かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠371(トルコ)

2014年12月21日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌37(11年3月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P122
           参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
           レポーター:曽我 亮子
           司会とまとめ:鹿取 未放


279 箒売る男行きわが立ち止まるオリエント急行今日発車なし

       (まとめ)(2014年12月改訂)
 オリエント急行は1833年に開始されたパリとイスタンブールを結ぶ豪華な寝台列車。優雅に3泊4日をかけて走り王侯貴族などに愛用されたが、1977年には飛行機等におされて乗客が減少したため廃止された。その後、様々な別会社がオリエント急行の車両を買い取り、いろいろなルートで観光用に「オリエント急行」を走らせている。作者がトルコ旅行をした1993年当時は、オリジナル・ルートで再現した特別企画列車が年1~2回走っている程度であったようだ。「今日発車なし」とはそういう事情のうえでの言葉である。
 この歌は「オリエント急行」のかつての終着駅だったトルコのシルケジ駅での属目と感慨であろうか。かつて王侯貴族達が豪華列車から降り立った駅に、今は箒を売る男が行く庶民的な顔を見せている。「今日発車なし」とは、賑わった往時への懐かしみと寂しさであろうか。時は移り、王侯貴族が使った待合室はレストランになって、観光客で賑わっているそうだ。(鹿取)


     (レポート)(2011年3月)
 イスタンブールの街をゆくと箒を商うアジア風の男が歩いていて、私は一瞬「ここはどこ?」と立ち止まってしまった。そうだ、「オリエント急行」の発車は無いのだった。
 作者が行かれた時は、イスタンブール発定期列車としての「オリエント急行」は既に発車していなかったのでしょう。そしてトルコはヨーロッパと小アジアの両大陸に跨る特異な国家であることを詠われたのではと思います。トルコ最大の街イスタンブールを二分するボスポラス海峡が接点となり様々の東西文明が混じり合い個性的な文明を醸成しているのです。そして両大陸固有の文明もまた、違和感なく共存し、宗教もイスラム・ユダヤ・キリスト各教ともに存立しています。  (曽我)


     (意見)(2012年2月)
★「今日発車なし」の結句がいきいきしている。(崎尾)


馬場あき子の外国詠370(トルコ)

2014年12月20日 | 短歌一首鑑賞
 
馬場あき子旅の歌37(11年3月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P122
       参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
       レポーター:曽我 亮子
       司会とまとめ:鹿取 未放


278 際限なき空の広さにふくりふくり隆起したやうなモスク見てゐる

     (レポート)(2011年3月)
 どこまでも限りなく広がるトルコの青い空の下、ふっくらときのこ様にふくらんだドームが幾重にも連なるモスクが建っている。エキゾチックな風景だ。まるでおとぎの国に来たようなメルヘンチックな世界は、旅の疲れを癒し私を楽しませてくれる。
 読者の心まで楽しくするお歌だと思います。トルコブルーの空にブルーのモスク。古来トルコの民の色彩感覚には脱帽です!これもまたトルコの青い空と海の賜物でしょう。イスタンブールでいちばんスケールの大きなモスクは「ブルーモスク=正式名称スルタン・アメフット・ジャミー」で、オスマン・トルコ建築の極みと言われています。内陣のブルーのタイルの美しさからブルーモスクと称され、たくさんの尖塔とドームで飾られています。(曽我)


     (意見)(2012年2月)
 ★ふくりふくりという形容に味わいがある。(全員)

馬場あき子の外国詠369(トルコ)

2014年12月19日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌37(11年3月) 【遊光】『飛種』(1996年刊)P121
         参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:曽我 亮子
         司会とまとめ:鹿取 未放


277 かがやくはまことマロニエの実であるか仰げば口中に明るき秋陽

       (レポート)(2011年3月)
 あんなにきらきら輝くのは本当にマロニエの実なのだろうか?たしか棘のある実だったと思うけれど。近づいて見上げると「やっぱりマロニエだ!」私の口中いっぱいに明るい秋の陽が充ち、何とも幸せな気分であることよ。ここトルコの空は光に満ちてあくまで青く明るいので、暗いシベリアから渡って来られた作者の心はどんなにかほっとして暖かな気分になられたことか、そのご様子が読者の心をも温かくする明るい作品です。(曽我)


         (意見)(2011年3月)
★「まことマロニエの実であるか」は疑問ではなく、感嘆の気分。(藤本)
★マロニエの実に心が弾んでいると同時に、聖性を感じている。(鹿取)


           (まとめ)(2011年3月) 
 日本でも公園などでマロニエの木はよく見かけるし、秋になるとトゲトゲの丸い実がぶら下がっている。もっとも、フランスのものはもっと大きくて胡桃みたいなイガで、栗のような色と形をした実が3個ほど入っている写真を見かける。トルコのマロニエの実はどんな形なのだろうか。旅の途上の心弾みが、ちょっと珍しい見上げさせている。そしてそこに異国の明るい秋の日が差し込んでくる。「口中に」と言ったところが実感を増している。(鹿取)

馬場あき子の外国詠368(スイス)

2014年12月18日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌49【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)179頁 
         参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:N・I
         司会とまとめ:鹿取 未放


355 ロイス川の白鳥に餌をやりゐしがはぐれたり紛れたり雨のスイスに

(意見)(2012年2月)
★こういう観光地だから白鳥の餌が売られているのだろう。おじいさん貌や意地悪な教師貌などい
 ろんな貌をしているものだと面白がって餌をやっているうちに、ふと気がついたら周囲に同行者
 はいなくなっていた。「雨のスイスに」とは随分大きく出ているが、見知らぬ国で迷子になり、
 雨さえ降っている。しかし迷子になったことを楽しむような気分が「はぐれたり紛れたり」の弾
 んだ畳みかけに表れている。(鹿取)
★ロイス川の長さや大きさが伝わってくる。(崎尾)


  (レポート)(2012年2月)
 いろいろの白鳥の貌を楽しみ餌を与えているうちに作者も雨のスイスで迷子状態になった。(N・I)


馬場あき子の外国詠367(スイス)

2014年12月17日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌49(12年2月)【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)179頁 
         参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:N・I
         司会とまとめ:鹿取 未放


354 白鳥の貌つくづくみればおぢいさんいぢわる教師あり大方はをとめ


     (意見)(2012年2月)
★じっくり眺めるとおじいさん貌の白鳥や意地悪な教師貌の白鳥もいるという発見が面白い。しか
 し「大方はをとめ」と収めたところがいい。大部分の白鳥はおとめのような可憐さなのだ。(鹿取)


  (レポート)(2012年2月)
 大型の鳥の貌はおおむね獰猛なもので、この白鳥もよくよく見ればおじいさん貌、意地悪な教師の貌もあるが大方はまだ幼鳥だ。(N・I)


馬場あき子の外国詠366(スイス)

2014年12月16日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌49(12年2月)【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)178頁 
        参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
        レポーター:N・I
        司会とまとめ:鹿取 未放


353 漂鳥はここに住みつき声あぐる栃の花蔭に椅子あれば座す

      (意見)(2012年2月)
★人間のありようと鳥のありようの二つの違い。(慧子)
★「漂鳥」とは「一地方の中で越冬地と繁殖地とを異にし、季節により小規模の移動をする渡り鳥。
 夏には山に近い林にすみ、冬は人里近くに移るウグイスのほか、ムクドリ・メジロなど。」と広
 辞苑にある。だからレポーターのいうように迷子になっているわけではない。(鹿取)
★鳥の名を言っていないのはあまり馴染みのない鳥か。もしくはウグイスなどのように分かりすぎ
 て、ある情趣がまとわりついてしまうのを避けるためわざと言わなかったのか。あるいは漂う鳥
 というイメージを大切にしたかったのか。次に白鳥の歌があるのだが、白鳥は通常長い距離を移
 動するので「漂鳥」ではないように思うが、ロイス川辺りでは近距離を移動するのか、よく分か
 らない。ともかくここでは、その「漂鳥」を栃の花蔭の椅子に腰掛けてしばらく眺め、鳴き声に
 耳を傾けていたい気分なのだ。「椅子あれば坐す」をレポーターは「椅子があったら座りたい」
 と解釈しているが、「あれば」は仮定ではなく已然形の確定条件だから、「椅子があったので座
 った」ということ。(鹿取)

 
       (レポート)(2012年2月)
 栃の花が今盛りである。渡り鳥が迷子になって住み着いて鳴いている。ゆっくり聞くために椅子があったら座りたい。
       (N・I)

馬場あき子の外国詠365(スイス)

2014年12月15日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌49(12年2月)【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)178頁 
         参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:N・I
         司会とまとめ:鹿取 未放


352 そこにゆく秘密のおそれアンティクの壺に魂を吸はるるやうな

     (意見)(2012年2月)
★古いものには歴史の重みがあって、それに魂が奪われてしまいそうだと言っている。(曽我)
★「そこ」は、壺のことをさしている。(藤本)
★作者には「やうな」に類するまとめ方は少ない。(崎尾)
★「やうな」という危うい収め方が、アンティックのすばらしい壺に否応なく魂が吸い寄せられて
 いく恍惚感をうまく表現している。レポーターは「シンプル故に魅了されてしまいそう」と書い
 ているが、この壺がシンプルとはどこにも書いてない。アンティックの壺は、むしろ装飾過多と
 いえるほどのものの方が多い。(鹿取)
★作者は快い気分になっている。その欲しいものが有るところへ、店でもよいが行きたくなるのだ。
  (曽我) 


        (レポート)(2012年2月)
 オットットあぶない!壺はシンプルなものが多いのでシンプルさ故に魅了されてしまいそう。作者の気持ちの揺れが秘密の恐れと言わせ、それは甘美な誘惑感も含まれている。(N・I)


馬場あき子の外国詠364(スイス)

2014年12月14日 | 短歌一首鑑賞
 
  馬場あき子旅の歌49(12年2月)【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)177頁 
          参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:N・I
          司会とまとめ:鹿取 未放


351 十九世紀の陶芸の花に灯を当てて騙されてゐるゆたかな時間

      (意見)(2012年2月)
★レポーターの「ガラクタもある」というのは違うのではないか。(曽我)
★なぜ店と決めつけるのか。買わせようとしているなども世俗的解釈すぎる。ホテルなどでランプ
 や人形などを見ているのだろう。(藤本)
★日本人ならまず花といえば生花。露を帯びた花のイメージが強いのに陶器でできた花を見て騙さ
 れている気分になった。文化的な差。(慧子)
★「花」にこだわらなくてもよいのではないか。(藤本)
★「陶芸の花」は陶で作った花、または陶の壺や皿などに描かれた花の絵ではないだろうか。次に
 壺に「魂を吸はるうやうな」の歌があるので花が描かれた壺かもしれない。博物館でもホテルや
 物産館などでもよいと思うが、十九世紀に作られたものだという陶芸の花に照明が当てられて、
 とてもすばらしく見える。贋作も混じっているかもしれないが、それを眺めている豊かな時間が
 ここにある。「土産物の店」ととると、「ゆたかな時間」が短くなる気がする。ただ、「灯を当て
 て」のところは〈われ〉が当てているのではないから「灯が当てられて」とか「灯が当たつて」 
 の意味にしないとおかしいのではないか。それとも、下の句から主語がチェンジするととればい
 いのだろうか。(鹿取)


  (レポート)(2012年2月)
 骨董品もがらくたもある店に十九世紀作という陶器の花に照明を当て買わせようとしている。真実を知っているものの強みが騙されているふり、それが豊かな時間と表した、作者の心のゆとりという事。(N・I)


馬場あき子の外国詠363(スイス)

2014年12月13日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌49(12年2月)【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)177頁 
          参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
          レポーター:N・I
          司会とまとめ:鹿取 未放


350 ロイス川の向かうに行つてアンティクのマリア一体買はんと思ふ

     (意見)(2012年2月)
★楽しんでいる。余裕がある。(曽我)
★夕暮れの雨の色をしている川の向こうですね。「アンティクのマリア」ということで、この国の
 古い歴史にコミットしたい想いがあるのでしょう。それを考えるとつねに夕暮れの雨の色をして
 いる地区というのも、もう少し深い意味があるのかもしれないなと思います。(鹿取)

 
  (レポート)(2012年2月)
 川の向こうに行って骨董のマリアを買いたい。新品でないところがこの歌の眼目、骨董にはそれなりに訴えるものを宿しているのであろうから。(N・I)


馬場あき子の外国詠362(スイス)

2014年12月12日 | 短歌一首鑑賞

 馬場あき子旅の歌49(12年2月)【ロイス川の辺りで】『太鼓の空間』(2008年刊)176頁 
         参加者:N・I、井上久美子、崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、藤本満須子、渡部慧子、鹿取未放
         レポーター:N・I
         司会とまとめ:鹿取 未放
 
349 川の向かうはつねに夕ぐれの雨のいろアンティクのやうな灯をともしたり

      (意見)(2012年2月)
★レポーターは「アンティク」を「ランプのような」と解釈されたが、古美術品のようなとか「ア
 ンティック」の辞書的な意味でよいのではないか。ところで、旅行者だから「つねに」といって
 も、せいぜい3,4日間のことだと思うが、滞在していた間はいつもということだろう。(鹿取)
★「つねに」は朝から晩までという意味。(崎尾)
★対岸は霧が深いところなのでしょうか。夕暮れの雨のような色に見えて、ぼんやりとした灯がと
 もっているという、旅行者にとってはロマンティックな情景ですね。(鹿取)
 

        (レポート)(2012年2月)
 自分の立ち位置から見る川向こうはいつもどんよりと灰色の世界だ。その中に灯るランプのような明かりはよどみの暗さをいっそう引き立てている。(N・I)