日本は企業の集合体にすぎなくなってるのね

2008-07-06 02:51:08 | Weblog
外交的にみれば、情けない国ナンバーワンの日本ですが、日本の商社と取引をしたいと望んでいる世界の企業は多いそうです。なかなか入り込めないらしいです。日本の商社と取引ができる=お墨付きなんでしょうか。

日本のパスポートは世界でかなり信用の高いものですが、その日本の大企業に属していると、信用度が高くなるだけでなく、厚生年金を初めたくさんの福利厚生にも恵まれます。

いわば、企業は日本の中のもうひとつの国家。州みたいな感じでしょうか?

時に企業国家の利益のために日本という国家を犠牲にすることは厭わない・・そんな組織が日本の中にひとつの国家のようにたくさん存在しているわけです。弱腰外交の理由のひとつでしょうね。世界のお客様は神様ですから。

ここでみえてくるのは、企業国家や公務員のような強い組織に守られている人対個人の図。

格差社会という言葉の意味はそういうことなのかと最近感じています。

本来派遣会社という組織は、こうした弱い個人が集まって相互扶助できるようであればいいのに、現状は単なる中間搾取機関に成り下がっているようです。

さてこの企業が世界に工場や会社を進出させたり移民によって労働者を確保して企業の生き残りを掛けているわけですが、その一方取り残された日本人は行き場がなくなるのでしょう。

左翼が望むようなグローバル化や日本という国を希薄化させることを、左翼の敵であるはずの大企業は着々と押し進めているように見えなくもありません。

人種も国家の壁もなく、優秀な人材が集まって切磋琢磨して、豊かさを追求して経済活動を行いたくさん納税してくれて、その結果稼げない日本国民に寄与してくれるのはありがたいことですが、このままでいいのか?という気持ちがもたげてきます。

考えてみれば日本だけではなくて、そんな構造は世界中にあるわけで、アメリカなど元々移民国家などはそうやって作られている国なんでしょう。

そしてどんなに格差があっても、アメリカは世界の多くの国に比べたら国民は豊かに見えます。

結局日本も、古来からの村社会のような日本人同士が相互扶助するような社会から脱皮して、使える人間と使えない人間というふたつの階層に分かれて、おのおのが所属する組織の利益を確保するために戦う社会となるのでしょうか。

アメリカのテレビドラマは人種の坩堝のようなキャストで展開されていますが、日本のリアル社会もまたそんな世界になるのでしょうか。

理想社会のはずなんですが、それも豊かさを享受できる層に自分がいられる場合の限りではありますよね。