かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

ブログ版 渡辺松男の一首鑑賞 2の90

2018年08月11日 | 短歌一首鑑賞
  ブログ版渡辺松男研究2の12(2018年6月実施)
    【ミトコンドリア・イブ】『泡宇宙の蛙』(1999年)P60~
     参加者:泉真帆、K・O(紙上参加)、T・S、渡部慧子、鹿取未放
     レポーター:泉真帆 司会と記録:鹿取未放


90 おばあちゃんと僕の見るものかさなりてしまいて遠く火星が点る

※○(D)渡辺のことばは、どの作品の中でも知的な幼児性をまとってたちあらわれる。これは、
   いま述べた彼の自然観・人間観からしてとうぜんのことだろう。自然はほんらいおおらかな
   幼児性をもつものであり、同時にそのことは、今の人間社会にあっては高い知性をもって洞
   察しなければならないことなのだから。
    ある人が知性と幼児性をともにたかくもつことができたとしても、そのことは、その人が
   芸術家や文芸家としてすぐれた作品を生み出すことをなんら保証しないだろう。渡辺松男の
   多くの作品は、現代短歌としてもとくにすぐれたものだが、ではいったい、その根拠とはな
   んだろうか。(坂井)

 ○(E)「見るものがかさなりてしまいて」の「しまいて」。偶然性と僕の思いがけなく重な
   ってしまった感触(そんなつもりもなかったのに、という感じ。運命的、とまではいかなく
   ても)が、表出しているように思います。その視線が重なってしまった先に「遠く火星が点る」、
   戦争、軍神を暗示する 火星が点っているのです。(K・O)


          (レポート)
※火星——太陽系の惑星で、太陽から見て四番目にある。赤く見えるため日本では災星(わざわ 
     いぼし)炎星(ほのおぼし)といわれ、西洋では軍神マルスに例えられる。

 ここにいる僕の星から、おばあちゃん(ミトコンドリア・イブ)の星、火星、太陽と一直線につながるようだ。おばあちゃんと僕の心が重なり一本の道になり、その先にぼうっと炎がみえるようだ。「点る」には何か人類の希望もあるように感じる。(真帆)


         (当日意見)
★僕は10代って感じですかね。もっと幼いのかしら。(鹿取)
★松男さん目線だと思っていたからすごく違和感があったのですが、そうではないのですか?気持
 ちが悪いと思っていたのですが。短歌って、自分じゃないものを書いていいんですか?(T・S)
★はい、自分じゃないものを書いていいんです。松男さんの新しい試みの一つですよね。でもそれ
 で短歌の枠が広がる。短歌ってそんなふうにして、古代から少しずつ枠を大きくしてきたんで
 す。茂吉だってばっと枠をはみ出して、塚本だってそうして枠を広げてきたんです。松男さんも
 短歌の枠を広げている一人だと思います。(鹿取)
★私はこのおばあちゃんはミトコンドリア・イブだと思っていたんです。人間は一つ一つが星であ
 るという考え方。命は消えないでそれぞれの星になる。(真帆)
★2011年のかりん東京歌会の勉強会で、渡辺松男の最初の3歌集(『寒気氾濫』、『泡宇宙の蛙』、
 『歩く仏像』)について私が発表したのですが(辻聡之さん、大井学さんも別の角度から発表さ 
 れた)、その時から宿題になっていることがあります。それがこの一連にも出てきた作中主体が
 少年である、とか幼児語、女性語を使うとかそのような問題です。穂村弘さんなんかもそうです
 よね。その辺りを穂村弘と比較しながら、同じ意図なのか、違う意図なのか、違う意図ならなぜ
 それぞれそうなるのか、評論書きますと言ってそれっきりなんですが。坂井修一さんが少しその
 辺に触れた評論を「かりん」に書いていらしたので上に挙げました。ミトコンドリア・イブ一連
 について、あるいはこの90番歌について述べた意見では全くないのですが、ここにも当てはま
 ってとても示唆に富んだ意見で、もっと先が読みたいです。この次の次の回だかの松男さんの歌
 に幼児語はふんだんに出てくるので、ぜひ、皆さんにも一緒に考えて欲しいです。
  それから、支部で松男さんの鑑賞をやりながら、いつも気になっていることは、松男さんがい
 つか時評で「自分より優秀な人に読んで貰いたい」って書いていらしたことです。思い出す度に
 ごめんなさいって忸怩たる思いになるんですけど、許してもらうしかないですね。誰だって全て
 理解してくれる「自分より優秀な人に読んで貰いたい」し、自分の意図以上のことを読んでもら
 えたら、どんなに嬉しいかわからないですものね。だから、松男さん、はがゆいだろうけどごめ
 んなさいっていつも思っています。(鹿取)