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思索 電子回路 論評等 byホロン commux@mail.goo.ne.jp

挨拶とは何か

2010-01-04 20:04:37 | 思索
挨拶という行為には必ず相手が存在し、おおむね相手に対する好意を示すものである。これは社会的動物である人間において自然発生的に現れる現象であり、強要されたり教えられたりするものではない。挨拶は義務でも責任でもマナーでもなく自然な心の発動である。

挨拶の示す意味はおおむね次の3つである。
① 俺たちゃ仲間だ~!
② ありがと~。
③ よろしく~。

一般的には見ず知らずの人に対して挨拶はしない。また知人であっても嫌いな奴には挨拶しない。もししたとしても、すれ違った後で「ケッ」と、はき捨てるだろう。挨拶が好意を示すものである所以である。こんな挨拶ならしないほうがましだ。

登山道で別のパーティに出会ったときの挨拶、バイクツーリングで対向車線から来るバイクと交わすピースサイン、これらは挨拶の意味①に相当する。職場や学校の教室、隣組の集会など至る所で、この意味①の挨拶は交わされる。車の運転中に道を譲ってくれた相手に送るハザードやクラクション、これは意味②に相当する挨拶である。それから、引越し先で粗品片手にご近所さんを回る挨拶は意味③、および意味①が含まれる。

さて、二昔前の学校の教師に対する生徒の挨拶や、現在でも会社の上司に対する挨拶は意味が少し異なる。「あなた様は私の上位におわすお方でございます。よきにお計らいのほどを」という意味が含まれ、しばしば頭を下げる動作が伴う。「いまどきの生徒や学生はろくに挨拶もできない」と、超時代錯誤的発言をする教師や大人は、このことを言っているのであろう。(ちょいと小耳にはさんだのだが、日本中の小学校でオアシス運動なるものが行われているらしい:オはよう、アりがとう、シつれいします、スみません)なんとバカバカしいことか。

しかしまあ、世の中は広いもので、「挨拶ができない奴に仕事ができるはずがない」とか、「多少仕事ができるよりも挨拶ができることの方が重要だ」と、まことしやかな決まり文句が長年の風土を形成している会社なども実際にある。

余談ながら、初めての人に声をかけるのは勇気が要る。多少なりとも怖い。何が怖いのかと言うと、無反応(無視)が怖いのだ。中学や高校の入学式で初めて隣り合った学友。いずれ親友になるかも知れない二人も、最初に声をかけたときには少なからず勇気が要っただろう。

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