川西駅前は変則の5叉路になっている。
小児科医院の右を抜けていくような小道、それが東高野街道だ。
その先、100mほどむのYの字分岐は右で、すぐ行き当ったら左折。
升形、というやつだね。
方角的には一瞬南下することになる。
周囲の住宅より一段高い所を走る旧街道らしからぬ風景となるが、すぐに右手斜めに分岐道があるので、その道を選択。
ちょうど分岐するところ、左手には地蔵菩薩が安置してあり、花も手向けられてある。
片側2車線の立派な国道309に沿って、一段高い道を走る。
すぐの信号を左折し、国道を横断。
そのまま南下する旧街道。
平凡な住宅街の中にも、時折立派なお屋敷が現われたり、小さなお地蔵さんが安置してあったりと、所々に街道らしさを感じつつ、軽快に足は進む。
延命地蔵尊が祀られ、その先Yの字分岐を右に行く。
要するに登っていく方。
しばらくは道なりに。
錦織北遊園、という児童公園に出た。
ここも別の道と斜め交差しつつ直進。
道の右端にグリーンのラインが引かれているのが格好の目印となる。
近鉄の滝谷不動駅が近いはずだが、それを示す標識もなさそうで、コインパーキングがあることで何とか駅近を感じられる。
と、思ってたら左側に古い道標が!
大峰山三十三度満願碑。
丁寧に説明書きも添えられていて、1860(蔓延元)年、塔本嘉兵衛という人が33回も大峰山に登ったことを記念して建てられたとある。
大峰山といえば、熊野古道の一部になってる険しい山のことかな?
だとしたら凄いモチベーションだな!
そういえばこの辺り、塔本という表札が多いから、何か関係あるのかもしれないね。
すぐ先のT字路、左に目をやると、滝谷不動駅。
ここでランを止める選択肢はないものの、記念に写メしておこう。
その先の小さな十字路にはポストがあって、その横にも道標が現存している。
「すぐふじゐ寺」と読める。
藤井寺は今日のスタート地点、土師ノ里や道明寺が藤井寺市だ。
うーん、現代人の感覚では「すぐ」とは思えないけどね…。
街道らしい小さなカーブが続く。
近鉄長野線を越え、久々の府道20号に再会し、このまま府道を走る。
はい、見えてきたのが錦織一里塚。(冒頭写真)
現存するのは東側のみであるが、大阪府の史跡に指定されている。
そして府道20はこのままゆるやかに左へカーブするものの、旧街道はいったん消失。
ここで少し腰を据えて地図を確認!
少し進んでわずかな繁みの切れ目、強いて言うなら左側に「1H2,680円」の怪しげなホテルがあるところで、歩行者専用の小さな踏切があり、ここで近鉄長野線を渡り、線路の西側を並行する道が旧街道だ。
この道を少し戻ってみる。(北上ね)
小さな水路(小川?)に遮られ、行き止まりになっている地点。
恐らく先ほどの一里塚あたりから緩やかに右へカーブして、この地点に出ていたんだろうね。
近鉄長野線建設などの事情で焼失したと思われる。
そしてこの小川が市境にもなっているらしく、この地点からがいよいよ東高野街道最後の市町村、河内長野市となった。
残りはあと3kmほどだ。
踏切まで戻って街道runを続ける。
右手にひっそり立つ祠は孝子地蔵と称するらしい。
その先の分岐は右へ。
しばらくは街道らしいのどかな田舎道、車1台がやっとの道がくねくねとうねりながら続いている。
自然とペースも上がってしまう。
ところどころにお地蔵さんが現れるから良い目印だ。
下水管が置かれた児童公園を左に見て、道が広くなり、視野が広くなった感じ。
この十字路で一瞬戸惑うものの、よく見ると直進の道の左角に、可愛らしくも古い道標があることを確認する。
100mほど進:むと祠が右手にあり、逆に左側にある階段(というよりスロープ)を降りるのが正解だ。
何のことはない、さっきの十字路で迷った道と一緒になるんだけどね。
と思ったら、50m先でまた左折し、小さな橋を渡る。
道なりに走れば、またまた何度目かの府道20に合流するのも束の間、またしても左へ分岐。
300mほどしたら、また府道に合流し、またすぐ分岐。
さぁ、あと一息!
近鉄線を渡り、またまた線路を右に見ながら走る。
家具屋さんを過ぎた所で変則交差点に出た。
目の前の道(オレンジのセンターライン)はここで激しく折れ曲がっている。
右折して、菊水町の交差点に出て、府道20と再会となる。
高架となった近鉄線をくぐり、信号をそのまま直進。
左にカーブする府道とは別に、直進する旧道らしき道。
そう、これが東高野街道だ。
いよいよ河内長野市の中心に近づいているものの、裏路地のような静かな風景は何やら昭和チックで、情緒を結構感じたりする。
足を進めれば商店街らしき雰囲気となった。
右にコンビニ、左にショッピングモールを見て商店街の中の十字路。
ちなみに今までたどってきたのは東高野街道。
それなら西もあるのか?と聞かれそうだけれど、はい、正解♥。
ここで交わる道が実はその西高野街道ね。
ここからは東西両高野街道の重複区間で、左折してゴールを目指す。
南下すること約100m。
少し離れた所に河内長野駅の駅舎も見えてきた。
府道20号と交わる交差点。
ここに「高野街道の碑」とモニュメント!
ゴール!
本日のトレーニング終了。
一般的な呼称としての東高野街道・西高野街道はここまで!
よってこれにて東高野街道完全走破!
街道としてはまだまだ続いており、ここからは単に高野街道と称されるようだ。
他に主だったところで中高野街道なんてのもあるらしく、こちらは途中で西高野街道に吸収される。
要するにここ河内長野市は、大阪周辺の各地を発端とするいくつかの街道が集約しており、ここから「高野街道」に1本化されて、一気に高度を上げていくんだね。
そのため多くの往来があったことで発展してきた街ということらしい。
目の前はロータリーになっている。
ロータリーの向こうは河内長野駅。
近鉄長野線の終着駅であり、南海高野線の主要駅でもある。
走行距離、14~15km、寄り道分も加えると16~17kmといったところで、やや少なめではあるけれど、ここは鉄ちゃん的にも旧街道的にも間違いなく1区切りの場所ではある。
時計を見ればまもなく14時半を少し回ったところ。
さて、ここから社宅に戻るには大きく2つのルートがあって迷う。
近鉄長野線に乗って近鉄電車を乗継、阿部野橋(天王寺)に出るか。
南海高野線に乗って難波に出るか。
線路幅はどちらも狭軌(1067mm)でJR在来線と同じ、というのも迷いをさらに深める。
コンビニでおにぎりとビールを購入し、休憩しつつ、どっちのルートにするかを考える。
最終的に選んだのは、定番?の南海高野線。
やっぱり疲れてるからさ、難波まで乗換なし、を選んじゃった!
さぁ、当たり前だが明日は仕事。
次回、どこの街道を走ろうか?このまま「高野街道」に入ろうか?など、いろいろ妄想しつつ、途中でスーパーで晩飯用の買い物を済ませ、社宅に戻ったコスモタイガーであった。
高野街道の碑とモニュメント、高野街道の全体感が分かってよく出来ていますね。
88ヶ所とか33ヶ所というのはあちこちにあったりしますが、同じ寺を33回も…というのはあまり見ないですよね…。
東高野・西高野の2つの街道は河内長野で1つになり、「高野街道」としていよいよここから山登りになっていきます。
それもこれからおいおいと…という感じです。