捕鯨禁止の国際会議で日本が、強気の脱退発言をしているのをテレビで見て、日本も少しは言うこと言うようになったのねえなどと感心していたら。
<鯨料理が 韓国ウルサン(蔚山)の名物料理とはこれいかに?韓国は「捕鯨反対」の国でありますのに 鯨がしょっちゅう網にひっかかってくれるらしい。メニューの名前も「偶然鯨」だと!! 日本の調査捕鯨で捕った鯨は2005年で121頭ざんすのに、 韓国では偶然網にかかってしまう鯨がなーんと年間平均270頭げな! @@; 人口比で日本の3倍になりまつ。>
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でこサングンさまの まつがひで紹介されていた記事に驚きました。
相変わらずの韓国、あれあれです。
さらに、Meine Sache のエントリー
鯨と奴隷では
捕鯨反対運動の本質をずいぶんおもしろく解説してくれていました。
そして、
<いわば過激な反捕鯨活動は、放っておけば勝手に無害なレベルまで縮小するだろう日本の鯨肉産業に、歪んだ形で生き残るための燃料を投下しているように思えてなりません。これは、鯨にも、西洋人にも、日本人にもマイナスです。そしてもし原理主義的反捕鯨運動が力で日本を全面屈服させるようなことにでもなれば・・・。
美しい信念は美しい。しかし、美しい信念を実行しようとして、その結果事態を悪化させるのであれば、それは醜悪な信念と呼ぶべきです。そして、美しい信念は必ずしも美しい結果に結びつかないという当たり前のことに気づかない人は、美しい信念を追求する果てに往々にして独善に陥り、より大きな罪を犯すことになるのです。>
こうして考えてみると、原理主義ほど本末転倒な結果を生む思想は他にないのでは?
たかじんで扱われていたごみ問題、護憲論・・・原理主義に陥ってしまった活動は、それによって利権を得たり生活費を稼ぐ人たちの寄生もあいまって、あらぬ方向に進んでしまう代表的な例のようです。
どんな活動でも、結果としてどうあるべきなのかを見失ったものは、どんな理想であれマイナスの活動に堕してしまうものなのに、世の中なんと原理主義者のお仲間が多いことか。
それだけ、全体を見通せない頭の固い人間が思いのほか元気に地球規模で活躍してくれちゃっているわけですねえ。
地球に役にたっているのやらいないのやら・・・。
強すぎる思い入れは目を曇らせるのは確かですよね。
まあ見えすぎて?宮沢元総理みたいなタイプのように、何も決断しない人もじゃまくさいですが。