君、曰く
「女は種としての存続というより、個としての現在の自分の生への執着が強く、その目的のためには非常に狡猾であり、あらゆる知力、労力を費やすことをいとわない。伴侶としての男も、その手段の一つとして捉えている。」端的にこう解釈してもおおむね当たっているだろうか?当たっていれば「ピンポーン」、外れていれば「ブー」と応えてくれればありがたい。
さて、「女は特攻隊の隊員に成り得るか?」についてだけれど、もし人数10人の集団が2つあるとして、1つは男が1人で女が9人、もう1つは女が1人で男が9人とした場合、この2つの集団のどちらが優勢か?集団の強さを頭数としてのみ計るものとすれば、これは考えることもなく、前者が優勢であるとすぐに分かるね。つまり極論すれば、集団の中に男は一人でいいんだよ。これがオットセイやアザラシに見られるハーレムだね。ということは、特攻隊員に男ばかりを選んで、女を温存するというのは集団の論理として、しごく妥当であると言えそうだ。
と同時に、ここに「女の敵は女である」という論理が現れる。女も男も、個としての自分を将来に存続させたいのだ。よってハーレムの中では、たった一匹の雄に自分を選ばせなければならないことになる。そのために女は、あらゆる手立てを尽くして他の女を蹴落とそうとするだろう。もしハーレムではなく、男女比が均等の集団であってもこれは成り立つので、「女の敵は女である」と同時に「男の敵は男である」とも言えるだろう。女を取り合って男が戦うシーンは、多くの生物界で平凡に見られる。
次に「後尾の後、雌が雄を食ってしまう蜘蛛」の話だけれど、カマキリの雌も交尾に関連して雄を食うのもよく聞く話だね。カマキリの場合はもっと凄惨でシステマチックだ。どうも交尾中に雄を食うらしい。
というのも、生殖を司る神経系が雄の食堂の下辺りにあって雌がそれを捕食しなければ生殖が成り立たないらしい。だから雌は雄の胸と頭を最初に食うが、雄は下半身だけになってもまだ生き続けて、最後は生殖器だけになってもなお生き続け交尾を継続して生殖を成立させようとするらしい。何たるおぞましい話かと思ってしまうし、雄が健気で可哀相にも感じるけど、進化は彼らをそのように仕組んだということだね。
(これは後で嘘だと分かった。雌が食らいつこうとするのをブロックして、生殖の後うまく逃げおおせる雄もいるらしい)
話はまた変わって、こんどは人間。(NHKの番組から)
男は女が好きで、女は男が好きだ。これは性別の所以でもあるね。ほんで、男は女をまず体型から見るらしい。もちろん無意識にね。丈夫な子供を産んでくれるか、乳はたくさん出るか。この評価判断の基準に沿った理想的な女性の体型が、古代ローマの彫刻などに見られる女性像らしい。対して、女が男をどう見るかだが、自分および子供を守ってくれる力があるか、ということらしい。もちろん無意識にね。男は短時間的判断、女は長時間的判断、男は形的、女は中身的、男は女を守り、女は男に守られる、となるだろうか。これもやはり、進化が人間に仕組んだ仕掛けなんだろうね。
「弱きものよ、汝の名は女なり」
出典は、シェイクスピアの悲劇「ハムレット」だけど、その由来はともかく、僕はこの言葉に真理を見、納得し、甘美と切なさを覚えた青春時代があった。今も名言だとは思うんだけど、当時ほどの感性は無くしてしまったな。
「女は種としての存続というより、個としての現在の自分の生への執着が強く、その目的のためには非常に狡猾であり、あらゆる知力、労力を費やすことをいとわない。伴侶としての男も、その手段の一つとして捉えている。」端的にこう解釈してもおおむね当たっているだろうか?当たっていれば「ピンポーン」、外れていれば「ブー」と応えてくれればありがたい。
さて、「女は特攻隊の隊員に成り得るか?」についてだけれど、もし人数10人の集団が2つあるとして、1つは男が1人で女が9人、もう1つは女が1人で男が9人とした場合、この2つの集団のどちらが優勢か?集団の強さを頭数としてのみ計るものとすれば、これは考えることもなく、前者が優勢であるとすぐに分かるね。つまり極論すれば、集団の中に男は一人でいいんだよ。これがオットセイやアザラシに見られるハーレムだね。ということは、特攻隊員に男ばかりを選んで、女を温存するというのは集団の論理として、しごく妥当であると言えそうだ。
と同時に、ここに「女の敵は女である」という論理が現れる。女も男も、個としての自分を将来に存続させたいのだ。よってハーレムの中では、たった一匹の雄に自分を選ばせなければならないことになる。そのために女は、あらゆる手立てを尽くして他の女を蹴落とそうとするだろう。もしハーレムではなく、男女比が均等の集団であってもこれは成り立つので、「女の敵は女である」と同時に「男の敵は男である」とも言えるだろう。女を取り合って男が戦うシーンは、多くの生物界で平凡に見られる。
次に「後尾の後、雌が雄を食ってしまう蜘蛛」の話だけれど、カマキリの雌も交尾に関連して雄を食うのもよく聞く話だね。カマキリの場合はもっと凄惨でシステマチックだ。どうも交尾中に雄を食うらしい。
というのも、生殖を司る神経系が雄の食堂の下辺りにあって雌がそれを捕食しなければ生殖が成り立たないらしい。だから雌は雄の胸と頭を最初に食うが、雄は下半身だけになってもまだ生き続けて、最後は生殖器だけになってもなお生き続け交尾を継続して生殖を成立させようとするらしい。何たるおぞましい話かと思ってしまうし、雄が健気で可哀相にも感じるけど、進化は彼らをそのように仕組んだということだね。
(これは後で嘘だと分かった。雌が食らいつこうとするのをブロックして、生殖の後うまく逃げおおせる雄もいるらしい)
話はまた変わって、こんどは人間。(NHKの番組から)
男は女が好きで、女は男が好きだ。これは性別の所以でもあるね。ほんで、男は女をまず体型から見るらしい。もちろん無意識にね。丈夫な子供を産んでくれるか、乳はたくさん出るか。この評価判断の基準に沿った理想的な女性の体型が、古代ローマの彫刻などに見られる女性像らしい。対して、女が男をどう見るかだが、自分および子供を守ってくれる力があるか、ということらしい。もちろん無意識にね。男は短時間的判断、女は長時間的判断、男は形的、女は中身的、男は女を守り、女は男に守られる、となるだろうか。これもやはり、進化が人間に仕組んだ仕掛けなんだろうね。
「弱きものよ、汝の名は女なり」
出典は、シェイクスピアの悲劇「ハムレット」だけど、その由来はともかく、僕はこの言葉に真理を見、納得し、甘美と切なさを覚えた青春時代があった。今も名言だとは思うんだけど、当時ほどの感性は無くしてしまったな。
一寸ごめん。今に時間が取れないので、それだけを記す。この項は、その通りだと思います。返事が遅れたのもごめんね。
つまり、どの場合に自己犠牲がなされているかを考えても、思い当たらないのです。
女は子供のことになると必死になる。その通りです。子供の為には死も厭わないでしょう。
でも何故だろう。子供は自分の分身だから、種は受け継がれていく。それは自己犠牲では、もう、ない。自分が生きていくのと同じだと思う。その意味で、子供を産むまでは死ねない。死なない。
「どの場合に自己犠牲がなされているかを考えても、思い当たらない」
はい、わかる気がします。つまり、”自分が我慢をすれば”ということですね。
なるほど、子供を守るのは自分を存続させるためだと。
これは男女ともに当てはまるのかな?
だから子供が欲しい。だから子供がかわいい。