かまくらdeたんか   鹿取 未放

「かりん」鎌倉支部による渡辺松男の歌・馬場あき子の外国詠などの鑑賞

 

馬場あき子の外国詠 170(ロシア)

2014年04月08日 | 短歌一首鑑賞
   【オーロラ号】『九花』(2003年刊)P136
                 参加者:K・I、N・I、崎尾廣子、Y・S、T・S、藤本満須子、T・H、渡部慧子、鹿取未放
                 レポーター:K・I
                   まとめ:鹿取未放

 
3 三十三度異常の夏のオロシアのイワン雷帝のやうな夕立

     (まとめ)(2007年10月)
 イワン雷帝は、ロシア帝国の皇帝イワンⅣ世(1533~1583在位)のことで、農奴制につながる専制政治体制(ツァーリズム)を確立し、息子を殺すなどロシア史上最大の暴君とされている。その暴君が突然癇癪を起こして怒り狂っているような夕立だ、というのであろう。しかしここでは何か陽性な怒りで、この歌に「イワン雷帝」に対する悪のイメージはない。オロシアという古い呼び名も夕立によくマッチしている。
 馬場あき子一行が旅した7月中旬のロシアの気温は平均17度、日本の4月頃の気候だから羽織るものを用意するよう旅行社から言われていたが、連日33度、34度の暑さだった。地球温暖化がいわれて久しいが、冬の長いロシアの人々はむしろこの気温を喜んでいるように見えた。クルージング中に、モスクワ川やヴォルガ川で喜々として泳いでいる人々の姿をよく見かけた。そして、そういうクルージングの最中にも、毎日決まったように突然夕立が訪れるのだった。予兆なく突然大粒の雨が降り出すので、その都度、甲板からあわてて屋根のある方向に駆け込むのだった。だが、その夕立はむしろ旅行者を爽快な気分にさせてくれた。
 蛇足だが、『罪と罰』でラスコーリニコフが老婆を殺すのは、やはり異常に暑い気温続きの「七月はじめの酷暑の頃」とある。もちろん百年前にもこういう暑い夏はあったのである。(鹿取)


      (レポート)(2007年10月)
 これは旅行した作者の体験(K・I)