再び三菱東京UFJ銀行(名古屋営業部)の前に立つ金欠コスモタイガー。
ここまで走ってきた道は、現代では「本町通」と呼ばれていて、この辺りから美濃路最初の宿場、名古屋宿の中心を突き抜けることになる。
そのまま北上した、伝馬町通本町の交差点近くに旧高札場跡(交差点を札の辻と云った)があり、その案内板もある。
新聞もインターネットもなかった時代、ここでお上のお触れや連絡事項が掲げられ、庶民はそれを情報源として生活いたというわけだ。
ここは追分になっていて、右折するのが飯田街道だけど、美濃路は左折する。
国19(伏見通)を横断し、伝馬橋で堀川を渡ってすぐ右折。
堀川沿いに北上するんだけど、実は1本西の道筋が「四間道(しけみち)」と云って、歴史ある町並みが保存されている。
心は動くけれど、美濃路にこだわるコスモタイガーは、殺風景な堀川沿いを走るのであった。
国道22号を横断し、歯科医院が見えたら左折。
右に名古屋城が見え、ランナーのメッカ、名城公園も近いけど、コスモタイガーは目もくれず、西へと遠ざかっていく。
しばらくは道なりに走るだけなんだけど、左側にこれまた目立たぬように、江川一里塚跡の碑が立っていた。
枇杷島地区は年季の入った家並みが残っていて、歴史を感じさせる。
屋根神様が多いのも特徴だね。
右側に清音寺。
平清盛により、尾張に追放された、太政大臣藤原師長(ふじわらのもろなが)ゆかりのお寺だね。
ちなみに師長が住んでいたのが、井戸田村。(現瑞穂区井戸田町)
師長にまつわる史跡や地名も名古屋市内には案外残っている。
師長は琵琶の名手だったため、その音色を妙音と称えられたため、出家してからも自らを妙音院と称した。
瑞穂区の妙音通の由来になっているし、同じく瑞穂区には師長町という町名も残っている。(瑞穂陸上競技場のすぐ裏辺り)
庄内川の堤防に突き当たって、この道は途絶えちゃうけど、かつてはきっと直進して川を渡ってたんだろうね。
仕方なく、現代の枇杷島橋で庄内川を越えると、清須市に入る。(写真上)
ここはちょっとややこしいが、橋を越えてすぐの信号を渡って、左に降りていく感じになる。
ここから先は静かな雰囲気の町並みが続き、案内板も整備されている。
問屋記念館(入館無料)に到着。
「とんや」じゃなくて、「といや」ね。
簡単に云えば、主に馬や荷物などを取り次いだところやね。
江戸時代の問屋場が再現されている。
見学を兼ねて、ここをゴールとする。
枇杷島橋で迷ったりしてるから、実走距離は10~11kmぐらいかな?
ちょっと短めだけど、近いせいか、東海道のような緊張感?もないしね。
幸い、名鉄名古屋本線二ツ杁駅まで徒歩5分ほど。
美濃路はこの先、しばらくは名鉄名古屋本線が寄り添ってくれるから、便利なんだけどね。
逆にそれが物足りないぐらいだ。
※2014.6.27追記 地図、作成しました。(ここをクリック)
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