かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

京都ぶらぶら歩き

2013年10月04日 | 日記
       

 京都市内には、勤めていた時と夫の実家で暮らした時と合わせて足かけ4年ほど住んだ。地名でいうと岩倉大鷺町、真如堂前町、聖護院西町、修学院である。有名な神社仏閣は何度となく訪れているので、さして行きたいところがあるわけではない。だから時間があってもぶらぶら歩くだけである。たぶん自分の中では京都に〈いる〉 という事だけが大切なんだろう。

 そんな訳で、綾部の実家からの帰り、今回も京都をただぶらぶら歩いてきた。
 最初は樂美術館でじっくりと茶器を見た。その後は烏丸通りに面した「とらや」の前から御所に入り、御所を通り抜けて府立医大に。ここの学園祭で昔「去年マリエンバードで」という映画を観たなあ。医大を抜けて鴨川べりのベンチで一休み。
 車椅子の人も、学生風の人も、教授風の人も、街のおじさん、おばさんも、一休みしている。ベンチの隣の30代くらいの西洋人の女性は医学書らしき横文字の本を読んでいる。
 そういえばこの川上の出町柳駅前で周旋屋(不動産の斡旋業)をしていたおばさんはどうしたかな。叔母の家から下宿に引っ越しをする時、この周旋屋のおばさんが見知らぬ客の私に鍋、釜、お茶碗など台所道具一式、くれたのだった。
 鴨川べりで一休み後、荒神橋を渡って京大病院へ。橋を渡らずに河原町通りに出ると、角に「しあんくれーる」ってジャズ喫茶があったんだけど今はもう無い。「しあんくれーる」は思案にくれる、ではなくフランス語のChamp Clairだと聞いた気がするが。京都を離れてから読んだ倉橋由美子の『暗い旅』に出てくる喫茶店だ。(高野悦子の『二十歳に原点』にも出てくるそうだ。)

 昔、京大病院そばの鴨川べりには市場が建っていて、入院患者や付き添いの人たちの買い物の場だったが、じめじめと床の濡れた店が寄り集まっていたものだが、今は清潔な桜並木が続いている。その市場に近い、地下に入っていく建物が結核研究所で、なんだかそこに続く道もじめじめした印象だった。同僚達が、瀬戸内晴美が若い頃、この結研で働いていたのよと言っていた。
私が文部事務官として働いていたのは病院の保健掛だが、病院は当然のことながら昔と全く変わっていた。西側の玄関を入ってすぐドトールがあったのには驚いた。数えてみたら何と私が働いていたのは46年も前のことなのだ!

 その46年前、私が驚いたのは、京大病院の受付窓口の女性達が、みな着物姿だったこと。田舎の母達も日常は洋服で、着物はもう行事の折しか着なくなっていた時代だ。毎日着物で仕事をしている女性達にそのうち私も感化されて、業者さんが院内で展示する着物を何枚か買った。そして、成人式の着物は行きつけのパン屋のおばあさまが無料で着付けをしてくれた。
 
 日常は洋服の時代とはいえ、何かの折には洋服は仕立ててもらうものだった。だから就職する時には紺のスーツを仕立てて貰って毎日着ていた。しかし、月に何日か病院の南側の通りにずらーと店が並ぶ「昼店」というものがあり、そこでは下着も洋服も売っていた。3500円くらいで、ピンクやオレンジのスーツを買った。ちなみに、その頃のお給料は2万円くらいだった。

 ここまで書いてきて気がついた。昔のことばっかりしゃべっている認知症の母と、私は全くおんなじだ!