かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

渡辺松男の一首鑑賞  42

2013年10月08日 | 短歌1首鑑賞
                 【からーん】『寒気氾濫』(1997年)34頁
         参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         司会と記録:鹿取 未放


76 銀ねずの鱗をはがしあうごとくビルのうちにいてぶつかりあえり

(レポート)2013年10月
 ぶつかりあうことの形容として、「銀ねずの鱗をはがしあうごとく」という比喩が登場する。魚同士が激しく闘争しぶつかりあって、体表の鱗を傷つけあう様が浮かんでくる。ひりひりとした銀ねず色の痛みが感じられる。ぶつかりあっているのは、ビルの中で働く作者の属する組織の面面だろうか。無機質の閉ざされたビルの中で日がな暮らしていると、水槽の魚たちのやうに息苦しくなり、ささいなことで衝突する。ここで「ぶつかりあう」は、もっぱら仕事を通しての、人と人との軋轢のことだろう。(鈴木)


(記録)2013年10月
 ★渡辺さんの歌も凄いけど、鈴木さんの解釈も凄いよねえ。深くて。(崎尾)
 ★いい解釈ですよね。歌もすばらしいですけど。(鹿取)
 ★「ひりひりとした銀ねず色の痛み」というところがいいですよねえ。(慧子)
 ★実際に魚同士がぶつかるってあるんでしょうか?まあ、実際ぶつからなくっても痛みの感覚と
  して分かるので、どっちでもいいですけど。(鹿取)
 ★大きな水槽なんかでは大きな魚や小さな魚がごっちゃに入れられていて、ぶつかっているよう
  な気がしますよね。(鈴木)
 ★鯛の鱗なんか硬くてすごいですよね。はあ、こんな鎧を着てるんだって。よく見ると魚って獰
  猛な顔していますよね。(崎尾)
  

渡辺松男の一首鑑賞   41

2013年10月07日 | 短歌1首鑑賞
                 【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁
         参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         司会と記録:鹿取 未放


75 見付けたきもの見付からぬ倉庫にて物言わぬ荷に視姦されいき

(レポート)2013年10月
たぶん家業の手伝いのために、普段あまり入らない倉庫に入って物を探したのだろう。「私が物を見る」ということは、同時に「私は物から見られている」ということでもある。倉庫に入って意識的にものを探しているときには、「物を見る」という私の主体が強く働いている。ところが、当のものが見つからないとき、主体は肩透かしを食らって、今度は一転、私は客体に転化し、「物から見られている」という意識が強く浮上してくる。物言わぬ荷にまじまじ見つめられて、まるで視姦されているかのようだ。
(鈴木)


(記録)2013年10月
 ★主体から客体に転化するという解釈がうまいと思いました。(慧子)
★私もよくこういうことがあります。本当はあるんだけど、見つけることができなくて、
  向こうから見られている感じ。(曽我)
 ★こういう場面はけっこうある。特に人気のない倉庫だと怖くて、物に見られている感
  じが強いでしょうね。私の子供がまだものが言えない赤ん坊の時、ふたりきりでいて
  赤ん坊の視線がとっても怖いと思ったことがある。我が子なのに目の奥に異星人みた
  いな得体の知れないものが潜んでいて覗かれているようで怖かった。それとこの歌の
  感覚は似ている気がする。(鹿取)
 ★こういうのを歌にするのは難しいことだし、こういうの歌になるかしらと思ってなか
  なか作れないですね。どう歌ってよいか分からないし。こういう経験を即、まあ即か
  どうか分からないけど、歌にしてしまうところが渡辺さんのすごいところ。(鈴木)

渡辺松男の一首鑑賞  40

2013年10月06日 | 短歌1首鑑賞
                 【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁
         参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、渡部慧子、鹿取未放
         司会と記録:鹿取 未放


74 廃坑のごとくに耳の穴はある老祖父はただ笑むばかりなり

(レポート)2013年10月
 耳が遠くなり人の話について行けなくなったのだろう、老祖父はただ微笑むばかりの好好爺である。「廃坑のごとくに」耳の穴はある、という比喩が的確である。
廃坑は、むろん初めから廃坑だったわけではなく、鉱山や炭鉱で盛んに人や物が行き交い、にぎわった過去を背負った言葉である。そのように老祖父の耳も、元気な頃は活発に働いて、耳の穴を行き交う様々な音や声を聞きわけていたのである。しかし、高齢の今は、行き交うものも少なくなり、聞きわける力も衰えて、「廃坑」となった坑道のようにがらんどうで、ひっそりとした「耳の穴」である。(鈴木)


(記録)2013年10月
 ★鈴木さんがとてもいい解釈をしてくれています。(崎尾)
 ★耳が遠くなって人の言葉についていけなくなる寂しさがよく出ている。(曽我)
 ★歌はよく分かるので鈴木さんの報告がいいなと思った。はじめから廃坑だったわけで
  はないというところ、自分ではこうは書けなかっただろう。(慧子)
 ★渡辺さんは歌の中で、働いて食べて寝る、無駄なことはしゃべらない、鰥夫(やもめ)
  であって、根っからの生活者としてのおじいさんを造形していて、そのおじいさん像
  がとても好きです。ちょっとこれは違う視点で、寂しいですが、「廃坑」が比喩とし
  てすばらしいです。鈴木さんの解釈で、その点がよく分かります。(鹿取)
 ★老祖父は幾つくらいなんだろうね。昔は隠居ということがあったから、この歌の老祖
  父も何かゆったりした感じがする。(鈴木)

サボテンの赤ちゃん

2013年10月06日 | 日記





 春だったか、大きなサボテンの周囲に7個の子が生まれているのに気がついた。友人に話したら頂戴というので、子の部分を4個ナイフで削り取って、小さな鉢に植えてみた。一鉢に1個植え付けたものはいつの間にか消えてしまったが、3個植え込んだ鉢のものは育ってくれた。
 しかし、植え替えた方は、親株に残したままのものと比べると体積が3分の一くらいしかない。
 ところが最近、植え替えた3個のうち、いちばん小さい1個が更に子を生んでいるのに気がついた。すごーい!
 ちなみに、親株に付いたままの子サボテンの径は、3.5㎝くらい、移植した子サボテンは3.2㎝が2個、いちばん小さいのが2.1㎝で、その子が1.2㎝だった。頑張れ、赤ちゃん!
 
 親株は、ご覧のようにピサの斜塔よろしく傾いている。寝るときに部屋を暗くすると、3つ目の異星人のようでちょっと不気味だ。

幽閉されました!

2013年10月05日 | 日記
         

マンションの大修繕が始まった。
カーテンの陰から覗くと、こんな感じ。うっとうしい!と娘が嘆くので「幽閉された女王だと思ってなよ」と言ったら「嫌だ、女王が真っ先に殺されるんだよ」と返ってきた。それにしてもうっとうしい!明日からは遮蔽用の網も掛けられるのでますます暗くなる。富士山もみなとみらいもあと何ヶ月か見ることができない。

ベランダをすべて空にしなくてはいけないので、鉢植え50個ほどのうち、10個ほどは1階の特設置き場に移動させ、30個ほどはやむなく捨てた。大切な10個ほどは、出窓や机の上にとりこんだ。大切と言っても別に高級なものではなく、愛着があるものだ。ちなみに、今、パソコン机から見えているのは、デンドロビューム、ローズマリー、ランタナ、百日紅、ひとつば、サボテンの親子と孫、など。ひとつばは「かりん」の全国大会で犬山に行った折、岩を這っている一葉を頂いてきたものを挿し木した。どんどん増えて、5つの鉢に葉をおごらせている。

アロエの大きく伸びた鉢5個ほどは、鋸で引いて捨てた。一鉢分引いたところで可愛そうになって涙が出た。ほかの花もみんな引き抜いて、植物と土と容器は別々にして専用捨て場へ運んだ。土は45リットル用ビニール袋を二重にして12袋、重かった。

他にもブロック、木のベンチ、木の花台など多数を部屋の中にとりいれ、網戸も全て外して部屋の中へ。お陰で一部屋が倉庫になってしまった。



京都ぶらぶら歩き

2013年10月04日 | 日記
       

 京都市内には、勤めていた時と夫の実家で暮らした時と合わせて足かけ4年ほど住んだ。地名でいうと岩倉大鷺町、真如堂前町、聖護院西町、修学院である。有名な神社仏閣は何度となく訪れているので、さして行きたいところがあるわけではない。だから時間があってもぶらぶら歩くだけである。たぶん自分の中では京都に〈いる〉 という事だけが大切なんだろう。

 そんな訳で、綾部の実家からの帰り、今回も京都をただぶらぶら歩いてきた。
 最初は樂美術館でじっくりと茶器を見た。その後は烏丸通りに面した「とらや」の前から御所に入り、御所を通り抜けて府立医大に。ここの学園祭で昔「去年マリエンバードで」という映画を観たなあ。医大を抜けて鴨川べりのベンチで一休み。
 車椅子の人も、学生風の人も、教授風の人も、街のおじさん、おばさんも、一休みしている。ベンチの隣の30代くらいの西洋人の女性は医学書らしき横文字の本を読んでいる。
 そういえばこの川上の出町柳駅前で周旋屋(不動産の斡旋業)をしていたおばさんはどうしたかな。叔母の家から下宿に引っ越しをする時、この周旋屋のおばさんが見知らぬ客の私に鍋、釜、お茶碗など台所道具一式、くれたのだった。
 鴨川べりで一休み後、荒神橋を渡って京大病院へ。橋を渡らずに河原町通りに出ると、角に「しあんくれーる」ってジャズ喫茶があったんだけど今はもう無い。「しあんくれーる」は思案にくれる、ではなくフランス語のChamp Clairだと聞いた気がするが。京都を離れてから読んだ倉橋由美子の『暗い旅』に出てくる喫茶店だ。(高野悦子の『二十歳に原点』にも出てくるそうだ。)

 昔、京大病院そばの鴨川べりには市場が建っていて、入院患者や付き添いの人たちの買い物の場だったが、じめじめと床の濡れた店が寄り集まっていたものだが、今は清潔な桜並木が続いている。その市場に近い、地下に入っていく建物が結核研究所で、なんだかそこに続く道もじめじめした印象だった。同僚達が、瀬戸内晴美が若い頃、この結研で働いていたのよと言っていた。
私が文部事務官として働いていたのは病院の保健掛だが、病院は当然のことながら昔と全く変わっていた。西側の玄関を入ってすぐドトールがあったのには驚いた。数えてみたら何と私が働いていたのは46年も前のことなのだ!

 その46年前、私が驚いたのは、京大病院の受付窓口の女性達が、みな着物姿だったこと。田舎の母達も日常は洋服で、着物はもう行事の折しか着なくなっていた時代だ。毎日着物で仕事をしている女性達にそのうち私も感化されて、業者さんが院内で展示する着物を何枚か買った。そして、成人式の着物は行きつけのパン屋のおばあさまが無料で着付けをしてくれた。
 
 日常は洋服の時代とはいえ、何かの折には洋服は仕立ててもらうものだった。だから就職する時には紺のスーツを仕立てて貰って毎日着ていた。しかし、月に何日か病院の南側の通りにずらーと店が並ぶ「昼店」というものがあり、そこでは下着も洋服も売っていた。3500円くらいで、ピンクやオレンジのスーツを買った。ちなみに、その頃のお給料は2万円くらいだった。

 ここまで書いてきて気がついた。昔のことばっかりしゃべっている認知症の母と、私は全くおんなじだ!

佐々木実之歌集批評会  その2

2013年10月03日 | 日記
 さてスピーチの話だが、私は例によって頭がなまず状態で、頭から口までの間がまた小さななまずがくねくねと連なっているので、言いたいことの2割くらいしかいえず、よけいなおしゃべりばかりしてしまった。

 言いたかった一つは文体。『日想』は已然形止めがやたらに多くて、こんなに已然形止めを多用した歌集はみたことがない。それがごつごつした強い文体をつくっている一方、ベースには和歌的ななめらかな文体がある。

 あと、私が言いたかったことをそっくり発言された方があったが、私も同感と一言言いたかったのは、次の歌。

 水あたりのおそれあるとも一応は征露丸なるは置きてゆくべし

 シベリアに行く友人を送る歌だが、一読爆笑。(心配しなくともロシアの人々に征露丸の漢字は読めまい、という理屈は措いておく。)そしてしみじみとその友人との距離の近さ、情の温かさを思わせられた。こういうひろらかなユーモアや優しさが実之さんの素の顔だったと思う。私が実之さんの母世代に近い年代だからかもしれないが、私との交流の中では、ふかくこちらの思いに寄り添ってくれる人だった。

 お詫びを二つ。

 
  ①「かりん」9月号に書いた佐々木実之歌集の批評文が当日会場にも配布され恐縮しました。
   会場の方には訂正をしましたが、冒頭部分、安積山の歌に関して間違いがあります。批評
   文では〈みちのくのあさかのぬまの花かつみかつみる人に恋ひやわたらん〉の歌を引いて
   古今集以来の歌枕と書いていますが、安積山の歌は万葉集にも何首かありますので万葉集
   以来の歌枕が正しい記述です。読んでくださった方にお詫びして訂正します。万葉集安積
   山の好きな歌を一首あげておきます。

 安積山影さへ見ゆる山の井の浅き心にわが思はなくに   采女


    
 ②スピーチで京大短歌の話が続いたので、つい京大短歌の先輩と言ってしまいました。自
    分の周囲はみんな知っているし、時間短縮の為と省略したが、知らない人のいる中では
    誤解を招くので説明が必要だった。1968年から69年にかけて京大短歌に参加して
    いましたが学生ではなく職員としてです。当時、年配の職員の方も何人かいらしたし、
    京都女子大や同志社の女子学生の方も毎月の歌会にいらしてました。

佐々木実之歌集批評会  その1

2013年10月02日 | 日記
         

 もう一週間以上も前のことになったが、京都で実之さんの遺歌集『日想』を読む会があって参加した。実之さんのお母様と妹様もお見えになり、みんな実之さんが好きだったのねと思える、暖かいよい会だった。

 東京方面からは坂井修一、米川千嘉子、川野里子、大井学の各氏が参加された。パネルは司会の島田幸典、川野里子、魚村晋太郎、西之原一貴、大森静佳の各氏。世話役は中津昌子さん。
 それぞれが深く、鋭く、興味深い考察をされ、実之歌集の優れた点が浮き彫りになった。また若い歌人の方達の批評の視点は興味深かった。この批評会については、いずれ報告が出るだろうから深入りしないが、以下はパネラーや会場から出された批評の一部のメモ。

 ★反時代的であることの魅力
 ★〈私〉を土台にするのが当たり前という感覚が若い人には揺らいでいるが、実之歌集はむき
  みで〈私〉である
 ★京大短歌で緻密な歌い方を学ぶことができてよかった
 ★仏教的な世界観
 ★早い時期に晩年までのテーマが出ている
 ★知と感覚を繋いだ歌が面白い
 ★助詞が強く、ごつごつした文体に味がある
 ★切れがあまりない和歌的な文体+京大短歌的な細かさ
 ★歌によって救われた

 現役の京大短歌の人、京大短歌のOB,OGなど多く参加されている中、濃密なつきあいをされた吉川宏志さんや林和清さんのスピーチがあり、その後は伝説の歌人佐々木実之を知っているか否かなど大いに盛り上がった。また父の故郷会津に思い入れのある実之さんに対して、薩摩出身です、とか長州出身ですとかいう挨拶が続いて笑いの連続であった。最後に実之さんの妹、山田陽子さんが歌集のこだわりについて主に装丁などの面から丁寧な説明をされた。この歌集をいかに慈しんで作られたかがよく分かるお話だった。

渡辺松男の一首鑑賞  39

2013年10月01日 | 短歌1首鑑賞
                         【からーん】『寒気氾濫』(1997年)33頁
         参加者:崎尾廣子、鈴木良明、曽我亮子、高村典子、渡部慧子、鹿取未放
         司会と記録:鹿取 未放


     ◆68番歌についてブログ掲載後に追記したので、末尾に載せました。
   

73 ネクロポリスは月のかたちの石に満ち人寿三万歳のわれは行く


(記録)2013年9月
 ★レポーターのいうような実景とか具体的な場面ではないように思います。実景だとしたら日本
  の都市近郊の墓地に月の形をした石が「満ち」ってあり得ないでしょう。三日月にしたってま
  ん丸にしたって半月にしたって。第一〈われ〉は三万歳なんだから。もちろん外国にはこの通
  りの巨大な墓があるかもしれないけど、旅行している訳ではないし。でも読み手は景も〈われ〉
  もこの通りのものとしてリアルに受け止めないといけないし、私は書いてあるとおりに受け止
  めるけど。(鹿取)
 ★レポートに死者の都と書いてあるけど、その意味の方が広がりが出ますよね。(鈴木)
 ★ええ、人間始まって以来の、それこそ恒河沙の人間が全部眠っている死後の世界。でも三万歳
  というのはどこから出てくるのでしょうね。クロマニヨン人は4万年くらい前でしたっけ?
   (鹿取) 
 ★三万歳って思いついても、普通の人は読み手に受け入れられないだろうと思って使えないです
  よね。(鈴木)
 ★こういう言葉を矯めて詩にできる力業が渡辺さん、すごいですよね。(鹿取)
 ★しかも実感がこもっている。作り物って感じがまったくしない。(鈴木)
 ★死者の都とか月の形の石に満ちというところが、とてもいいなと思いました。それから渡辺さ
  んはよくいろんなところへ行くなあと思いました(笑)。(高村)
 ★前の歌では狭いととに閉じこめられて甕の中にいたけど、今度はこんなに大きくなって(笑)。
  ちまちましたところにずっといないのが渡辺さんらしい。連作で大小交互に置いているみたい
  だ。(鈴木)
 ★月の形だからけっして汚くなくって。月という漢字が読み手に浮かぶように選ばれていると思
  う。(高村)
 ★この一連の題が「からーん」で、そこも面白い。テレビで「ちゃらーん」って言っていた落語
  家がいたけど、そういう感じかな。(鈴木)


(レポート)2013年9月
 ネクロポリスは巨大な墓地又は埋葬場所である。作者は都市近郊の共同墓地のなかにいるのであろう。「月のかたちの石に満ち」とある。墓石に新月から十日あまりの「月」を見ているのであろうか。月には新月、上弦の月、満月、下弦の月がある。ひとつひとつの墓石が負う物語に心を寄せているのであろうか。優しさが伝わってくる。「人寿三万歳」の言葉から思いは人類の起源に及ぶ。墓地は人の営みの外にではなく内にあると思っているように感じる。「われは行く」から作者のそのような思いが伝わってくる。「人寿三万歳」が印象ぶかい。

  ネクロポリス necropolis
 巨大な墓地または埋葬場所である。語源は、ギリシャ語のnekropolis(死者の都)。大都市近郊の現代の共同墓地の他に、古代文明の中心地の近くにあった墓所、しばしば人の住まなくなった都市や町を指す。
インターネット ウィキペディア               
                      (崎尾)                                 
                                    

(追記)2013年9月
今、〈われ〉が三万歳なのではなく、人類滅亡後の世界を透視しているのかもしれない。三万歳になった〈われ〉がいるのは、死者の都=ネクロポリス。累々と人類の墓碑が広がっているのだ。しかしこの歌に身震ふほどの怖さを感じないのは、月の形の石で、ロマンがあるからか。月によって死が清浄に感じられるからか。月の形の石に満ちた景にこそ作者の独特の思いがあるのだろう。
  (鹿取)


◆68番歌「白き兵さえぎるもののなき視野のひかりの向こうがわへ行くなり」について
(追記)2013年9月

 「川向こうへ銀杏しきりに散りぬれどむこうがわとはいかなる時間」(かりん、1993年2月号・歌集未収録)など「向こうがわ」を扱った歌は初期の頃から幾首かある。この歌は志向の分かりやすい歌なのであげてみた。
 次に引用するのは大井学さんのインタビューに答えたもので、『泡宇宙の蛙』の編集で考慮したことを述べている部分。第二歌集についてだが、渡辺さんの歌について、「向こう側」について大いに参考になる。(73番歌なども、次に言う自己同一的実体的作歌主体の枠をはみ出した歌なのだろう。)

   『寒気氾濫』は無意識に設定している、ある枠のなかに大方納まっていると思いま
  した(その枠のおかげで受け入れてもらえたのだと思いますが)。『泡宇宙の蛙』はそ
  の枠をやぶろうとしたのだと思います。その枠のなかに、前提としている作歌主体そ
  のものの自己同一性がありました。在ることの不思議、無いことの不思議、生命のこ
  と、そういう次元を詠まなかったなら、私(に)とって歌は意味のないものになって
  いました。存在に寄り添うこと、それを掬うこと、それを包むこと、あるいは包まれ
  ること、それに成りきること、これらのことはいつもこちら側にいる自己同一的実体
  的作歌主体にとどまっているかぎり不可能なことでした。
                    (「かりん」2010年11月号)
   ※「に」は原文にないので補いました。原文には「いつもこちら側にいる」に傍点が付いています。