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時刻表検定1級
10km33:04、フルマラソン2:46:31

コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(1)

2014-07-04 | 旧伊勢街道run!!

鳴海駅に自転車を置くのも久々だ。
名鉄で名古屋駅に出て、近鉄に乗車。
四日市で、あの可愛らしい「内部線」に乗換える。

懐かしいなぁ、内部線。
2年半という時を超えて、またこれに乗ることになるとは…!((旧東海道編10、13参照)

で、今日は途中の「追分」駅下車。
駅を出れば真ん前は旧東海道。

ここを走った頃は、まだ完全走破なんて思ってもいなかったしねぇ。
それが今じゃ、東海道を走り切り、中山道すら半分を超えている。
何やら今、東海道に再開すると、懐かしさとともに、大仕事をやり終え、凱旋して戻ってきた気分になって、小さな自己満足に浸ってたりする。

旧東海道を戻れば、200mほどで見覚えのある「日永の追分」の繁みが見えてきた。
湧水人気は相変わらずで、入れ代わり立ち代わりで地元の方々(多分)が、水を飲んだり運んだりしている。

この癒し空間で、写真を撮ったり、しばし湧水を楽しみ、小休止したところで、伊勢街道run、いざ出発だ!

左手の国道1号が、旧伊勢街道ね。
で、これまたすぐ、300mほどで、「大治田1」の大きな交差点。
インターチェンジのような立体交差になっている。

国1自体はここで、上の道に合流し、右の方へ行くけれど、伊勢街道は、このまま立体交差をくぐって直進。
県道103号線になる。

いきなり殺風景な県道runだけど、1km少々走ると、右斜めに分岐する道が出現。
当然こちらが旧街道。

でも300mほどで、川の堤防にぶち当たってしまう。
かつてはここに「河原田橋」が架かり、直進していたらしい。

仕方なく、堤防沿いに走り、さっきまで走ってた県道103に出て、現在の河原田橋を渡る。
ちなみに下を流れるのは、内部川。

渡ってすぐ右折、反対の堤防道路を走り、すぐに駆け下りて、田園の中を直進するのが、伊勢街道の続きだ。

すぐの道を右折し、ちょっとだけコースをはずれたところに、大きな常夜灯を発見!
江戸末期の1843(天保14)年建立、ということらしい。

街道に戻り、さらに南進。
左手に小学校が見えたら正解だ。

道の両側には、広い平野に田園が広がり、視野が広い。
何せここのところ、旧街道といえば、木曽路信濃路の山の中走ってたからね~。
この広がり感が、新鮮なのさ!

やがて県道103を斜めにクロスし、狭くなった旧街道が続く。
すぐに関西本線をトンネルで潜り、右にカーブする。

さっきクロスしたばかりの県道を再びアンダークロスすると、また堤防沿いの道に。
今度は「鈴鹿川」。

200mほど堤防道路を走り、「高岡橋」を渡る。
この辺り、本来の伊勢街道は消失しているらしく、かつては、この鈴鹿川を斜めに渡っていたとされる。

橋を渡って右へ。
今度は南岸の堤防道路を約300m。
またまた常夜灯が現れた。

手元の資料によると、建立は1807(文化4)年。
これを目印に堤防を駆け下り、左にカーブして、伊勢街道が復活。

伊勢街道は、幕府管理の東海道や中山道と違ってね、定められた宿駅とか一里塚がなかったらしく、ちょっと寂しい気もするけれど、代わりに常夜灯が多く残り、それをつないでいく感じだ。

平坦な土地のせいか、街道も直進的なところが多いなぁ。
ここも直線的に南下。
1kmぐらいはそれが続いたかな?

そしてまた右手に常夜灯があり、道は右に緩やかにカーブ。
この辺りから、神戸(かんべ)集落へ入る。

それを示すのが、「神戸見附跡」。
当時、夜間通行禁止で、時間になると門を閉めていたらしい。
現在も、わずかに石垣が残る。

急に家並みが増えてきて、その街並みにも、古き良き面影が残り、なかなか雰囲気が良い。
右側にある和風建築は、今も旅館として営業を続けている、旅籠屋「かみ亭」。

それ以外にも、左右所どころに古い民家が現れ、しばらくは目を楽しませてくれる。

やがて、線路(近鉄鈴鹿線)を超え、「神戸8丁目」の信号を渡って約100m。
「札の辻」に到着。

ここで道は左右に分岐するけれど、伊勢街道は左だ。

神戸集落の中心らしい雰囲気になった。
左手やや奥には、近鉄の「鈴鹿市」駅がある。

伊勢街道は駅には寄らず、そのまま道なりに。
「栄橋西」の交差点を過ぎてすぐ、真宗高田派別院の立派な建物が目に入る。

突き当りを左折。
いかにも旧街道オーラの道をどんどん走る。
左手にまた常夜灯だ。

「矢橋1丁目」の交差点をそのまま直進、今度は「鈴鹿駅入口」の信号に出る。
名前の通り、すぐ北に、伊勢鉄道の「鈴鹿」駅がある。
どうやらこの辺り、地理に疎い人にとって、鈴鹿市駅と鈴鹿駅が混同し、さらに解りにくいエリアになっているようだ。

両側は静かな住宅だけど、所どころに鳥居や灯篭があったりして、わずかに街道を忍ばせつつ、道は続いている。

左に小さな道標を発見!
「右若松道」。

そういえば、ここから東の方に、近鉄名古屋本線の主要駅、「伊勢若松」があるからね、そこのことを言ってるんやね。

国道23号に出た。
「肥田町」という名前の交差点だ。

渡ってそのまま道なりに。
といっても、伊勢街道、ここで右にカーブし、23号から見ると、斜め左に分岐しているような感じだ。

200mほど南下した地点に「天白神社」。
「天白」といえば、名古屋市民にとっては、「天白区」や「天白川」を連想させるけど…。

実は「天白信仰」なんてものがあるらしく、神道に由来するものだとか。
長野県や静岡県を発端にして、日本全国に広まったとされる民間信仰ということで、実は詳細不明らしいけれど、伊勢地方を中心に、「天白神社」が多く残っているとされる。

コスモタイガー、残念ながら、煩悩の塊で、人並みに手を合わせる程度の宗教心しか持ち合わせていないため、こっち系の話は詳しくない。
まぁ、でも神道と関わり深い伊勢神宮のおひざ元だからね、そう思えば不思議でもないかな。

そういえば、東海道でも四日市と内部の間にも「天白川」「天白橋」があったし(旧東海道編10参照)、長野県といえば、中山道では、南木曽駅近くに「天白公園」があったなぁ(旧中山道編17参照)。

しばらく走ると変則のT字路で突き当りとなる。
ここに、現存する小さな道標。
「右さんぐう道」と刻まれているようだ。(冒頭写真)

道標の示すとおり、右折し、すぐに左にカーブし、再び南進。
「西玉垣町」の交差点で国23に出るけれど、その直前で左折するのが伊勢街道だ。
ここにも「左さんぐう道」の道標が立っている。

200mほど先の小さな十字路を右へ。
しばらくして左側に、また道標が残る。

こんな感じで、それなりに旧街道関連の史跡が点在し、結構楽しい。

東玉垣の信号を過ぎるとすぐ、左手に大きな工場(フジクラ鈴鹿工場)が現れた。
しばらくはチェックポイントもなく、道なりに走るだけ。

普通の住宅街の中だけど、この道が由緒あるお伊勢さん参りの道だったこと、住民の皆さんにはどれだけ意識されているのだろうか?
ただ、微妙なうねりは確実に街道の面影を残している。

やがて近鉄名古屋本線の線路に出た。
踏切を渡る。

渡ったところに、立派な祠がある。
「北の端の地蔵」と称され、鎌倉時代のものらしい。

こんなアーバンライナーや伊勢志摩ライナーも通る、近鉄の大幹線沿いに、堂々と残っていることが素晴らしい。
伊勢街道、侮りがたし!

「北の端」っていうんだからさ、言い換えればここが北側の入り口。
何の入口かというと、白子宿の入り口。

ここから実質的な白子集落(白子宿)の街並みってことやね。
お地蔵さんの前の道をすぐに90度右折。
枡方になってたんだね。

そしてこの道は県道6号に指定されているらしい。

そのまま県道を走り、「江島本町」の信号に出た。
ここでちょっと寄り道。
左折して100mほど。

「江島若宮八幡宮」。
単に江島神社と称することが多いらしいけれど、白子宿の象徴ともいえる神社で、海上交通の神様として、地元でも厚く信仰されているとか。

ほんの少し先には海が見える。
晴れていればもっと景色は良かったかもね。

「本能寺の変」の後、徳川家康は、有名な伊賀越えで、命からがら脱出し、ここ江島の海岸から船に乗り、対岸の知多半島に上陸したとされている。

残念ながら現在、神社以外にそれを思わせる史跡はなさそうだ。

伊勢街道に戻ろう。
この江島地区は、常夜灯も残り、ところどころには古い民家も見かけられ、かつての白子宿の面影を強く残している。

右手には青龍寺という、何とも気になる名前の立派なお寺がある。
2009年も、ドラゴンズは2位で、ジャイアンツに屈してしまった。
来年こそV奪回だ!
青い龍の仏様に、心を込めて祈願しておく。

ここ白子宿は、江戸時代、伊勢街道一帯では最も栄えた港町。
ここから南にある松坂が、商人の町。
松阪商人が手掛けた衣類がここに集積し、港から各地へと運ばれていったとか。
当然ながら、衣服問屋や廻船業者が財を成し、随分と華やかだったとされる。

300m弱で幹線道路を渡ってすぐ。
枡方になっていて、右折してすぐ左折、の構造になっている。
そこに小さな郵便局があり、隣に児童公園がある。

その公園の前にあるのが「旧河芸郡役所跡」の碑。
今日はここをゴールとしよう。

中山道慣れ?したせいか、随分と地味な印象だったけど、距離はそこそこ走ったかな?
多分実走20kmぐらいかと。

さっき渡ったばかりの幹線道路(県道551)が、いわゆる駅前通りというやつで、そこを歩けば10分弱で近鉄白子駅に到着…のはずだけど、その手前を左折し、少し歩くと「伊勢型紙資料館」なるものがあるらしい。

無粋な人間のため、残念ながら型紙に関しては心得がないけれど、この資料館は、白子宿隋一の型紙問屋、寺尾家住宅を資料館として開放したものだ。

16時閉館なので、駆け足で中を見学し、駅に向かう。

さて、白子駅。
近鉄名古屋本線の主要駅で、特急も停車する、鈴鹿市の実質的な中心駅だ。

そしてこの白子駅周辺は、コスモタイガーが若かりし20代の頃、公私にわたって何度も利用した場所で、今日は久々に再会し、とても懐かしい。

周辺を散策し、当時の思い出に浸りつつ、時間をつぶす。
当時は若くてねぇ、こんなにじっくり散策した記憶はないなぁ…。

名残惜しいけれど、次回もある…と思うから、ぼちぼち帰ろうか。

白子駅からは急行でも近鉄名古屋まで約1時間。
随分近く感じられるね~。

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コスモタイガー漂走記~旧伊勢街道編(0)~プロローグ~

2014-06-24 | 旧伊勢街道run!!


冬だね。
山岳部に差し掛かった中山道、冬季はお休みするしかないもんね。
仕方ないから、冬の間、大人しく近所をjog…、してるだけじゃ物足りないのさ!
一種の中毒なのか?
もう、旧街道エキスを定期的に摂取しないと、体が持たないのさ!

かと言って、大々的な遠征も費用的に厳しいしね。
中山道で随分浪費している上、さらに別の企画まで…、では今度は財布が持たないのさ!

近場でなんか良い街道ねぇかな~、と思いつつ、紋々とした日々を過ごし、資料を見たりしながら、注目したのが「伊勢街道」。

前半は近鉄名古屋本線、後半はJRになりそうだけど、それもすべて「青空フリー」のエリア内にすっぽりと収まる。

これなら「お値打ち」に完走できそうだ。
全てお隣、三重県内の平野部で、大雪の心配もない。
中山道の裏企画?としては、良い意味で適正規模やね。

伊勢街道。
伊勢路とも、参宮街道とも称されることがあるらしい。
旧東海道を日永追分で分岐し、伊勢神宮(内宮)を結ぶ、約18里(70km)の街道だ。
峠越えも無く、地味な印象は拭えないけれど、何といってもゴールがあの伊勢神宮!

江戸時代、庶民の間でもお伊勢さん参りはかなりトレンディーだったらしく、かなりの通行もあったらしい。

コスモタイガーも、こう見えて?いろいろ公私にわたって悩みもあるからね、神妙にお伊勢さん参りと洒落込んでみるか!

2009年も年末に入り、慌ただしくなってきた。
それでも何とか1日空け、自宅を出発。
2年半以上のご無沙汰となる、「日永追分」(旧東海道編10参照)に向かう、コスモタイガーなのであった。
(※冒頭写真は、旧東海道編10の際に撮影した、日永追分の湧水)
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