かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版 馬場あき子の外国67(スペイン)

2018年08月15日 | 短歌一首鑑賞
 ブログ版馬場あき子の外国詠8(2008年5月実施)
    【西班牙 Ⅰモスクワ空港へ】『青い夜のことば』(1999年刊)P48
    参加者:N・I、M・S、H・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
   レポーター:H・S   司会とまとめ:鹿取 未放


67 一万七千の高度よりみる白雲の網に捕はれし初夏のシベリア

      (まとめ)(2015年10月)
一万七千の単位はフィートなのだろうか。キロに直すと五千メートルくらいだから着陸態勢に入って高度を下げている場面だろうか。次からはモスクワ空港に着いた歌が並ぶので、そう読むのだが眼下がシベリアといわれると少しとまどう。広義のシベリアと考えておく。

 白雲の下の初夏のシベリアの光景は一見爽やかそうだが、「網に捕はれし」という言葉や、シベリアという地名、また次の歌に「歴史の時間忘れたような顔をして」とあるところから、歌には翳りがあることが分かる。
 この旅に同行した清見糺の歌をかつて鎌倉支部で採り上げ、鹿取が鑑賞をしているので参考までにあげてみる。

   シベリアに春来たるらしオビ河をおおう氷にひびはしる見ゆ   清見糺

 6月初旬シベリアにも遅い春がやってきて、冬の間いちめんに河を覆っていた氷に罅が入り溶けてゆく様相を見せている。歌っていることはそれだけで、作者が何を思い浮かべていたのかは想像するしかないが、おそらく日本兵のシベリア抑留についてであったろう。餓えと寒さに苦しめられながら強制労働をさせられ、多くの日本兵が餓死した。酷寒の中で死んでいったひとりひとりの兵の叫びを作者は聞いていたのではないだろうか。十把一絡げではなく、個人としてのひとりひとりの声を、である。むろん作者はここで人間の愚かさについて考えたとしても、ロシアという国に敵意をいだいているわけではない。そのことは一連の歌を見れば分かる。また、作者の想像は、戦争や人間についてのみでなく春のシベリアを謳歌する野生のさまざまな動物たちや植物にも及んでいたかもしれない。

 馬場の歌もシベリアについて踏み込んだことは何も言ってはいないのだが、「網に捕はれし」と言った時おそらく作者に去来した思いは清見の鑑賞であげたと同じようなことだったのではないだろうか。しかも馬場の掲出歌は情感たっぷりに詠まれていて、深みがある。(鹿取)