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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧中山道編(15)

2014-02-21 | 旧中山道run!!

世間ではお盆真っ盛り。
特に地元愛知県は、某自動車メーカーの影響大なのか、この時期、大型連休となり、バカンスや帰省モードの方が多かったりするけれど。

幸か不幸か、コスモタイガーの会社は、通常のカレンダー通りに動いており、8月はただ暑い日が続くだけの毎日だ。

とはいえ、折角の週末、何もせずぐったりしているのももったいない。
何といっても、予定では、いよいよ今回で、美濃路を制覇し、木曽路の山中に入って行くことになるからね。

ここらで中山道全体の行程を再チェック!
すでに最初のターニングポイント「御嵩宿」を越え(旧中山道編11参照)、今まさに美濃路最後の宿場、落合宿に差し掛かっている。
この後、第2のターニングポイント、となると…。

「下諏訪宿」(JR中央本線下諏訪駅)になるのかな?
そこまでは、所々で付いたり離れたりしながらも、まぁそれなりにJR中央本線に沿って走ることになり、それほどの不便も感じることなく走れそうだけど。

様々なHPや資料を参考にしていると、皆さん、下諏訪宿から先は、それはそれはかなりの苦労されているようだ。
何せ公共交通機関皆無に近い状況が長く続く上、険しい峠越えを強いられるからねぇ…!

時刻表オタクの自分ですら、下諏訪から先のアクセスを思うと、頭痛がしてくる。
旧東海道やここまでの中山道など問題にならない、超難関区間だ。
まぁ、今のうちからじっくりと時間をかけて、アイデアを温めていくしかない。

とはいえ、まずは今回!
新たな拠点?「勝川」駅に車を置き、中央本線で「中津川」駅下車。
ただでさえのんびりなのに、ここでまたさらに軽食で腹ごしらえ。
どうもこの中津川までは、「名古屋圏」のイメージがあるからね~、無意識にのんびりしてしまうよ。
中央本線の列車も、一部の臨時列車と、ワイドビュー「しなの」以外は、この中津川で必ず降りないといけないしね。

北恵那交通バスで、前回のゴール地点、落合宿の入口(落合村役場跡)に降り立ったころには、時計は13時を指していた。
まぁいいけどね、ここは散歩しないから!(理由は前回の中山道編14参照)
写真だけ収めて、すぐにスタート。

落合宿は、400mほどの小さな宿場だったらしい。
走りだしてすぐ、約200mぐらいかな?
「落合宿本陣跡」。
現在も当時の門と塀が残され、かなり目立った存在となっている。

間髪入れずに「脇本陣跡」。
こちらは面影なく、それを示す碑が建っているのみ。

さらに200mほどで、常夜灯も残されている。
上町常夜灯といって、1792(寛政4)年製のものらしい。

わずか400mながら、凝縮された感のある街並みで、なかなか渋い味を出している落合宿だけど、とにかく先に行きたい。

県道7号と斜めに交差し、そのまま山中に入っていく中山道。
交差した地点が、かつての高札場跡らしい。
落合宿、これにて終了!

300mほどで、左に分岐するのが中山道で、すぐに落合川を橋で渡り、本格的な登り坂が始まる。
「十曲峠」の入口ということらしい。

二又になっているところを右へ。
すぐに「医王寺」に到着。

枝垂れ桜で有名なお寺らしいけれど、残念ながら今は季節外れ。
とはいえ、静かな山寺の雰囲気は、なかなかに趣ある。

案内板も整備され、迷うことなく進めるのはありがたいけれど。
とにかく登りが延々と続く。

すぐに山中に入っていく形となり、石畳になった。
中津川市の観光ガイドやHP等には必ずと云って良いほど掲載されている、「落合の石畳」やね。(冒頭写真)
両側が緑に囲まれ、マイナスイオンたっぷりの中、見事な石畳が続いている。
予備知識があってもやっぱり本物は美しいね~。

何もない森の中を走る。
これは見た目には涼しく、気持ち良い。

今度は下りになり、やがてアスファルト道(車道)に出て石畳終了。
ここは「新茶屋」という小さな集落で、山中のオアシス的な場所になっている。

すぐに「新茶屋一里塚跡」の石碑を見つけた。
左右両側に、復元されている。

そして大事なのは、そのすぐ隣に建つ石柱。
「信濃・美濃国境」と書いてある!
さらに「是より北、木曽路」の大きな碑もある。

そう、ついに国境。
これにて「中山道美濃路」も制覇!

美濃国って大きいんだなぁ。
柏原宿を越え、「寝物語の里」を越えたのは随分前だった気がするけれど。(旧中山道編6参照)

でもこんなので驚いてちゃ駄目だよね。
この先の木曽路や信濃路の方がはるかにスケール大きいんだから!

そして実はここ、つい最近まで、岐阜県と長野県の県境でもあったんだけどね。
岐阜県中津川市と、長野県木曽郡山口村の境だった。
ところが2005年、全国では珍しい「越県合併」で、中津川市に編入された。

もともと山口村の所属は、お上の都合?によって、変転流浪している。
細かく説明すると長くなるけれど、かつては信濃国の時期もあったらしいが、江戸期は概ね、尾張藩の管轄だったらしいし、明治になると再び長野県に属することなった。
そうはいっても、地域住民は、お上の都合とは関係なく、県をまたがって中津川市との繋がりが深かった。

当時の新聞記事などを思い出すと、この山口村、これから訪問する「馬籠宿」という有名な観光地を保有していただけに、周辺市町村や長野県を巻き込んで、かなりの議論になっていた記憶がある。
地元住民にも、様々な意見があったらしい。

結局、紆余曲折の上、日常生活で結び付きが強い、中津川市との「越県合併」の道を選んだということやね。

そういえば、この辺りを網羅する路線バスも、さっきコスモタイガーが乗ってきた、「北恵那交通」(つまり中津川駅発着!)だ。
途中、「落合」で下車したけど、行先は「馬籠行」だったからね。

某電話会社的にも、長野県だと基本、東日本の管轄になるけれど、この辺りの市外局番は「0573」で、中津川市と同一、つまり西日本の管轄ということになる。

さぁ、木曽路だ!
「木曽路は全て山の中である。」
島崎藤村の「夜明け前」(だっけ?)で有名な、あの木曽路だ。

でもごめん、夜明け前どころか、島崎藤村すら読んだことないんだよね。
時刻表なら、朝飯前だけど。

木曽路は、木曽街道の別称もあり、中山道でももっとも険しい区間とされていたらしい。
ここから馬籠峠に向かって、再び登る感じのルートになる。

そのまま進むと、正岡子規の句碑があった。
句碑自体はたいして興味ないけどさ、ちょっとした絶景ポイントで、思わず足を止める。

再度下りになり、ちらほらと歴史を感じさせる建物も見られて、視覚的にも楽しい区間だ。

右手にこんもりした森がある。
これは諏訪神社。
その入口にあるのが「島崎正樹翁碑」。

島崎正樹って誰や??
説明書きによると、島崎藤村のお父君で、「夜明け前」のモデルになった人だとか。

さらに100m少々で、馬籠城跡。
説明書きによると、元々は室町時代のものらしい。
詳細は省くとして、その後、1548(天正12)年、島崎重通という武将がこの城を守ることになった。
島崎藤村の祖先ということらしい。
この辺りでは「島崎」は名家ということやね~。

やがて右側突然そば屋が現れ、県道7号と交差。
ここで今までの流れが一転、急に騒がしくなった。
そば屋の隣は、大きな駐車場になっていて、観光バスも停まっている。
中津川駅行のバスも、ここから発着しているんだね。

そしてここからが有名な「馬籠宿」の始まりだ。
「木曽十一宿」の最初の宿場にあたる。

馬籠宿は、馬籠峠に向かう急坂の途中にあるため、いきなり凄い登り坂なんだけど、両側は復元された建造物&土産物屋が建ち並び、多くの観光客が買い物&散策している。
なかにはペット連れのカップルもいたりする。
ワンちゃんにも中山道の素晴らしさが理解できるのか?

京都から走ってきて、これほど観光地化された宿場町は初めてだ。
ちょっと走るには気が引ける状況ではあるけれど、初志貫徹!
っていうか、もう、旧東海道のころからの蓄積で、免疫?が出来てるからね~。
まさに「旅の恥はかき捨て」だ!

すぐに枡型になり、その突き当たりには、大きな水車が回っている。
さらに「清水屋資料館」。
ここも藤村の小説に出てくるらしいけれど。

中には掛け軸とか焼き物等の貴重な資料が陳列されているらしいけれど、トレーニング中だし!
馬籠宿も素晴らしいことには違いないけれど、あくまでも大半が「復元されたもの」。
もちろん、ここまで復元したこと自体、見事なんだけどね。
心の中では「早く次の妻籠宿へ」と楽しみにしてたりする。

次、本陣跡ね。
島崎家が代々その役を務めた。
もちろん、さっきから出ている島崎さんね。
要するに、ここは藤村の生家ということにもなる。
ということで、現在は藤村記念館として、公開されている。
藤村は、結構なお坊っちゃまだったんだね。

ここも見学はせず、先に行く。
隣の酒屋さんも伝統を守っていそうな立派な佇まいだ。

次!
脇本陣ね。
ここも資料館になってるよ。
キリないから先行くよ。

両側からは、五平餅やみたらしを焼く匂いが食欲をそそるけど、お付き合いしてると練習にならないからさ、先に行こう!

ここで県道7号に再びぶつかる。
県道は車仕様で、カーブしながら大回りしてるところを、中山道はショートカットしてるわけだ。
高札場も復元されている。
馬籠宿はここまで、ということらしい。

こちら側にも観光用駐車場があって、逆コースも可能ってことやね。

さぁ、ここからはいよいよ峠を目指す。
馬籠宿~妻籠宿間は、旧中山道がハイキングコースとして整備されており、案内板も整備されているから、迷う心配は少なくて済む。

すぐに「上陣場跡」。
何と!豊臣秀吉と徳川家康が戦った、小牧長久手の合戦ゆかりの場所らしい。
徳川方の、菅沼・諏訪・保科の各氏の軍が陣を張った場所、とある。

え~、そりゃ随分遠いところに陣を張ったね~。
小牧長久手は、我が愛知県の地名。
名古屋市のすぐ隣、長久手町(現:長久手市)には「長久手古戦場跡」がある、あの戦いだ。

ここは高台になっていて、景観は素晴らしく、現在は展望台になっている。
実にありがたいことに(苦笑)、今日はカンカン照りで、見通し抜群だ!
恵那山が眼前に広がっている。

まぁでも、標高もかなり上がってきて、名古屋よりは確実に涼しいはずだけど、何せ汗ダクダクで、よ~わからん!

さて、この先、資料によれば、展望台から右の狭い道を選び、古い民家の庭先!を抜けるようになっている。
案内板に従い走ると、その民家は改装?工事中なのか、進入禁止になっていて、少し大回りする形で迂回路が設けられていた。

ここからは完全に登山道状態。
ハイキング&クロカントレーニングには最高だ!

県道7号を再度交差し、石畳を走る。
いくつもの小さな峰を登っては下り、を繰り返し、標高を上げていく。
「梨の木坂」の名前もあるらしい。

何度か県道と交差しつつ、黙々とクロカントレーニング。
どれぐらい走ったかな?

そしてまた県道に合流。
着いた!
標高801m、「馬籠峠」!

そして、山口村の越県合併後の現在、ここが岐阜県と長野県の県境になったわけだね。
某電話会社の東西の壁にもなっている。
行政区域は、長野県木曽郡南木曽(なぎそ)町。

いや~、結構ボリュームあったな~。
でも中山道全体からすれば、馬籠峠なんて序の口であることを、後々知ることになる。

馬籠峠自体、周囲は山に囲まれ、特段見通しが良いわけでもなく、小さな休憩スポットがあるのみ。
ここからハイキングコースの案内板に従い、再び県道をはずれ、下っていくクロカン道を走る。
再び山の中。

途中、ポツンと1軒だけ、古い民家がある。
かつての立場茶屋跡らしく、かつては数件あったらしいが、現在は牧野家住宅のみが残っているらしい。

続いて白木番所跡がここにも。

どんどん標高が下がり、綺麗な石畳に再び巡り合う。
右手に小川が寄り添い、真夏の暑さを和らげてくれる。
途中、樹齢300年のサワラの大木、なんてのもあったりして、かなりの山深さを実感する。

小川を渡り、再び県道に出て、しばらく走ると、これまた案内板は右に分岐する小道を行けと言っている。

水音が聞こえてきた。
格好の納涼スポットに到着。
ほんの少しだけ寄り道になるけれど、音に導かれて左に行くと、大きな滝だ!
「男滝」というらしい。
いや~、これは気持ちいいなぁ。

そしてすぐ隣には「女滝」。
こちらも見事な滝で、しばし足を止め、リラックスタイム。

さぁ、足を進めよう。
中山道に戻った所にある小さな神社が「倉科祖霊社」。
倉科七郎左衛門という武将が、ここで討ち死にし、祀られているらしい。

しばらくは山中を道なりに下る。
石畳が始まる。
この辺りの石畳は保存状態が素晴らしく、観光パンフレットやガイドブックの挿入写真にも度々使われているところだ。
山深き中、左右にまっすぐ伸びる木々が、さらにそれを引き立てている。

県道にまたまた合流し、すぐ左に分岐。
数軒の家が並び、ちょっとした集落になっている。
ここも古くからの集落らしく、「大妻籠」と呼ばれている地区だ。

何やら300mほど奥まった所に「藤原家住宅」という17世紀中ごろの史跡があるらしいけれど、まだ先は長いしね、遠慮しておく。

県道にランデブーだけしてすぐ左折。
山を下りきった感じで、平坦になり、ちらほらと人家が増えてきた。
いずれもそれなりに歴史と威厳を感じる。
どうやら旅館を営んでいるらしい。

途中、案内板がなければ気付かないような石の道標を発見!
明治になってからのものらしいが、「左旧道」の文字が。

え?左?
なんか民家の庭先のような道だけど…。

でもこれが正解。
こんな地図にもない民家の間を行くのが、中山道の魅力なのだ。

何やら半信半疑のような狭い道を走ると、すぐに大きな駐車場が右手に見えてきた。
まるで駐車場の横をすり抜けるような状況だ。

国道256に交わった。
またまたここで一気に賑やかになった。
駐車場には多くのマイカーや大型バスが停まっている。

さぁ、ここからが今日のクライマックス、妻籠宿!
馬籠宿とsetで?木曽路の代表的な宿場町として有名だけど、この妻籠宿こそ、正真正銘、かつての宿場町の面影を残しているんだよね。
「復元」じゃないんだ、そのまま残ってた、いや、地元の皆さんが大切に残してきたんだよね。

そんな地道な努力は、1976(昭和51)年、「重要伝統的建造物群保存地区」の第1号に指定され、大きな花を咲かせることになった。

今でこそ、あちこちで「保存」が叫ばれ、大内宿(福島県)や白川郷(岐阜県)が観光地としても有名になり、なんやかんやと日本国内で104カ所も存在する「重要伝統的建造物群保存地区」だけど。
(白川郷なんか、世界遺産にまでなっちゃったし)
その発端というか、火を点けたのは、この妻籠宿なんだよね。

今では完全に観光地となり、かなりの人混みで、馬籠宿同様、ちょっと走るのに戸惑う状況ではあるけれど、目の前の町並はまさに壮観だ。

まぁ、丸1日ぐらいかけてじっくり拝見したいぐらいのボリュームなんだけど、そんなわけにもいかないからね、文字通り駆け足で、ちょっと勿体ないけれど。

まず最初は尾又。
説明板によると、飯田道との追分で「今も道筋を辿ることができる」なんて書いてあるから、興味本位で少し入ってみる。
でもだんだん狭くなったし、リサーチもしてないからすぐ引き返す。

上嵯峨屋。
かつての木賃宿(現代風に云えば、素泊まり専用の民宿?)らしい。
その先の下嵯峨屋も歴史を感じる。

枡型を過ぎると、本陣跡。
その斜め前に脇本陣。

本陣は復元だけど、脇本陣は明治10年に建てられたもので、こっちの方がメインらしい。
中に入りたい気持ちは山々だけど、汗ダクダクだし、まだこの先も頑張って走りたいから、涙を飲んで遠慮しておく。

見どころ満載過ぎて、本当に後ろ髪引かれる思いだけど、先を急ごう。
高札場を過ぎると、「鯉ヶ岩」。
かつては鯉の形をしていたものの、明治24年の濃尾地震により、変形してしまったらしい。

観光客はだいたいここら辺りで引き返す感じで、一気に人気が減少。
案内板に従い、再び静かな山道へと進む。

何度かアスファルト道と重なりつつ、降りて行くと、左に「妻籠城址」の看板。
ここも小牧長久手の合戦と関係あるとか。

結構な山城らしく、「主郭まで徒歩10分」とある。
いや、これからまた10分も登るのはきついな。
ごめんね、また寄らせてもらうね。

JR東海の「さわやかウォーキンク」も、定期的に開催されるため、案内表示は親切だけど、なかったら絶対に迷いそうだ。

やがて両側にこんもりした塚が。
「上久保一里塚」。
江戸当時のままの姿を留めているらしい。

ここまで来るとあとは基本、下るのみ。
ゴールを意識できる感じになり、足取りも軽く、どんどん標高を下げる。

次の目印は「かぶと観音」。
木曽義仲の兜の中にあった十一面観音を祀ってあるとか。

ここはちょっとややこしいな。
何といっても6叉路やから。

リサーチしたとおり、観音様のすぐ右の狭い道を降りて行くのが正解。
しばらく走ると、今度はちょっとした広場が出現し、何と嬉しいことに、SL(蒸気機関車)が飾ってある。
「D51」(通称デゴイチ)ね。

動輪が4つあるからD。
3つならC。
実在云々は別にして、2つならBだし、1つならA。
簡単でしょ?

で、一般論として、動輪が多けりゃ多いほど馬力があるわけで、そのため「D51」は、主に貨物列車用機関車のエースとして、全国で大活躍したんだね。

逆にスピード重視のC型機関車は、主に旅客列車用で、そのエース格が「C62」(通称シロクニ)。
そのスピードは、光より速く、宇宙を走り、アンドロメダ星雲まで到達する…わけないけど、「銀河鉄道999」のモデルになった名車両だ。

おっとっと、また話が逸れちゃった。

そのまま走ってると、左下にJRの「南木曽駅」が見えてきた。
中山道はこのまま直進だけど、今日はここを左に折れ、線路を回り込む形で南木曽駅前に出たところでゴールとする。

中山道だけで17~18km、その他のロスも入れたら、20km超。
でもさ、相変わらず上り下りの繰り返しで、距離以上の結構な練習だった。

南木曽駅前を少しだけ散策。
ここまで来ると、名古屋の匂いはかなり薄らぎ、完全に山里の集落のイメージだ。
駅舎は中山道を意識してか、和風建築を意識しつつ、「南木曽驛」と、旧仮名遣いになっている。

実はここ南木曽駅も、中山道関連の史跡に溢れてたりするんだけど、それは次回以降に持ち越すとして、今日は疲れたし、そろそろ帰ろう!
すでに17時近い。

南木曽駅からの普通列車は、車窓から右に左に木曽川の渓谷美を楽しめる。
中央本線(西線)は、中津川駅を境に、まるで別の路線のようだ。

中津川駅に戻って名古屋行快速に乗換。
さぁ、ここから勝川まで約1時間。
結構疲れたようだ。
車内では、うたた寝で過ごしたコスモタイガーであった。


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6 コメント

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勉強になりました (更家)
2015-09-20 16:10:44
思い出しました!、そう言えば、小さなSL広場がありました!

へ~、動輪が4つはD、3つはC、2つはB、1つならA!
なるほど!、簡単で分かり易い!
知らなかったので勉強になりました。
返信する
更家様 (コスモタイガー)
2015-09-21 12:49:36
コメントありがとうございます。
SLも大好きです!

ってか、このブログでは「旧街道」をメインに語ってますけど、ブログの最初の頃に書いたんですけど、もともと「鉄道」が本来の居場所?なんですけどね・・・。
返信する
馬籠峠はハイキングに最高 (更家)
2016-08-14 18:36:34
このブログを読み直していたら、色々と記憶が蘇えってきました。

馬籠峠は、ハイキングには最高ですよね。

歩き疲れて、男滝と女滝で一休みしたら元気が出てきました。

新茶屋や大妻籠も、なかなか雰囲気がありますよね。
返信する
更家様 (コスモタイガー)
2016-08-15 09:41:24
馬籠~妻籠間は、東海地区の気軽なハイキングコースの1つにもなっていますよ。
交通機関も、それなりに整備されています。
男滝・女滝は、今の季節なら癒されますよね~。
個人的には、馬籠より、妻籠や大妻籠の方がオススメなんですけど、近くに高速バスの停留所があって、名古屋行の直行バスがあったりすること、単純に中津川ICから近いこと、などの理由かと思いますが、とっかかりとして馬籠の方が若干人気有るようですけどね。
返信する
いまは昔の旅  (もののはじめのiina)
2020-08-19 09:43:34
夏ですから、ラスト近い雄滝と雌滝に、いやされました。
      冒頭の林道も、涼やかでした。^^

いまは、コロナ禍下に旅にも行きにくく、こんな景色から遠ざかります。
一緒に巡る旅友も、旅の計画さえ立てられないとぼやいております。



返信する
滝の道 (コスモタイガー)
2020-09-10 16:47:08
iina様。
返信遅くなり、すみません(毎度のことですが…)

雄滝と雌滝。
もう10年以上前なのに、印象に残ります。
ここは何度走っても飽きないだろうなぁ、というコースでした。
返信する

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