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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

身近な気になる古道たち⑩

2013-11-01 | 身近な旧街道run!!

★JR武豊線界隈(大府市・東浦町・半田市)

旅行気分を味わいたい!
ローカル線に乗りたい!

でも時間もお金もない。
そんな時、近場でフラッと立ち寄れる路線がある。

JR東海「武豊線」。
名古屋市近郊でありながら、いまだ非電化路線で、ディーゼルカーが、「ウィ~ン」と独特のエンジン音を響かせながら、走っている。

この武豊線にほぼ沿う形で通っている旧街道が「師崎街道」だ。

師崎街道の起点は、名古屋市緑区の大高。(古道たち⑤参照)
もちろんそこをスタートにする手もあるけれど、「武豊線」をメインに考えて、東海道本線と武豊線の分岐駅、「大府駅」東口周辺のコインパーキングに車を置き、今日のランニングをスタートさせるコスモタイガーなのだ。

ただ、師崎街道は、かなりの部分消失しているらしく、江戸期の道をそのまま辿ることは難しい上に、資料も少ない。
そりゃそうだ。
知名度も重要度も、主要街道に比べれば低いからね。

東海道や中山道のように「忠実さ」を求めるのではなく、オーラを感じつつ、気楽に走った方が楽しそうだ。

大府駅前(東口)のロータリーをスタート!
右手にミスタードーナッツがある。
この脇の道を進む。

200mちょっとぐらいかな?
いかにも旧道の感じになったところに「富士屋旅館」。
何だか大府市の中心とは思えない、昭和の雰囲気の和風旅館だ。

すぐに国道155の下を潜る。
何気に良いんだよね~、街中に埋もれた歴史の道、みたいな感じ。

広い主要道(県道50号)に合流し、そのまま右へ。
すぐに、右からやってきた別の主要道と合流したところが、「朝日町2」の信号だ。

そこには、大きな案内板とともに、いかにも古い井戸がある。
いまもわずかながらも水が出ているらしい。

「おしも井戸」
ここを通りがかった弘法大師さん。
宿泊場所もなく、困り果ててていたら、ここに住んでいた「おしもばあさん」が泊めてくれることに。
いろいろお話しているうちに、おばあさんが目を患っていること。
この辺りは海が近く、水の確保に難儀していることを知った弘法さん。
御礼にと、杖で地面を突き刺すと、井戸が湧き、その水でおばあさんが目を洗ったら、病は完治した上、水不足も解消し、めでたしめでたし、という話らしい。

真偽はともかく、随分と古くから親しまれていた井戸であることは確かなようだ。
こんな主要道の真ん中に残ってるってのも素敵なことだ。

そのまま県道50号を走る。
陸橋で、JR東海道本線を超え、間髪入れずに、今度は武豊線の下を潜る。

そのまま直進すると「東浦森岡」の交差点なんだけどね。
県道50号はここを左折するんだげ。
すぐ手前をショートカットする形で左折する脇道がある。
今までの街道ランの「カン」で、この道がいかにも旧街道っぽいなと。

で、しばらくは県道50をそのまま走る。
「森岡駅西」の信号を過ぎてすぐ、右斜めに入っていく狭い道を発見!
多分これが旧街道と思われる。

大型スーパーの裏をくねくねと走る感じで、交通量も少なく、旧道らしい雰囲気を残し、なかなか楽しい区間だ。

「岡田川」という、水路のような小さな川に出る。
橋を渡って左へ。

ちょっと街道から逸れるけど、川から離れてすぐ右折したところにあるのが、いかにも古刹という感じのお寺が。
知多四国8番札所「傳宗院」。

この師崎街道は、知多四国88ヶ所霊場巡りと部分的にかぶっており、参詣の道でもあるのだ。

手だけ合わせて、再び旧道に戻り、南下を続ける。
「入海神社」「了願寺」と、由緒ありげな建物が続き、ここが古くからの道であることを教えてくれる。
師崎街道に間違いない!

ちなみに入海神社境内からは、約7000年前の貝塚も出土しているらしく、そのころからここには人々の生活があったこと、そして名前の通り、ここが海に近かったことが推察できる。

さて、東浦町の中心に入ってきたようだ。
この辺り、かつての緒川村。
今日のランニングコースのクライマックスなんだけど。

周辺は、地元東浦町の人々によって、散策コースも設けられているらしいけれど、この緒川地区、昔の街並みや史跡を多く残し、何気に埋もれた「歴史の町」なのだ。
街道沿いには、雰囲気のある建物や、歴史ありそうな寺社が点在している。

緒川村といえば、何といっても徳川家康の母君「於大(おだい)の方」(伝通院)の故郷として有名だ。
「於大の方」は、緒川城主水野忠正公の娘とされている。

戦国期の宿命だったとはいえ、この於大の方も数奇の運命をたどった女性やね。
息子(竹千代→のちの徳川家康)3歳の頃に、実家水野家が、今川家から織田家に鞍替えしたため、嫁ぎ先と離縁させられ、竹千代と生き別れに。
のち、阿久比城の久松氏に嫁いだということらしい。

もっとも家康は、出世してから於大の方を母として厚遇し、父違いの弟たちに「松平性」を許して家臣同様に扱ったとされる。
判断が難しいところだけど、当時としては幸せな方なのかな?

ところで彼女の実家たる「水野氏」。
愛知県に多い苗字らしい。

諸説あるらしいが、大別して2つの流れがあるらしい。
桓武平氏を諸とする、水野氏。
瀬戸市や春日井市を中心に広がったとされる。

もう一方は、清和源氏を発祥とする、水野氏。
この緒川を中心として、知多半島全域や、対岸の刈谷市辺りを治めた武家の一門。
のちに江戸幕府の老中なども輩出した、名門とされている。

その緒川城跡は、実に分かりづらい場所にある。
細かい地図でこの辺りを見ると、「古城」という字名が、街道筋から右手奥に入ったところにある。
「名は体を表す」の言葉通りで、この古城地区にある小さな公園が、その城跡とされている。

とても楽しい癒し空間を走り、県道24号を横切る。(信号まで迂回してね)
やがて突き当たるのが、東浦町中央図書館。
きっと、かつての街道は、この敷地内を直進してたんだろうね。

ここでちょっと寄り道。
右折し、図書館本館の前をさらに右折。
さっき横断したばかりの県道24号に出る。

そのまま県道を西へ走ると、於大公園ね。
もちろん名前の通り、於大の方に由来するネーミングだ。

その隣が「乾坤院」。
これが緒川水野氏一族の菩提寺となっている。
水野氏歴代の位牌も安置されているらしい。

緒川地区には、まだまだ水野氏を偲ぶ史跡が多く残り、ゆっくり散策してみたいエリアなんだけど、トレーニングにならないからね、そろそろ先に行くとする。

図書館と中学校に遮られ、この辺り、旧街道は消失しているらしい。
仕方なく、国道366号を走る。

小さな川を渡ると、右に分岐する道があるから、それを選択。
そのまま進むと、JAの辺りから街道らしい雰囲気が少しづつ戻ってくる。

本来の旧街道は、図書館&東浦中学校の中を通り、JAの辺りに出るようだ。

しばらくは道なりに。
なかなか静かで、良い雰囲気の道だ。
くねくね感も、いかにも旧街道らしい。

「石浜駅西」の交差点で、国道366にランデブー状態になるものの、合流することなく、再び離れる旧道。

この辺も、何気に旧道らしさを残してて、楽しいね~。
裏路地のようにせまい道をくねくねと走ると、県道469号を横断する。

さらに進むと、三叉路に出て、ここは左に降りて行く感じ。
そうすると「生路集落」に出る。

ここがまた素敵なエリアで、懐かしさを感じる風景なのさ。

生路小学校前を左折し、いかにも旧道らしい路を駆け下りる。
途中、左手奥に入ると、「伊久智神社」。

創建は不明らしいけれど、相当に古い歴史があり、製塩の神様として、信仰されてきたらしい。

「生路」の交差点で再び国道に出る。
500mほど走ると、またまた右に緩やかに分岐する古い道。

小さな道標があり、右手に「安徳寺」。
知多四国11番札所になっているらしい。

小さな川にぶつかって、左折。
そのまま国道366を横切り、直進。
すると最初の角に常夜灯がある。

これまた如何にも古く、調べてみると寛政10年設置というから、江戸中期のものだ。
ここを右折し、南に向かう。

100mほどで国道に再び巡り会うけど、そのまま斜めに横断し、直進。
しばらくは道なりだ。

1km弱ぐらいかな?
県道23号に出る。

県道を渡ると、小さな池があり、そこを池に沿う形で走る。
この辺りで、行政区域が半田市に変わったようだ。

くねくねとのどかな風景を抜ける道で、快調に足を進める。

「有脇」集落に入り、右手に「蓮念寺」が目印だ。
すぐにT字路。

ここはどっちに行くか迷う。
どっちも魅力的な古道の雰囲気だもんな。

右を選択。
「福住寺」。
知多四国12番札所になっている。

公民館を左へ。
すぐに右へ鋭角に行く道があり、そこを右折。

随分楽しんだ。
さすがに見どころはこの辺で一服かな。

県道261に出て、「東生見町」の交差点に出る。
久々に片側2車線の大通りだ。(県道46号)

左折し、この幹線道路を走るだけ。
武豊線の高架をくぐるとすぐに「亀崎北浦」の交差点がある。
国道366号と交わっている。

右折し、国道を南へ。
1kmほど走ると、歩道橋のごとく、頭上を行く道がある。
階段をあがり、その道に出て、右に向かい、裏路地のような道を行くとすぐにJR武豊線「亀崎」駅に出る。

ちょっと走った距離は短めだけどさ、鉄チャンらしく、由緒あるこの駅をゴールにしよう。

亀崎駅。
名古屋人特有の「PR下手」のせいか、知名度はイマイチだけど、この駅は1886(明治19)年開業の、日本では現役最古の駅舎なのだ。
現在も、当時のまま利用される、貴重な文化財だ。

JR九州の「嘉例川(かれいがわ)駅」や「門司港駅」の方が、国指定の史跡になったり、観光地として売り出したりして、えらく有名になってるけど。

特に嘉例川駅は、「古さ」をウリにしてるけど、あちらは1903(明治36)年開業。
確かに歴史ある貴重な文化財には違いないけれど、「古さ」だけの比較なら、間違いなく亀崎駅に軍配が上がるわけで、もっと歴史的評価をされても良いはずなんだけど。

そして名古屋からも普通に通勤圏の範囲に、こんな素敵な駅舎が残ることに感動!

そもそも愛知県内で最初に完成した路線は「武豊線」だしね。
東海道本線より先だから。

しばし駅舎を楽しみつつ、車を置いた大府駅まで、武豊線の旅を楽しむコスモタイガーであった。


コメント (1)
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