだろう。)
 余談だが、公道で平気で仕事をしている光景をよく見かけた。家の前で麦を干しているのも、自分の背丈ほどもある草を背負っているのも、大勢で畑を耕しているのも私が見たのは皆女性だった。また、女性たちは裾の長い特有の衣装を着ていて、汚れるだろうなあとはらはらした。この国では男は働かないのかと思ったほどだが、カトマンズの大通りを大きなベッドのマットを一人で担いで運んでいる人を見かけた。より重労働が男性の分担だったのだ。ベッドを担いだ人は裸足だったが、カトマンズでも2割くらいの人が裸足だった気がする。あれから10年経ったが、経済状況が改善されて、庶民が暮らしやすくなっているといいなあ。(鹿取)

         (まとめ)(2015年5月)
 ネパール在住の方のツイッターによると、麦の脱穀の手間を省くため、麦を道いっぱいに広げて通る車に轢かせる光景をよく見かけるという。綿は土がついたら困るから、そうはいかないだろう。(鹿取)





馬場あき子の外国詠167(ネパール)

2015年05月15日 | 短歌一首鑑賞

 ブログ版馬場の外国詠 21(2009年9月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)97頁  
                 参加者:S・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:曽我 亮子
                 司会とまとめ:鹿取 未放
 

167 日々黝く腐(く)えゆくばなな十房ほど吊りて商ふカトマンズの朝

     (レポート)(2009年9月)
 早く売らねば売り物にならなくなる足のはやいバナナ。それもわずかばかりを細々と商っているネパールの商人たち。かれらはそれでもあくせくすることなく黙って買い手を待っていたのではないでしょうか。カトマンズの朝市の、わびしくもゆったりした情景が目に浮かびます。(曽我)
  
    (まとめ)(2009年9月)
 「黝く」の文字づかいがいかにも腐りかけたばななの様態を効果的に表している。たった十房ほどを商う貧しさにも思いが及んでいる。カトマンズの街では、白いシャツに紺の襞スカート、白いハイソックスに黒靴、腕時計をはめた日本の女子高校生と変わらない姿も見かけたが、靴を履いていない人も多く、10歳くらいの女の子でも上半身裸だったりして胸が痛んだ。バザールでアイスクリームを売っていたが、器は木の葉っぱで、さっとスプーンで掬って乗せていた。(鹿取)


馬場あき子の外国詠166(ネパール)

2015年05月14日 | 短歌一首鑑賞

  ブログ版馬場の外国詠 21(2009年9月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)96頁   
             参加者:S・S、曽我亮子、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
             レポーター:曽我 亮子
             司会とまとめ:鹿取 未放


166 廃屋に月差すところ人ありて薄き眠りを醒めて物食ふ

        (レポート)(2009年9月)
 貧しい人々の住む破れ家にも、等しい月の光が降り注いで美しい。だが、そこに住まう人々はいつも空腹を抱え苦しい毎日を送っている。ひもじさに熟睡できず、すぐに目覚めてしまい、何か食べるものを探して食するしかない悲しみが歌われています。美しい月光と悲惨が隣り合わせであることが、読者の心に悲しみを増幅させます。(曽我)


     (意見)(2009年9月)
★「て」を重ねてしみじみさせる効果がある。(慧子)
★「廃屋に月差す」は、日本の古歌にある。(藤本)
★「薄き眠り」は、寒いから。(S・S)


        (まとめ)(2009年9月)
 物を食べる歌は、馬場の特長の一つ。ネパールに同道した私は、痩せて白いあごひげを蓄えた老人が、粗末な家の何もない壁に向かって瞑想するごとく座っている写真を、通りがかりに撮らせていただいた。昼間であったが、その方の静かなたたずまいは聖なるもののように私には思われた。この歌はこのような光景をたくさん目撃した後の空想であろうか。人が住んでいないはずの廃屋になぜか人がいて目覚めてひっそりと物を食べている、それを月明かりで見るというのは、旅の途上にあっての現実には難しいからである。この人は、たぶん老いていて、月光の中、貧しい食べ物を食べているのにちがいない。「薄き」という眠りにかかる形容がいかにも老人のものの浅い眠りを感じさせる。幻想的な歌で、何か日本の昔物語を読んでいるような気分にさせられる。(鹿取)


馬場あき子の外国詠164(ネパール)

2015年05月13日 | 短歌一首鑑賞

  ブログ版馬場の外国詠 ⑳(2009年8月)【牛】『ゆふがほの家』(2006年刊)96頁     
                  参加者:N・I、Y・I、泉可奈、S・S、T・S、曽我亮子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                  レポーター:T・H
                  司会とまとめ:鹿取 未放


164 カトマンズ王宮通り赤牛は痩せ痩せて夜行する聖家族なり

        (レポート)(2009年8月)
 夜のカトマンズのメインストリートを、痩せた赤牛が2、3頭、ゆっくりと歩いている。それはまるでヨゼフとマリア、イエスの聖家族のようだと先生は言われる。比喩の背景には何があるのだろうか。(T・H)


     (まとめ)(2009年8月)
 163番歌のと「遊行」と違い、こちらは「夜行」である。163番歌とは見ている牛の種類が違うのだろうか、百鬼夜行を連想する。ネパールの王制はこの旅行後5年を経た2008年に崩壊したが、王宮のある通りを痩せ痩せて夜行する牛たちに聖なるものを見ている点に諧謔があるのだろう。世界でもっとも貧しい国のひとつであるネパールだが、王の一族はおそらくは贅沢に暮らしているのだろう。また、ネパールではカースト制が根強く残っていると聞くが、王と庶民の対比ではなく牛をもってきたところに歌のひろがりが出た。「聖家族」はレポーターが言うようなマリアやイエスなどのキリスト教のものではなく、一般名詞であり、聖なる家族というくらいの意味であろう。(鹿取)

渡辺松男の一首鑑賞 217

2015年05月12日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究26(15年4月)【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)90頁
          参加者:かまくらうてな、M・K、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
          司会と記録:鹿取 未放


217 沈黙を守らんとする冬の木のなかにひともと紅梅ひらく

     (レポート)
 沈黙を堅持しようとしている冬木々の中にあって、その空気を和らげるようにひと足早く、紅梅がいっぽん明るく咲き始めた。(鈴木)

     (紙上意見)
 沈黙に耐えられなくなった紅梅はいちはやく人間に迎合して、鮮やかな容姿をみせつける、冬枯れの世界で、目立ちたい紅梅はナルシストで、裏切りものだ。(石井)

     (当日意見)
★石井さんのナルシストというのは唐突だなと思います。(鈴木)
★まあ、以前の歌から導き出された意見なのでしょうね。私は季節が来ればやがてみんな花開いていくの
 で、先に咲いたからって人間に迎合したとかナルシストだ、裏切り者だとは思わないですけれど。先駆け
 に対する評価の違いですよね。(鹿取)


渡辺松男の一首鑑賞 216

2015年05月11日 | 短歌一首鑑賞

 渡辺松男研究26(15年4月)【光る骨格】『寒気氾濫』(1997年)90頁
          参加者:かまくらうてな、M・K、M・S、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:鈴木 良明
          司会と記録:鹿取 未放

216 冬の杜仲(とちゅう)は何耐えている太陽光ぐんぐん冷えて梢にとどく

     (レポート)
 杜仲は中国原産の落葉高木20メートルで、若葉は杜仲茶、樹皮は漢方薬に利用される。西に傾いた太陽の冷えた光をかろうじて梢に留めているだけの杜仲は、高木であるだけに余計寒々しく何かに耐えているような風情である。(鈴木)

      (紙上意見)
 杜仲は 若葉は茶として利用され、樹皮は漢方薬の原料として、身のほとんどが人間のために切り刻まれる。杜仲の冬の様は、よけいに哀れだ、しかし214番の木のように動いたら負けで、耐える他ないのだ、冬の鈍い陽光が高い梢に幽かにそそぐだけだ。(石井)

     (当日意見)
★ふたりの意見に同感です。(全員)