かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 175(ロシア)

2014年04月13日 | 短歌一首鑑賞
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)P139
                 参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:K・I
                   まとめ:鹿取未放


8 繰りかへしゴルビーが好きだといふ時を高揚しをりロシアガイドは

         (まとめ)(2007年10月)(最後の3行は、2014年4月)
 ゴルビーはゴルバチョフ大統領の愛称。1931年生まれ。一九八五年、ソ連共産党書記長。一九八六年のチェルノブィリ原発の大事故による社会的政治的危機を打開し、国の停滞を打破しようとペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推し進めた。マルタ会談で東西の冷戦を終結に導き、アフガンから軍を撤退させた。1990年、ソ連大統領就任。同年、世界平和に貢献したかどでノーベル平和賞受賞。
 しかし、ゴルバチョフみずから導入した経済改革と共産党組織との乖離によって体制に大きな揺らぎができ、1991年、クーデターによりゴルバチョフは拘束され、その後は連邦の求心力が弱まりソ連は崩壊、ゴルバチョフは退陣した。
 馬場一行がロシアを訪問したのはそれから10年後の2001年、エリティンも既に去ってプーチンの時代だった。
 ソ連崩壊後の国はどうであったか、ガイドの言動を通して一国の変遷を詠っている。現ロシアの国情についてはさまざまに取りざたされているが、崩壊後厳しいインフレに見舞われたことは記憶に新しい。しかし、この旅行中われわれにロシアの素顔を見ることは叶わなかった。ある地方都市の市場はわれわれの再三の懇願にもかかわらず見学することを拒否されたし、地方に行く街道沿いの道ばたでは給料不払いで現物支給のタオルやぬいぐるみなどを売っている人々を随分と見かけたりもした。ともあれ、このロシアガイドは現体制に批判的であるのかゴルビーを繰りかえし褒め称えているのであった。オレックという名前の愛嬌のあるガイドさんで、痩せていたため私は密かに「折れ釘のオレックさん」と名付けていたのだった。ガイド中はタイミングをみはからって日本のことわざを巧みにおりこみ、われわれは拍手喝采したものだった。
 レポーターは「現体制を喜んで受け入れている」と書いているが、これは間違い。2001年旅行当時、2007年レポート当時、いずれの時点でもプーチンが第2代ロシア連邦大統領(在任2000年~2008年)として体制を率いていた。
     (鹿取)


      (レポート)(2007年10月)
 ロシア人ガイドが必ずしもロシア人を代表してはいないでしょうが現体制を喜んで受け入れている(K・I)