なぜ人が集まらない?

2008-07-26 23:53:00 | Weblog
日本人の権利を守るために実際に動く人は少ないのに、なぜ反日には人が集まるのか・・・

日本人の財産から奪い取って何の権利もない人間が自分のものにするために活動している場合と

自分のものにならないのに、日本人の全体の利益のために義憤に駆られて日本の利益を守ろうとする活動の場合の違いなんだろうなあ。

自分の直接の利益になる集団に勝つのはほんとたいへん。
しかも、この掠め取り目的の反日集団って働きが悪い日本人集団まで抱え込んでるしねえ。

防戦一方の日本人は儲かるどころか、持ち出しして終わりだもの。

それだったら、自分のために働いていたほうがましとなってしまう。

それでも、ブログで論評しているより参加して!と書いている

http://blog.livedoor.jp/kikanihonjin/archives/869236.html

この記事には考えさせられる。

<ネットは誰でも評論家になれてしまう安易な場所なので、語る事に熱を入れ易くなりがちですが、現実的な事を言うと糞の役にも立ちません。
自分達が地元の悲惨な状況を嘆きつくして行動を開始し、ハッキリと悟ったのは数の問題でした。 
人間を含む、群れを形成する生き物全てに共通する集団心理です。 ですから、限られた少数人数で正論を声高に叫んでも、事情を知らない人間から見る善悪の区別は「数が多い方が正しい」となってしまいます。 その良い例が、3千人の在日によるデモ行進に対抗した、たった20人の新風でした。 箇条書きで書面に書くと、新風の言い分の方が明らかに正しいのに、あの場に居合わせた自分の国を知らない日本人から見ると、恐らく新風の方が異様に見えたのではないでしょうか。 それが、例えば新風側が同じ3千だったら?もし4千だったら? それ以上だったら?
逆を言えば、事実無根でも主張する人数が多ければ通ってしまうわけです。>


そのとおりです。ブログで自分が実際にやったことを報告できるようになったとき、意味があるのだと心しています。まずは現場へ足を運ぶことですね。






世の中の仕組みをちょっと考えてみると

2008-07-26 18:50:53 | Weblog
生きていく方法は、

椅子とりゲームに勝つか、ファン投票でたくさん得票するか、投資ゲームに勝つかの三つなのかと。

椅子とりゲームは、組織のある場所に自分の席を確保するための戦いで、席を確保するまでは熾烈な競争があるけれど、確保してしまうと案外安定した身分や収入を保証されやすい。組織内での格差はあるが、リスクが少なくて、みんなが社会のいい席を目指している。とりやすい席だと、安定していても収入は並かそれ以下になる。結婚で旦那の収入で暮らすという選択もこの中にはいる?

商売であれ、アーティストであれ、芸能人や宗教家、占い師であれ、ファンの数によって収入が決まる。作り出すものが価値があるかどうかより、支持する人が多いかどうかによって価値が決まるので時に不条理で不安定さがある。ファンとは心変わりしやすいものだから。それでも、誰が、何がいつどうブレイクするかはわからない。リスクが高いけれど夢を持ち続けて人生を楽しむこともできる。自営業ってほとんどがこんな感じか。お客さんに指示されればなりたつし儲かる。

投資で生きる。リスクは高い。元金が多ければ失敗を挽回するチャンスを持てる。額に汗しない仕事とも言われるけれど、案外精神的にはきつい。
資金がないものが手を出すと、普通は破滅するが、短期的にはひと財産築く運のいいあるいは才能のあるものがいる。一生勝ち続けられる人がいるのかは知らない。
レベルが低い賭け事も入るかも。

すべてを捨てて、出来る限り貨幣経済から逃れて、自給自足を目指す人もたまにはいるけれど・・・。

世の中椅子とりゲームに参加して席を確保しないとまともな生活できないと言っているように聞こえるけれど、ほんとにそうなんだろうか・・・。

リタイア年齢が近づいている今でも、そのあたりがわからないまま生活しているのは、低レベルであれ席確保組みのせいなのかもしれない。