ある産婦人科医のひとりごと

産婦人科医療のあれこれ。日記など。

産科領域における肺血栓塞栓症について

2006年01月04日 | 周産期医学

日本における妊産婦死亡は減少していますが,血栓症は増加傾向にあり,肺血栓塞栓症(いわゆるエコノミークラス症候群)は母体死亡原因の第2位となっています。

静脈血栓症は全身の表在性や深部のどの静脈にも起こりえますが、深部静脈(下腿静脈、大腿静脈、骨盤内深在静脈など)の血栓症は頻度も多く、致命的となりうる肺血栓塞栓症を生じる可能性があり臨床的に重要です。

産科領域における深部静脈血栓症の頻度は0.1~2.0%と報告されていますが、妊娠中よりも産褥期に多く発症します。帝王切開術後では、経腟分娩後に比べて、深部静脈血栓症の発症頻度は7~10倍と高率となります。深部静脈血栓症の約4~5%が肺血栓塞栓症につながるといわれています。

肺血栓塞栓症は発症すれば極めて重篤であり、最近では我が国の妊産婦死亡の10%以上を占めています。産科特有の疾患としては、高齢妊娠、重症の妊娠高血圧症候群、前置胎盤や切迫早産による長期ベット上安静、常位胎盤早期剥離、帝王切開術後、著明な下肢静脈瘤などが深部静脈血栓症のリスク因子となります。

肺血栓塞栓症の臨床症状として最も多い症状は突然発症する胸部痛と呼吸困難ですが、軽い胸痛のみの軽症例から突然の心肺停止で発症する重症例まで多彩です。手術後12~24時間に急速に発症することもありますが、術後2~3日で発症することも多いです。

深部静脈血栓症の予防が肺血栓塞栓症の予防につながります。帝王切開後の一般的な血栓予防法は、早期離床、血栓予防の弾性ストッキング、下肢間欠的器械マッサージ法、十分な補液(1日1,500~2,000ml/日)などです。薬剤による予防(ヘパリンを術後12時間より5,000単位1日2回皮下注)は、静脈血栓塞栓症の既往、血栓性素因などのリスク因子がある場合に行います。

肺血栓塞栓症の治療: 急性期には呼吸循環状態の改善を行います。心肺停止で発症した重症例の場合は、発症直後より心肺蘇生処置を行います。酸素吸入、昇圧剤、中心静脈圧測定などにより、低酸素血症、ショック、胸痛の改善を行います。薬物療法として、ヘパリン、ワーファリンによる抗凝固療法、ウロキナーゼによる血栓溶解療法などがあります。ショック、低血圧、乏尿が持続し薬物療法が奏効しない場合は、人工心肺を用いて経皮的カテーテル肺動脈血栓除去術を行うことがあります。

肺血栓塞栓症が疑われた場合は、高次医療センターへの速やかな搬送、循環器専門医、麻酔科医、胸部外科専門医などによる集学的治療が必要となります。しかし、本症は臨床症状が出現してから、十分な検査や治療をする間もない短時間に患者さんが急死してしまうこともあります。そのような不幸な転帰をとった場合、ご家族にとっては手術や分娩後の突然の全く予期しない出来事であり、人生最大の至福の時のはずが突然人生最大の不幸のどん底に転じてしまうわけですから、医療訴訟となってしまう可能性が高いのもやむを得ないことです。妊婦さんやそのご家族に対して、本症について十分に説明し、理解を得ておくことが重要と考えられます。