アメリカンヒストリーX

2008-07-29 02:08:45 | Weblog
ずいぶん古い映画なんだけれど、娘がお気に入りで久しぶりに見ていた。
映画はロス暴動の後だ。

若い人たちが、KKKのような活動に走るわけだけれど、そのリーダーが自分の間違いに気づくという流れだ。

今改めてみてみると、「黒人」の部分を「韓国人」や「中国人」に変えて台詞を聞いてみれば、最近ネットで聞く言葉ばかりだ。

密入国者や移民保護のために政府が多額のお金を使っているのに、俺たちアメリカ人は貧しいままだ。

犯罪者の3人にひとりは黒人だ。

密入国者を雇うな。

・・・う~~~ん、アメリカでも今時の日本と同じ不満をアメリカ人が持っていたのか。

後から入って来た者と、元からいるけれど社会から阻害されている人間との生存をかけたシェア争いと見えなくもない。

何度も書いているけれど、企業は自分の存在している国が安全な社会であることを望むなら、まず国内にいる人間に職場を提供して、その生活がちゃんとなりたつようにするべきでは。

労働力を安く買い叩き、多くの人間を追い詰めることをすれば、やがてそのつけは国だけでなく、たとえグローバル企業であっても払わせられるだろうと思える。

能力や財産に恵まれた人間も、自分さえよいと思って、無能さや不運を自己責任として隣人を見捨てるなら、今住むこの社会の安全が脅かされ、お金されあれば当たり前に手に入ってきた豊かで安全な社会があっという間に消えてしまうということを知っていなければならないと思う。

なぜ人が集まらない?

2008-07-26 23:53:00 | Weblog
日本人の権利を守るために実際に動く人は少ないのに、なぜ反日には人が集まるのか・・・

日本人の財産から奪い取って何の権利もない人間が自分のものにするために活動している場合と

自分のものにならないのに、日本人の全体の利益のために義憤に駆られて日本の利益を守ろうとする活動の場合の違いなんだろうなあ。

自分の直接の利益になる集団に勝つのはほんとたいへん。
しかも、この掠め取り目的の反日集団って働きが悪い日本人集団まで抱え込んでるしねえ。

防戦一方の日本人は儲かるどころか、持ち出しして終わりだもの。

それだったら、自分のために働いていたほうがましとなってしまう。

それでも、ブログで論評しているより参加して!と書いている

http://blog.livedoor.jp/kikanihonjin/archives/869236.html

この記事には考えさせられる。

<ネットは誰でも評論家になれてしまう安易な場所なので、語る事に熱を入れ易くなりがちですが、現実的な事を言うと糞の役にも立ちません。
自分達が地元の悲惨な状況を嘆きつくして行動を開始し、ハッキリと悟ったのは数の問題でした。 
人間を含む、群れを形成する生き物全てに共通する集団心理です。 ですから、限られた少数人数で正論を声高に叫んでも、事情を知らない人間から見る善悪の区別は「数が多い方が正しい」となってしまいます。 その良い例が、3千人の在日によるデモ行進に対抗した、たった20人の新風でした。 箇条書きで書面に書くと、新風の言い分の方が明らかに正しいのに、あの場に居合わせた自分の国を知らない日本人から見ると、恐らく新風の方が異様に見えたのではないでしょうか。 それが、例えば新風側が同じ3千だったら?もし4千だったら? それ以上だったら?
逆を言えば、事実無根でも主張する人数が多ければ通ってしまうわけです。>


そのとおりです。ブログで自分が実際にやったことを報告できるようになったとき、意味があるのだと心しています。まずは現場へ足を運ぶことですね。






世の中の仕組みをちょっと考えてみると

2008-07-26 18:50:53 | Weblog
生きていく方法は、

椅子とりゲームに勝つか、ファン投票でたくさん得票するか、投資ゲームに勝つかの三つなのかと。

椅子とりゲームは、組織のある場所に自分の席を確保するための戦いで、席を確保するまでは熾烈な競争があるけれど、確保してしまうと案外安定した身分や収入を保証されやすい。組織内での格差はあるが、リスクが少なくて、みんなが社会のいい席を目指している。とりやすい席だと、安定していても収入は並かそれ以下になる。結婚で旦那の収入で暮らすという選択もこの中にはいる?

商売であれ、アーティストであれ、芸能人や宗教家、占い師であれ、ファンの数によって収入が決まる。作り出すものが価値があるかどうかより、支持する人が多いかどうかによって価値が決まるので時に不条理で不安定さがある。ファンとは心変わりしやすいものだから。それでも、誰が、何がいつどうブレイクするかはわからない。リスクが高いけれど夢を持ち続けて人生を楽しむこともできる。自営業ってほとんどがこんな感じか。お客さんに指示されればなりたつし儲かる。

投資で生きる。リスクは高い。元金が多ければ失敗を挽回するチャンスを持てる。額に汗しない仕事とも言われるけれど、案外精神的にはきつい。
資金がないものが手を出すと、普通は破滅するが、短期的にはひと財産築く運のいいあるいは才能のあるものがいる。一生勝ち続けられる人がいるのかは知らない。
レベルが低い賭け事も入るかも。

すべてを捨てて、出来る限り貨幣経済から逃れて、自給自足を目指す人もたまにはいるけれど・・・。

世の中椅子とりゲームに参加して席を確保しないとまともな生活できないと言っているように聞こえるけれど、ほんとにそうなんだろうか・・・。

リタイア年齢が近づいている今でも、そのあたりがわからないまま生活しているのは、低レベルであれ席確保組みのせいなのかもしれない。




地方の活性化にいいタイミング

2008-07-23 01:36:50 | Weblog
安全でおいしい食べ物を確実に手に入れるのがだんだん難しい時代になってきた。

でも、とかく値段で世界の市場で勝てないと思ってきた日本の作物がこんな時代だからこそ市場価値を持つようになってきた。

農業させないために土建業をさせていた人たちが、元の農業に戻る流れもでてきたと聞く。

これはいいチャンスじゃないのか。

地方には仕事がないという。だから土建業への公共投資が必要だといい、無駄な道路さえ作り続けたきた。

今なら、日本農業立国もありえるのでは?

もういい加減、自動車を輸出しやすいようにアメリカに農政で遠慮する時代は終わらせようよ。無駄なお米を輸入してあげるようなことやめようよ。

日本車は保護しなくても外国の消費者にも支持される時代になったのだから、そろそろ国家としては自動車産業は放置してもいいでしょう?勝手に、中国とくっついて商売広げるでしょうし。

それより、安全でおいしい日本の作物を輸出しやすい外交政策をとりつつ、早急に国内の農業のあり方を新しい時代に合ったものに変えていかないと。

ファーストフード店などか自家農園をもって、企業農家としての道もだんだん見えてきているらしい。なかなか経営が軌道に乗らない難しさはあるみたいだが、こういうところにこそ援助は必要なのでは。

農村が復活すれば、山も荒れなくなる。地方に産物加工工業ができれば、安心して使える冷凍野菜も消費者の手に入る。

毒だらけとわかっていて外食産業で使われる中国野菜が一掃されれば、安心してコンビに弁当も食べられるではないか。

今こそ日本を農業立国してほしいもんだ。


官庁の無駄遣い

2008-07-21 20:31:55 | Weblog
この無駄遣いのせいで、売り上げアップできた企業もいるんだろうに。
マスコミに官庁の無駄遣いを叩かれて困っているのは、官庁ではなくて、官庁をお客さんにしている企業の方だろうなあ。

タクシーからの小さな利益供与の問題にしても、タクシーを使えないで官僚が困るというより、タクシーを使ってもらえないで困っている運転手ってところが皮肉なもんですね。

やっぱり、大きな政府がそもそも問題なのだと思えてきました。

むやみに多額のお金を集めるから、維持費の方がかかる無駄な箱物作ったり、公正でない社会保障の分配のし方をするようになる。

基本的な生活はだれでも働かなくてもできるようにお金を分配してしまい、後は自己責任とするという考えが、実は一番効率がいいのかもしれない。

何も集めたお金を官僚が代表して使うことはない。自分で使ったほうがましでしょう。その代わり、なんでも国に任せておけば大丈夫という発想は捨てないとならないかもしれない。

商売しやすいようにお金を各国にばら撒きたいのなら税金からでなくて、各企業の皆様がすればいい。その代わり、税金安くしてもらって。

まあ、道州制ぐらいで総務省を初めとするお役人がひたすら失敗を画策しているとなると、簡単には小さな政府なんて実現できそうもないですけれどねえ。


にこにこ大会議の不思議な世界

2008-07-17 23:46:04 | Weblog
にこにこ大会議

にこ動はが企業活動しているわけですが・・

当然普通の企業と違う。

背広を着た社長を外部からヘッドハンティング?してきて、一般企業と普通の会話できるような体制を作り、悪名高きJASRAC ともなんらかの話をつけたりとコンテンツの問題を時代に合わせていく努力をしているようです。

この動画を見ていると、

仕事って、信者を集めるとなりたつんだなあって

なんかそんな気がしてきました。

もちろん信者のニーズをどう吸い上げるかが重要なわけですが。



安易な寄付は組織を堕落させる

2008-07-09 04:19:10 | Weblog
自分が行動できないのなら、せめて寄付で協力したい・・

純粋な思いでした寄付が、ボランティア活動をグリーンピースのような、集金のためのパホーマンス集団に変えてしまう。

きっと初めはどこも純粋な思いでの活動だったはずなのに。
長い間に、手段が目的化してしまった組織はお題目ばかりきれいでも社会の害悪だ。

それどころか、例えばなくすべき差別を幽霊になっても存続させて、自分の組織の存在意義を守ることを目的としてしまう。

政治活動は、寄付によって成り立つのはわかるが、大きな組織から寄付をもらえばその組織に利する活動に変化してしまう。

今芽生えた小さな市井の保守活動も、しだいに仕事量を増やしているのを見ると、結局、プロ市民と同じように、プロ化してしまうんだろうと少し残念に思う。それでなければ、大きな活動をすることは無理なのかもしれないが、どこの利益も代表しないで、是々非々で日本が住みよくなるように声を上げていくことの難しさを感じないわけにはいかない。

ボランティアは手弁当で、自分の出来る範囲にとどめ、決してそれで生活してはいけないという曽野氏の意見は、真実だと思える。

設立当初の純粋さを失わなせないためには、寄付の形で安易に協力してはいけないのだと思う。その活動が真実大切なものだと思えるのなら、自分の時間と体力をちゃんと使わないと。

それでもお金でしか協力できないとなったら、せめて本物を見分けたいものだと思う。

世の中、きれいな看板掲げた後ろ暗い組織が純粋君を騙そうと山ほどてぐすね引いて待っているのだから。


報道側の本音

2008-07-08 03:22:28 | Weblog
「モンスターペアレント」という言葉

おもしろい記事でした。

<当時、「保護者=子供を人質に取られた弱者」という公式が大手メディアの報道上で(市井の感覚とはかけ離れた状態で)大手を振って歩いるように、私は感じていました。だから、この古めかしい公式の誤りを指摘することは、新聞記者にとっては天動説を否定するくらい(大げさですが)大変なことだと思いました。

 まず、「教師という権力者を与するのか」という非難をマスコミ業界から浴びる可能性がありました。弱者が悪くても強者とは組まないのが報道だ、カッコ悪いと。>


権力者の敵はみな味方・・・ってわけで、どんなにひどい人間や組織でも権力者の足を引っ張る行為をするなら悪く書かないというスタンスなわけですね。

それが、どんなに一般国民にとってマイナスな存在であっても、否定しないマスコミの不可解な行動の訳が少し見えてきます。


それでもこの記事の記者のように


<弱者のふりをした強者がいて世間をおかしくしていることもあるのではないか>


という現実に遅まきながら気がついてくれる方もいるようです。
早くそれが普通になって欲しいと願わずにはいられません。

まだこの弱者のふりをした強者はあらゆるところに存在しているわけで、マスコミは今までその片棒かついで、一般の人間にものすごく損失を与えているとんでもない存在だと認めて、過去の自分たちの報道のあり方を反省して欲しいもんです。

日本は企業の集合体にすぎなくなってるのね

2008-07-06 02:51:08 | Weblog
外交的にみれば、情けない国ナンバーワンの日本ですが、日本の商社と取引をしたいと望んでいる世界の企業は多いそうです。なかなか入り込めないらしいです。日本の商社と取引ができる=お墨付きなんでしょうか。

日本のパスポートは世界でかなり信用の高いものですが、その日本の大企業に属していると、信用度が高くなるだけでなく、厚生年金を初めたくさんの福利厚生にも恵まれます。

いわば、企業は日本の中のもうひとつの国家。州みたいな感じでしょうか?

時に企業国家の利益のために日本という国家を犠牲にすることは厭わない・・そんな組織が日本の中にひとつの国家のようにたくさん存在しているわけです。弱腰外交の理由のひとつでしょうね。世界のお客様は神様ですから。

ここでみえてくるのは、企業国家や公務員のような強い組織に守られている人対個人の図。

格差社会という言葉の意味はそういうことなのかと最近感じています。

本来派遣会社という組織は、こうした弱い個人が集まって相互扶助できるようであればいいのに、現状は単なる中間搾取機関に成り下がっているようです。

さてこの企業が世界に工場や会社を進出させたり移民によって労働者を確保して企業の生き残りを掛けているわけですが、その一方取り残された日本人は行き場がなくなるのでしょう。

左翼が望むようなグローバル化や日本という国を希薄化させることを、左翼の敵であるはずの大企業は着々と押し進めているように見えなくもありません。

人種も国家の壁もなく、優秀な人材が集まって切磋琢磨して、豊かさを追求して経済活動を行いたくさん納税してくれて、その結果稼げない日本国民に寄与してくれるのはありがたいことですが、このままでいいのか?という気持ちがもたげてきます。

考えてみれば日本だけではなくて、そんな構造は世界中にあるわけで、アメリカなど元々移民国家などはそうやって作られている国なんでしょう。

そしてどんなに格差があっても、アメリカは世界の多くの国に比べたら国民は豊かに見えます。

結局日本も、古来からの村社会のような日本人同士が相互扶助するような社会から脱皮して、使える人間と使えない人間というふたつの階層に分かれて、おのおのが所属する組織の利益を確保するために戦う社会となるのでしょうか。

アメリカのテレビドラマは人種の坩堝のようなキャストで展開されていますが、日本のリアル社会もまたそんな世界になるのでしょうか。

理想社会のはずなんですが、それも豊かさを享受できる層に自分がいられる場合の限りではありますよね。